Ⅰ 演劇祭

 1


 クリスマスの演劇祭について話があったのは、古藤が話題に出した日の翌日だった。超能力で予知したのだろうか。週明けまでに、やりたい演目を考えておけとのことだ。来週中に役割分担を決めて、次の週から練習に入る。生徒たちの間から歓声が上がった。その日は一日、クラス中がクリスマス祭の話題一色になっていた。

 そして、家でも……。

「クリスマス祭、愛矢のクラスは何をやることになったの?」

 愛矢がリビングに入るなり、愛弓が尋ねて来た。古藤の予知能力は大したものだ。どこに行ってもクリスマス祭の話が出るのだから。

「うちのクラスは決まったわよ。ロミオとジュリエット」

「愛弓がジュリエットで、武居がロミオ?」

 愛矢は冗談のつもりで言ったのだが、愛弓は目を丸くした。

「どうしてわかったの?」

「ああ……きっと似合うだろうなって思ったんだ。主役なんてすごいね、愛弓」

 愛弓は嬉しそうにふふっと笑った。

「ありがとう。それで、愛矢のクラスは?」

「まだ決まってない。来週までに考えて来いって」

「これから準備が大変ね。でも、わくわくするわ。こういうのって大好きなの」

 愛弓は古藤と違って純粋にクリスマス祭を楽しんでいるようだ。

「わたしは少し心配だな」

 愛矢はつい、本音を漏らした。

「人前に出るのは苦手だし。舞台に立つより、裏方の方がいいな」

 愛弓は気遣うように愛矢を見た。

「愛矢にはこの学校に来て初めての大きな行事だものね。体育祭と文化祭は色々あって参加出来なかったし」

 愛矢も愛弓も、その時期はニューヨークの事件に掛かりっきりだったのだ。

「クラスにはもうなじめたの?」

「みんな親切にしてくれるけど……」

「気の合う友達は出来た?」

 愛矢はあいまいに首を振った。秘密を持っていることの後ろめたさが、知らず知らずのうちに、クラスの子に対して壁を作ってしまっていた。

「それなら、クリスマス祭はみんなと仲良くなるチャンスじゃない?」

 愛弓は愛矢にぐいっと顔を近付けた。

「愛矢はいい子だもの。よく知れば、みんな愛矢が大好きになるわ」

「……ありがとう、愛弓」

 頑張ってみるよ、と愛矢は言った。


 2


 翌週、愛矢のクラスでも演劇祭の演目を決める話し合いが持たれた。

「クリスマスなんだから、クリスマスの話がいいよな」

 委員長の二階堂にかいどうがそう言ったため、議論はそこからになった。

「クリスマスの話って言ったら、やっぱクリスマス・キャロル?」

「ちょっと重くない?」

「マッチ売りの少女とか」

「青い鳥も確かクリスマスの話じゃなかった?」

「結構あるね、クリスマスの話」

 クラスメートたちが盛り上がる中、愛矢はふと隣の席の小野尾おのおの様子が気になった。普段なら話し合いの中心にいるような男子なのに、今はぼんやりと頬杖を突き、ため息ばかりついているのだ。

「どうしたの?」

 愛矢が尋ねると、小野尾は「え」と言ってこちらを向いた。

「あ。えーと……何でもない」

 それから顔を正面に戻し、また盛大なため息を吐き出した。

 さらに問いただすのははばかられた。よけいなお世話かもしれない。愛矢には話したくないかもしれないし……。だめだな、と愛矢は思った。頑張ると言ったのに、どうしても一歩引いてしまうのだった。


 3


 古藤の言ったとおり、十二月に入ると、授業の時間は大幅に削られた。代わりに劇の練習漬けの毎日である。

 愛矢は結局、小道具係になった。志願者がちょうど一人足りなかったのだ。愛矢が割り当てられた材料を持って家に帰ると、武居が来ていた。

「やあ、愛矢」

 リビングを覗いた愛矢を振り返り、武居は片手を上げた。

「こんにちは。入っていいかな」

「どうぞ。今、休憩中なんだ」

 愛矢は荷物をテーブルの上に置いた。

「二人で劇の練習?」

「せりふがすごく多いの。絶対どっかでとちっちゃうわ」

 愛弓が台本を手に不安そうにぼやいた。

「大丈夫だよ、愛弓なら」

「失敗したらおれがカバーしてやるから」

 愛矢と武居が励ますと、愛弓は真剣な顔でうなずき、また台本を読み始めた。

「愛矢のクラスはくるみ割り人形だって?」

 武居が愛矢を見て聞いた。

「うん、クリスマスのお話だからって。わたしは本番までにくるみ割り人形を作る係になったんだ」

「大変だな。でも、愛矢は器用だし」

「わたしは不器用だって言いたいの?」

 愛弓が台本から顔を上げて武居をにらんだ。

「愛弓も器用だよ。きみが作るお菓子は、他の誰も真似出来ないような個性的な味がするもんな」

「もう!」

 二人のやりとりを笑って聞きながら、愛矢も自分の仕事に掛かった。


 4


 十二月が半分過ぎるころには、どのクラスの練習も本格化して来た。みんな、普段の授業では考えられないほど熱が入っている。学校全体が別世界になってしまったようだ。事件が起きたのは、そんな時だった。

 ――十二月十五日。

 劇の行われる講堂が、何者かによって荒らされていたのだ。

「一年生の小道具がしまってある部屋がめちゃくちゃになってたのよ。うちのクラスと、あと、二組の白雪姫の小道具も」

 そう報告する愛弓と、愛矢と武居が、二年生の古藤の教室に集まっていた。

 今は休憩時間で、作り掛けの張りぼてに囲まれた古藤以外、教室には誰もいない。

「ふーん。誰だか知らないが、散らかしたら片付けるべきだよな」

 古藤の受け答えは相変わらずのんきである。

「わざと散らかしたのかもしれませんよ」と武居が言った。

「何のために?」

 古藤はおざなりに問い返す。

「劇が気に入らなくて、やめさせようとしてるとか」

「ああ、そういう奴もいるかもな。おれには理解出来ないけど」

「犯人がわからないと物騒だわ」

 愛弓が横から口をはさんだ。

「で?」

 古藤の声音が若干不機嫌になった。

「おれにどうにかしろとか言うんじゃないだろうな」

 愛弓は期待に満ちたまなざしを古藤に向けた。

「だって、部長なら、そんなの簡単でしょ」

 古藤は持っていたトンカチを投げ出した。

「おれはそういうことはしないって言ってるだろ。これだから人に知られるのは嫌なんだ、まったく」

 愛矢と武居ははらはらしながら愛弓の顔をうかがった。彼女がかっとなりやすい性質であることを知っていたからだ。

「誰にも知られずにやることだって出来るでしょう。部長は優秀なんだから」

 案の定、愛弓はむきになって反論した。

「困ってる人がいるのよ。助けてくれたっていいじゃない」

「ただのいたずらだ、調べる必要はないよ」

「でも……」

「おせっかいはやめろよ。きみの悪いくせだ」

 よせばいいのに、古藤があおる。

「何ですって!」

「愛弓、もういいよ」

「武居は黙ってて」

 一喝されて、武居は引き下がった。愛弓は完全に切れている。

「部長は冷た過ぎるわ」

「冷たくて結構」

「冷血漢!」

「愛矢、黙ってないで何とか言えよ。愛弓って一旦怒り出すと止められないんだから」

 武居が困りきって振り返ったが、そんなことを言われても、愛矢だって困ってしまう。

「いいわよ、二度と部長なんかに頼まないから!」

「待てよ、愛弓」

 走り去る愛弓を、武居が追って行く。

「愛弓は正義感が強いんだ」

 取り残された愛矢が弁護した。

「わたしは好きだよ、愛弓のそういうところ」

「負けん気も強いけどな。それに無鉄砲だ。武居も苦労するよ」

 古藤の言い方には非難ではなく、親しみがこもっているように感じられた。

 愛矢は古藤の隣にしゃがみ込んだ。

「ところで、愛矢は小道具係だって?」

「うん」

 突然まったく関係ないことを言い出した古藤だったが、愛矢も慣れているので気にせず会話を続ける。

「先輩は大道具?」

「ああ、去年もそうだった。多分来年もそうなるだろうな」

「先輩、受験するの?」

「しないよ」

「じゃあ、高校もここに通うんだね」

「いや、高校に上がるつもりはない」

「就職するの?」

「うーん、どうかな。働くのは確かだけど」

「そうなんだ」

 古藤が受験しないと聞いてほっとしたのも束の間、結局は会えなくなると知って愛矢は落胆した。

「何だ、おれが学校辞めたらさびしいか?」

「うん。さびしい」

 古藤は目をぱちくりさせた。

「あんまり素直に反応するなよ。返答に困るだろ」

 何と言われても、さびしいものはさびしい。愛矢は立てたひざを強く抱えて丸くなった。――先輩がいなくなったら、さびしいよ。

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