Ⅱ ダブルデート
1
――四月二十一日。
愛弓は愛矢と一緒に、待ち合わせの公園へ行った。古藤はすでに来ていて、公園の桜に見入っていた。
「見ろよ。まだきれいに咲いてる。今年は気温が低いからな」
古藤は嬉しそうに言った。
愛矢と愛弓も古藤の横に並び、桜を見上げた。ささやかなお花見だ。
しかし、肝心の武居がいつまで経っても姿を見せない。約束の時間はもう十五分も過ぎていた。
「遅いわね」
「何かあったのかな」
「せっかく桜がきれいなのにな」
愛弓たちが気を揉み始めたころ、二十分遅れで、やっと武居が公園に駆け込んで来た。
「待たせちゃってごめん」
息を切らしながら武居は言った。
「どうしたの、武居。何だか具合が悪そうだよ」
愛矢が心配そうに聞いた。
「ちょっと風邪を引いたみたいなんだ。でも大丈夫、薬飲んで来たから」
そうは言ったものの、武居は見るからにつらそうで、コンサートホールに着いた時には歩くことも出来なくなってしまっていた。
「病院に行った方がいいわ」
愛弓が腕を回して武居の体を支えた。
「ごめん、愛矢。わたし、武居を連れて行って来る。二人はコンサートに行って」
大丈夫? と声を掛けながら、愛弓は武居と来た道を引き返して行った。
二人が見えなくなると、古藤が神妙な顔でつぶやいた。
「青ざめてたな」
「うん。大丈夫かな」
「武居じゃなくて、愛弓くんがさ。まるでもう奥さんみたいだ」
2
病院の待合室で、武居は愛弓にもたれ掛かって会計を待っていた。
「大丈夫? 武居」
「注射打ってもらったからだいぶ良くなったよ」
武居はまだ顔色が悪かったが、さっきよりは楽そうだったので、愛弓はほっとした。
「よっぽどファンなのね」
「え?」
「今城しのぶの」
「ああ、小学校のころからずっと憧れてたんだ」
「でもだからって、こんな高熱押して来ることないじゃない。また妬けちゃうわ」
「そうじゃないよ」
武居は少しあわてた。
「久しぶりに、愛弓とデートだったから……。だから来たかったんだよ」
「ほんと?」
愛弓は嬉しくなって、武居の顔を覗き込んだ。
「ほんとだよ」
武居も顔を上げて愛弓を見た。
「今度はダブルデートじゃなくて、二人きりで出掛けような」
「うん」
愛弓はうなずき、武居と顔を見合わせて笑った。
3
愛矢は古藤と二人、コンサートホールに入った。
「すごい人だね」
「ああ。はぐれないようにしろよ、愛矢」
二人はあまり混んでいない後ろの方の席に並んで座った。
プログラムによると、まず今城しのぶが歌って、そのあとにもう一人の歌手が歌うらしい。
「わたし、コンサートって初めてなんだ」
古藤の席の方へ体をかたむけて、愛矢は小声でささやいた。
「おれもだよ」
「先輩、デートとかしたことないの?」
「ない」
ステージに今城しのぶらしき女性が姿を現すと、遠慮がちな拍手が起こった。
「へえ」
今度は古藤が愛矢の耳元に顔を寄せる。
「アイドル歌手のコンサートって、もっとぎゃあぎゃあうるさいもんかと思ってたけど、案外みんな静かに聴いてるんだな」
愛矢は無言でうなずいた。確かに、ホールはしんとしていた。今城しのぶの歌声だけが広い場内に響き渡る。どこか悲しげな、けれどとてもきれいな歌声だった。
「何か、武居が夢中になるのわかるな」
愛矢はため息のようにつぶやいた。古藤も満足そうな顔をしている。
やがて今城しのぶの歌が終わり、次の歌手が出て来た。その途端、ホールの空気は一変した。わっと歓声が上がる。まるで嵐でも起こったかのような大騒ぎだ。歌手の名前を大声で怒鳴る人もいる。
愛矢と古藤は思わず耳をふさいだ。
「何なんだ、一体。さっきまでおとなしく聴いてたくせに」
耳に手を当てたまま古藤が言った。
歌手の方は、まったく動じることなく歌っている。こちらも観客に負けないくらい、うるさい歌だ。
「さっきの人は静かな歌だったから、みんなも遠慮してたのかな」
愛矢は耳から手を離して古藤に答えたが、またすぐに戻した。とても耐えられない。我慢が限界に達した二人は、こっそりホールを出た。
「いやー、参った」
古藤は目が回ったような顔をして首を振った。
「おれはやっぱり花の方がいいな。心が安らぐ」
「歌では安らがない?」
「うーん。歌によるかな……」
「最初の歌は良かったよね。今城しのぶさんの」
「ああ、あれはなかなかだった。特にタイトルがいい」
古藤らしい感想だと愛矢は思った。最初の歌のタイトルは花の名前だったのだ。
「もうお昼だね」
時計を見上げて、愛矢は古藤に聞いた。
「何か食べる?」
「ああ。……ところで、これはおれがもらってもいいのかな?」
古藤はコンサートの間中、武居からあずかった花束をずっと抱えていたのだ。武居が今城しのぶに渡そうと思って用意した花だ。
「……良くないと思う」
「冗談だよ。しかし、歌手に渡すとしても……どこへ持って行けばいいんだろう?」
愛矢もこういうコンサートには来たことがなかったので、どうすればいいのか見当が付かなかった。
「多分、どこかホテルに泊まっているんだろうから、そこへ持って行けば?」
「そうだな。さがしてみよう」
その前にまず昼食を取ろうということになって、愛矢と古藤はホールの外にあるレストランへ向かった。そして、二人共入り口で立ち止まった。
「あ……」
愛矢は思わず声を上げた。今城しのぶ本人がそこにいたのだ。
「ああ、良かった。ここで渡せそうだな」
古藤は安堵のため息をついた。が、窓に近い席で外を眺めている彼女に、いつまで経っても近付こうとしない。
「どうしたの?」
そんなに花を手放すのが惜しいのだろうか。
「いや……おれがこれを渡したら、何て言うか……プロポーズみたいじゃないか?」
「わたしが渡すよ」
愛矢は古藤から花束を受け取り、今城しのぶに近付いた。
「あの……」
今城しのぶが振り返る。
「なあに?」
「これ、受け取っていただけませんか。友達に、あなたに渡して欲しいって頼まれたんです」
話し掛けながら、愛矢は今城しのぶにピンク色の薔薇の花束を差し出した。
「友達も今日、あなたのコンサートを見に来るはずだったんですけど、体調を崩して……とても残念がってました」
「まあ」
今城しのぶはふっと笑い、愛矢の手から花束を受け取った。
「ありがとう。とってもきれい。その人、わたしの好きな花を知っててくれたのね」
それから、遠い目をして付け加えた。
「わたしにも、まだファンがいたのね……」
「あなたの歌、とても良かったですよ」
いつの間にかそばまで来ていた古藤が言った。
「ありがとう。あなたたち、中学生?」
二人はうなずいた。
「若い子がわたしの歌を聴きに来てくれるなんて嬉しいわ。お友達にも、ありがとうって伝えてね」
愛矢と古藤は頭を下げ、今城しのぶから離れた。
食事を終えてレストランを出ると、外は大分暮れていた。夕風はまだ冷たい。
「夜桜でも見に行くか?」
辺りを見回しながら、古藤が提案した。
「うん。でも、武居が気になるな」
「愛弓くんが付いているんだ、大丈夫さ」
ぶらぶらと歩き出した古藤のあとを追おうとして、愛矢は足を止めた。五十メートルほど離れたビルから立ち上る煙を目にしたからだ。そして、そのビルから飛び出して来た女の人を。――それは、今城しのぶだった。
しのぶは愛矢と目が合ってはっとしたようだったが、すぐに何事もなかったかのような顔になり、走り去ろうとした。
「待って!」
愛矢は彼女の後ろ姿を呼び止めた。
ビルが燃えている。今城しのぶのすぐ横で……。
「……あなたが火をつけたの?」
しのぶはゆっくりと、無表情の顔を振り向けた。
「だったらどうだって言うの?」
そのまま再び背を向けて立ち去るしのぶを、愛矢は黙って見送るしかなかった。
気が付くと、古藤が背後に立っていた。
「先輩、火……」
いつの間にかビルの火の手はおさまっていた。見ている間にもどんどん弱まり、もうほとんど消えたと言ってもいいくらいになった。
「おれはやってない。きみだろう」
そういうことにしろ、と言いたいらしい。どちらにしろ、早くこの場を去った方が良さそうだ。
「あの人が火を……。このことをもし、武居が知ったら……」
路地に入り込みながら、愛矢は自分でも何を言っているかわからずに口走った。
古藤は何も言わなかった。愛矢はその目を見上げた。沈黙が続くまま、二人は長い間そこにたたずんでいた。
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