Ⅱ 開演の前に

 1


「いい? じゃ、見せて」

「全然だめだよ。ワンペアだもん」

「じゃーん、おれなんかフルハウスだよ」

「わたしはフラッシュ」

「くっそー、負けたか。もう一回やろう」

 あらかた人形を作り終えると、小道具係のメンバーたちは暇になり、教室でトランプをやり始めていた。愛矢も誘われたが断って、クラスメートたちのにぎやかな笑い声を背中に聞きながら教室を出た。

「花壇に行ってみようかな……」

 古藤はきっと、練習の合間にも花の世話は欠かさないはずだ。手伝えることがあったら手伝って、そうだ、出来上がった人形も見てもらおう。愛矢は弾む足取りで階段に向かった。

 けれど、彼女は古藤に会いに行くことは出来なかった。階段の踊り場まで降りた時、女子生徒が男子生徒を平手打ちする場面に出くわしたのだ。

「ばか!」

 叫んだ女子生徒の方は知らない顔だったが、頬を押さえておろおろしている男子生徒には見覚えがあった。同じクラスの小野尾慶紀けいきだ。二人は何だか険悪な雰囲気で向かい合っている。

「怒るなよ、和菓子わかこ。だって、おれ、ほんとにわからなくて。おまえが何考えてるのか……」

「だったら一生考えてろ!」

 吐き捨てると、女子生徒は向きを変え、階段を駆け降りて行った。

「あー、もー、何だって言うんだ!」

 小野尾は両手で髪をぐしゃぐしゃにかき回した。

 ――何なんだろう、と愛矢も思った。

 それから、小野尾は愛矢に気付き、気まずそうな顔をした。

「小野尾くん、何か困ってるの?」

 距離を置いたまま、愛矢は聞いた。

「うん……ちょっとね」

「もし、わたしで良かったら、話を……」

「いや、いいよ。恥ずかしい話だし。ごめんね、変なとこ見せちゃって」

 小野尾はくるりと後ろを向いた。立ち去る様子はない。愛矢は彼の背中をじっと見ていた。やがて小野尾がためらいがちに振り返った。

「ちょっとだけ、話、聞いてくれる?」

 愛矢は無言でうなずいた。


 2


「きっかけは指輪なんだ」

 しおれた様子で小野尾は話し出した。

 二人は階段の一番下の段に並んで腰掛けていた。皆劇の練習に励んでいるので、人通りはない。小野尾の声だけが薄暗い廊下に響く。

「おれが誕生日にプレゼントした、おもちゃみたいな指輪なんだけど、すごく気に入ってくれてて、デートのたびに着けて来て……かわいいんだよなー、ほんとに和菓子は」

 彼の話はすぐに脱線した。これでは悩んでいるのかのろけているのかわからない。

「でも、先週から、あいつ指輪着けてくれなくなったんだよ。何度わけを聞いても黙ってるだけで。おれ、無性に腹が減って、どうせおれのやった安物なんか着けたくないんだろって、つい口走っちゃったんだ」

 腹が減った? 腹が立ったの間違いじゃないか? ――若干引っ掛かるところはあったものの、愛矢はあえて指摘せず、黙って聞いていた。

「あー、どうしよう。あいつ怒らせちゃったよ。どうしようー!」

「謝ればいいよ」

「そりゃもちろん謝るけど、あいつ様子がおかしいし、もしかしたら、おれが嫌になって別れたいとか思ってるのかも……」

「そんな……」

 愛矢が答えに詰まった時、廊下の方からパタパタと足音が近付いて来た。

「あれっ」

 顔を見せたのは一人の女子生徒だった。確か、愛弓と同じクラスの……。

「愛弓ってば、何やってんのー。今日は衣装合わせでしょー」

「え?」

「二人っきりでこそこそと……。武居くんに言い付けちゃうよー」

 人差し指を振りながら、彼女はそのまま立ち去ろうとした。

 小野尾が目を丸くして愛矢を見た。

「笛吹さん、彼氏いるんだ」

「いや、あれは私のことじゃなくて……」

 愛矢が説明しようとした時、女子生徒が「あっ」と声を上げて引き返して来た。

「あー、ごめんね。間違えちゃった」

 どうやら気が付いたようだ。

「愛矢ちゃん、ね。ほんと、愛弓にそっくり」

 愛矢も相手の名前を思い出した。篠沢しのざわ真梨恵だ。愛弓とは特に仲がいいらしい。

 このところ忙しくしていて、愛弓とはろくに口を利いていなかった。どうなっているんだろうと思い、愛矢は真梨恵に聞いてみた。

「小道具が荒らされたんだって?」

「あっ、そうなの。やんなっちゃう。盗まれたり、壊されたりした物はなかったんだけどね」

「その後は?」

「ううん、あれっきり特には」

「そっか。良かった」

 あれっきり何もないなら、大したことではなかったのだろう。愛弓ももう犯人さがしはあきらめたに違いない。

 ――先輩の言ったとおり、ちょっとしたいたずらだったんだ。きっとそうだ。

 小野尾は所在なげに座ったまま、愛矢と真梨恵を交互に眺めている。

 その時、ふと何かを感じて、愛矢は後ろを振り返った。

「どうしたの」

 真梨恵が首をかしげて愛矢を見た。

「何だか誰かに見られているような気がして……」

 小野尾が立ち上がり、廊下の端まで確かめに行ってくれた。

「誰もいないよ。気のせいじゃない?」

「……そうかな」

 だが、あれは間違いなく視線だった。誰かが愛矢たちの話を聞いていたのだろうか――。

「笛吹さん」

 小野尾に呼ばれて、愛矢は我に返った。

「あ、何?」

「話、聞いてくれてありがとう」

「ううん。わたし、役に立てなくて」

「全部ぶちまけたら気が晴れたよ。もう一度、和菓子と話してみる」

 小野尾は軽く手を上げ、昇降口に向かって歩いて行った。

 愛矢が教室に戻った時、トランプ大会はまだ続いていた。

「笛吹さん、用事終わったの? 一緒にやらない?」

「三人じゃつまんないよー」

 彼らは愛矢に気付き、また声を掛けてくれた。

「うん……」

 少し迷ってから、愛矢はうなずき、ゲームの仲間に加わった。


 3


「お、ツリーか」

 リビングに入って来た晴樹が声を上げた。愛矢と愛弓がクリスマスの飾り付けをしている最中だったのだ。

「あさってはもうクリスマスイブだもの。明日は演劇祭初日。わたしのクラスの劇は、イブのトップバッターなのよ」

 愛弓が一番大きな星をツリーのてっぺんに載せながら言った。何度かはずしては、向きを調整している。

「愛弓はジュリエットだってな。父さんもおしゃれして見に行くよ」

「おしゃれなんかしなくていいよ。父さんはそのままで充分……」

「充分かっこいいって? 嬉しいこと言うねえ、愛矢」

 充分派手だ、と愛矢は言いたかったのだが。

「愛矢のクラスはくるみ割り人形だったね。若いころ、母さんとくるみ割り人形のバレエを見に行ったことがあるよ」

「へえ、ママと?」

 愛弓が晴樹の話に興味を示した。

「まだ愛弓たちが生まれる前だから、ずいぶん昔のことだ……」

 晴樹は感慨深げに言った。

「愛弓ー、愛矢ー、早くご飯食べちゃいなさい。パパもー!」

 ダイニングから八重子が呼んでいる。晴樹がはいはい、と返事をして飛んで行った。

「家族四人でクリスマス過ごすの初めてね」

 愛弓が愛矢に顔を近付けてささやいた。

「去年まで、わたし、ママと二人きりでパーティーしてたわ」

「わたしは、父さんと」

 二人はくすっと笑った。

「今年は武居も来るし、部長もきっと来るわ。にぎやかなクリスマスになりそうね」

 愛弓は出来上がったツリーをもう一度丹念に眺め、うん、と言ってドアを閉めた。


 4


 ――そして、十二月二十四日。いよいよクリスマスイブ。

 演劇祭二日目は、前日と同じく、青空の広がる快晴の日となった。

 二十三日に劇を済ませてしまったクラスは、あと二日、他のクラスの劇を見ていればいいだけなので楽である。愛矢のクラスは最終日に出番があるため、ずっとばたばたしていなければならない。

 小道具係は特に大変だった。くるみ割り人形は小物が多いし、何せごたついているので、別のクラスと混じってしまわないように管理するのも一苦労だ。

 せわしない中、愛矢が愛弓の姿が見えないことに気が付いたのは、開演十五分前のことだった。


 5


「愛矢、愛弓を見なかった?」

 愛矢が舞台裏の楽屋に行くと、武居が真っ先にそう聞いて来た。

 愛矢は首を振った。

「朝、一緒に来たけど、そのあとは見てないよ。いないの?」

「さっきまでいたんだけど……どこ行っちゃったんだろ。もうすぐ幕が開くのに」

 武居が時計をちらっと見て、不安そうにつぶやく。

 愛矢も時間を確認しながら言った。

「愛弓は責任を投げ出すような子じゃないよ」

「わかってる、だから、何かあったんじゃないかって」

「まさか、また誘拐とか?」

「そうじゃなくてさ。ほら、十日くらい前、講堂が荒らされてた事件があっただろ。愛弓、しつこくそのこと調べてたみたいだから」

 二人はしばらく黙り込んだ。

「わたし、愛弓に呼び掛けてみるよ」

「やめとけよ」

 そう言って愛矢を止めたのは――どこから現れたのか――劇の台本を手にした古藤だった。

「今ここで機械が狂ったら大変だろ。ばかだな」

「だけど……」

「愛弓くんはおれがさがして来てやるから」

「わたしも行くよ」

「いや、愛矢には他にすることがある」

 古藤は脇に掛けてあった衣装を取り、愛矢に投げてよこした。受け取った愛矢は目をぱちくりさせてそれを見つめた。

「まさか……」

「愛弓くんが来るまで、きみがジュリエットの代役をやるんだ」

「そんな、わたし、お芝居なんて」

「家で愛弓くんの練習見てたんだろ。せりふはだいたいわかるはずだ。忘れたら、適当にアドリブでごまかせ」

 言い捨てて、古藤はさっさと行ってしまった。

「そんなこと言ったって……」

 愛矢は途方に暮れて武居を振り返った。

「どうしよう」

「……もう時間がないよ」

 武居は頼りない声でつぶやいた。それから、気を取り直したように愛矢を見た。

「愛矢、やってくれる?」

 愛矢はため息をついた。

「やるしかないみたいだね」

 開演のベルが鳴った。

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