Ⅲ 火事

 1


「どうかしたのか? 愛矢」

 武居が一人考え込んでいる愛矢に声を掛けた。

「この間まで変だった愛弓が元に戻ったと思ったら、今度は愛矢の様子がおかしくなるなんてさ」

「何でもないよ」

 愛矢は無理して微笑んだ。

「愛矢は一人で抱え込む傾向があるからな。何かあったら相談してくれよ。おれに出来ることがあったら……」

「ありがとう。でも、本当に何でもないんだ」

 愛矢の頑なな態度に、武居は少しさびしそうに笑って離れて行った。

 コンサートに行った日のことは、武居にも愛弓にも話せなかった。

 あの日、愛弓は愛矢が帰宅してからさらに一時間もあとになって、ようやく連絡をよこした。時計を見ると、すでに七時を回っていた。

「愛弓、まだ武居の家にいるの?」

「今出たところよ。ついさっきまで武居に付き添ってたの」

「武居の具合、そんなに悪かったの?」

「あ、違うのよ。看病にかこつけて長居しちゃっただけ。ごめんなさい。武居のお母さんが帰って来るまでと思って……」

 幸い、武居の風邪は大したことはなかったようだと愛弓は言った。

「あの様子なら、月曜日には学校に来られるんじゃないかしら」

「そうか……良かった」

「どうしたの? 何だか元気ないわね、愛矢」

「何でもないよ」

 ちょっと疲れたんだと言って、愛矢はごまかした。

「大丈夫? 愛矢まで風邪引かないでよ」

「うん、大丈夫」

 愛弓に本当のことは言えない。武居にはなおのことだ。

「でも武居ったら、せっかく憧れの人に会えるコンサートだったのに、体調崩すなんてついてないわね」

「……うん」

「まあ、きっとまたチャンスはあるわよね」

「そうだね」

 自分が何とかしなければいけないと、あの日愛矢は誓ったのだ。

 ――何とかしなければいけない。

 花壇の方に行くと、古藤が花の世話に没頭していた。彼は顔も上げず、「あまり深入りするなよ」とだけ言った。

 愛矢は古藤の正面にしゃがみ込み、しばらく土をいじった。


 2


「また火事ですって」

 愛弓が知らせに駆け込んで来た。

「やっぱり放火なのね。一体誰なのかしら、こう毎日毎日。最初の二日以外はすぐ消し止めたらしいけど」

 愛弓の言葉を最後まで聞かず、愛矢は部屋を飛び出した。

 火災現場に行くと、近くの電信柱の陰にしのぶがいた。

「あなたが消してるの?」

 愛矢の姿を見るなり、眉をひそめてしのぶは聞いた。

「今までのも、全部?」

 愛矢は答えなかった。

「何で警察に言わないのよ。何を考えてるの?」

 道端に、ジュースの空き缶が落ちていた。しのぶはその横に腰を下ろした。

 愛矢はしのぶに近付いて言った。

「こんなことはもうやめて。あなたが放火してるなんて知ったら、家族やファンの人たちが悲しむよ」

「家族はいないわ。ファンだってもういない」

「そんな……」

 しのぶの視線はずっと、かたわらの小さな空き缶に向けられていた。彼女の心に、愛矢の言葉は届いていない。何をどう言えば伝わるのか、愛矢にはわからなかった。

「もう、誰もわたしのことなんて見ていないのよ。わかってるの。わたしはもう、忘れ去られてしまったんだって」

「ファンの人はいるよ」

「好きな人との結婚を、祝福さえしてくれないファン?」

 吐き捨てるようにしのぶは言った。

「さんざん責められたわ。清純なイメージが壊れただの、裏切られただの……。そんな思いまでして一緒になった夫とは、二年も持たずに離婚。今度はいい加減な女だって言われて。冗談じゃないわ。もううんざりなのよ」

「そんなファンばかりじゃないよ」

「気休めなんか聞きたくないわ。都合のいい嘘を並べ立てるのはやめて」

「嘘じゃない。その人のためにも、わたしはあなたに自首して欲しいんだ」

 愛矢は懸命に訴えた。

「こんなこと、続けてちゃだめだ。警察に知らせるのは簡単だけど、それだけじゃ……。わたしはあなたを助けたいんだよ」

「そうよ。本当にファンなら、わたしを助けてくれるはずよ」

 しのぶは空き缶を拾い上げ、立って行ってくずかごに捨てた。それから、ゆっくりと愛矢を振り返った。

「しのぶさん……」

「わたしにファンがいるですって? それが本当なら連れて来なさいよ。ここに、わたしの目の前に!」

「それは……」

「わたしを助けるっていうのはね、わたしの気持ちを理解して、わたしのしたいようにさせてくれることよ。わたしは気が狂いそうなの。わからないの? 止めたり自首をすすめたりするのはわたしを本当に思っていないからよ。本当のファンじゃないからよ」

 愛矢はそれ以上、何も言い返すことが出来なかった。


 3


 次の日もまた、火事があった。今度は怪我人が出たと聞いた。

 愛矢はリビングのソファーに座り、暮れた空を見つめていた。

 明日はしのぶがこの町を去る日だ。次の町でも、まだ放火を続けるのだろうか。あの人を助けたい。そう思うことがおこがましいのだろうか。自分に出来ることは何もないのか。彼女を助けるすべはないのか。

 考えても答えは出ない。時間だけが過ぎて行く。もう、どうしたらいいのかわからない。

 愛矢は決心して、武居のところへ行くことにした。

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