失ってから初めて気付く、大切なもの

 まだ蒸し暑さの残るとある夕暮れ時、かつてはバイト先で楽しみも辛さも共にした友人と食事を摂っていた。


 お互いがアルバイトを辞めた後でも、交流は続き、たまに現在の境遇や思いについてを話し合う、そんな付き合いは続いていた。


 体が大きく、歯に衣着せねような語り口の友人は、時に怒りを刺激されることはあれども、一緒にいて心地よかった。


 少しばかり財布の中身を気にするファミレスで語ることは、何年たってもくだらないもの。


 最近見た映画や漫画、アニメなどの感想。職場にいる面白おかしな人々との交流。


 古き良き友人たちの今について。


 全く関係ない周りの者からすれば、面白くもなんともないような会話なんだろう。それこそ、月夜に吠える猫の鳴き声と変わらない、些細で当たり前のようなもの。


 それでも、俺たちにとっては楽しく、かけがえのないものだ。


 思い出を共有して、思いを感じあったからこそ、過ぎ去っていく日常ですら、弾むような語り口となるのだ。


「最近なんだか、前髪が後退しているような気がしてさー」


 自虐めいた報告を俺は行う。


 ある程度の歳を重ねると、髪の毛の残量に日々向き合い、焼き畑のような虚しさが露わになる未来を、怯えるようになるものだ。


 二十代男性の会話の中には、「俺だいぶハゲてきたんだよねー」といった内容のものが、度々増加していく。


 もう若かりし頃とは違うのだという諦念で言うのでは、実のところないのだ。


「俺ハゲてきたんだよねー」その言葉の裏には、「でもまだ大丈夫だろう」という、相反する気持ちからもたらされる。


 いやー困ったなハゲてきたわと言いながら、まだ大丈夫だと思うからこそ、昔に比べてハゲてしまった自分をネタにできるという、度量を示すために言っているのだ。


 本当にハゲが進行してきた人の「俺ハゲてきたんだよね……」にはもう誰もツッコめない。悲哀と同情を買うだけである。


 ハゲには不十分な者から出るそのセリフは、「まだそんなにハゲてないじゃん」という、安心感を抱けるツッコミを待つ、いわば誘い受けのようなものだ。


「……そうか」


 友人の反応に、俺は少々拍子抜けをした。


 自身の心を守るために欺瞞が見破られたのかな。


 恥ずかしさに、口をつぐんだ。


 とはいえ、会話はアドリブで流れ行くもの。


 その後も一定の温度を保ったまま、楽しい晩餐は続き、最後に会計を行なった。


 払い終えた後の友人は、心なしか表情が硬く、内なる葛藤を抱えているように感じた。


「この際だから言うわ」


 吐き出されたのは、覚悟の言葉だった。


 一体なんのことだろう?


 のんきにも、俺は友人が何を言いたいかなんて、推し量ることすらしようと思わなかった。


 ただ、友人から下される裁定を、悠長にもまっていた。


 やがて、本音がもたらされる。


「お前は前髪だけがやばいって言ってるけどさ、後頭部やばいぞ」

「……え?」


 俺は、一瞬何を言われたのかわからなかった。


 後頭部がやばい? そんなバカな。もう二十年以上共にある頭がやばいなんて。


 けれど、俺には今確かめるすべはない。


 後頭部を自分では、お目にかかれないのだから。


「今日な、俺は前髪だけがハゲてきているっていうとんだ勘違いに、ほんまやきもきしたわ。ううううんーって我慢したけどもう限界やった」

「う、嘘だ」

「嘘だと思うなら、確かめてみれば?」


 帰りの道では、生きた心地がしなかった。


 思わずなんども後頭部に手を置いて、撫でるように動かして安堵した。


 きちんとこの触感は髪の毛を捉えている。長い長い友達を確かに感じている。


 驚かせやがって。


 そんな気持ちで、自宅に帰り、洗面台の鏡に後頭部を映すが、振り返れば自分の顔しか見えないのだから、当然後頭部は映さない。


 百均で買った手鏡を携え、再びの挑戦。


 二枚の鏡が合わさる時に見えた光景は




 無残なる焼け野原だった。


「きゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」


 全体的に残る髪量は申し分ないのだが、問題なのはその密度の差であった。


 つむじを中心としたセントラルパークには、人口減少の煽りでドーナツ化現象を体現していた。


 もうちょっと都会の中心に住んでもいいんやで、と思った。


 毛根が死滅したわけではない。ただ細く柔い髪質なため、実際の量以上に面積が狭く見えて、当時長かった髪は、自らの重みに耐えきれず首を折り、それこそが不自然な空洞を生み出していた。


 なんてこった。


 俺は愕然とし、よく働かない頭で、先ほどまで夕餉を共にした友人に電話をかけていた。


 数コールの末、友人が出てくれても、気持ちは全く晴れなかった。


「どうした?」

「俺の後頭部、ハゲでした」


 きっと涙混じりの声だっただろうが、全てを悟っていた友人は、優しい言葉すらもかけてはくれない。


「何? 今まで誰も教えてくれなかったの?」

「……うん」

「はあっ」


 友人は一回ため息をつき、言った。


「お前今まで





 真実を言わない偽善者しか友達いなかったん?」



 あああああああああああああああああ。


 俺は、俺の人間関係とはなんて薄っぺらなものだったのだろう。


 この勘違いハゲを、ハゲって罵ってくれる厳しく優しい友を、俺は持っていないんだと絶望した。


 くそっなんて世の中だ。夢も希望もないじゃないか。


 真実に打ちひしがれた俺を救ってくれたのは、やはり偽善者にはならない友人だった。


「大丈夫だ。俺だけはこれかれからも、お前のことをハゲネタで弄っていくから」

「と、友よー」


 と一瞬思ったのだが。


「ってそれはやめろや!(大人気ないマジギレ)」




 こうして、自分のことをきちんと知らない身の程知らずは、



 前髪が徐々に後退してきたハゲ候補から



 後頭部に砂漠を飼うハゲ野郎へと、正しい認識を得たのであった。



 真実というものは、時に痛みを伴う。


 けれども、満たされる嘘や欺瞞に紛れようとも、正しいことを正しいと言える、そんな世の中であってほしい。


 もし勇気付けられた方がいらしたら、あなたも勇気を振り絞ってほしい。


 怖がることはない、人は多かれ少なかれ、真実を求めているのだから。


 声を合わせて、精一杯の愛を込めて、いってみよー。





 このハゲーッ!!




 こんばんは。


 遠藤孝祐(ハゲ)です。


 その後、ビクビクしながら行きつけの美容室に行ったところ、姉御は笑いながら言ってくれました。


「後頭部がハゲてるって? あっはっは。昔と全然変わんないよ」


 よ、よ、よかったー。


 ん?


「ちょっと待ってください。ってことは昔からハゲてるってことですか?」

「あ、うん」


 うんじゃないが。


「で、でも逆に言えばこれからも大丈夫ってことですよね」


 ポジティブに生きなきゃならない時もあります。


 けれども、姉御は。


「いや。髪が柔らかくて、量が少ない。これは生まれつきだとは思うけど……きっとハゲるね」


 ……


 上げて落とすな(血涙)。


「そんなあんたに、髪を育てる作用を配合した、ヘアトニックは如何ですか? 現状を維持するだけでなく、養毛作用があるよ。少々お高めの6800円だけど、どう?」


 はんっ、と私は鼻で笑いました。


 ハゲとは言わば、背負ったカルマであり、宿命とも言える抗い難い呪いの血です。じいちゃんがハゲている隔世(覚醒)遺伝を舐めるでない。


 もはや意味もわからない開き直りをした私は、戦争に赴く騎士のごとく、毅然と言い放ちました。


「買います!」


 日々重なっていく出費が、また一つ増えた。


 そんな不毛たる出来事であった。

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