黒い騎士
「ほらほらぁ!」
女は巨人を嬲っていく。
自らの倍はあろうかという身の丈の人型兵器を物ともせず、まるで獲物を追い立てて快楽を得る貴族のように、じわじわとカズキを責めたてていく。
「特異点ってもこんなもんかぁ!?」
右に、左に黒い刃を突き立てる。巨人もそれに合わせて回避していく。
余裕の表れか。
女がオペラを朗々と歌い上げている。いやに甲高い、耳障りな声だった。
アメイジング・グレイス。
聖なる賛美歌。
なんたる皮肉か。
生を弄び死を撒き散らすバケモノが、神を讃えようなど。
それとも自らを讃えているのか。
戦場に響く歌声と、巨人の舞踏。
女は謳う。
私の施しが、お前の心の恐れを解き放つと。
女は謳う。
お前の命が終わる時、喜びと安らぎを手に入れると。
甘い死の誘い。
カズキは拳を握り締める。窮屈なコックピットの中で、怒りに打ち震えている。手のひらの皮膚が破けて血が滲んでくる。黒い情動がますます濃くなっていく。
眈々と反撃の隙を探し続ける。
黒い刃が舞い続ける。右、左、左、正面、左、右。それから一呼吸。
ここだ。
「––––!」
女のこめかみにバックナックルを撃ち込む。
手応えはあるが、ダメージは無いだろう。それでも攻撃を積み重ねていかねばならない。そうしなければ、奴を殺せない。
「ふぅん、少しはやるのね」
女の顔に張り付いていた薄ら笑いが剥がれた。ダメージこそないにせよ、女のプライドは砕くことができたようだ。
「なら、少しだけ本気を見せてあげる」
そう告げると、突然女の体から黒い霧が噴き出した。霧は渦巻き、やがて女の身体の表面に降り積もっていく。
黒い鎧の巨人が、そこに立っていた。
まるでイブのようで、しかしイブよりも洗練されたフォルム。継ぎ目のないフルプレートアーマー。西洋の騎士を思わせる、高貴で流麗な姿だった。
荒い呼吸音。
それと共鳴するように、強化外骨格が異音とともに疲労したような低い唸りを発している。モニターの中でAIが、随分前から警告を繰り返している。
『活動停止まで、あと一分。破損箇所多数。二七の動作パターンを遂行できません』
どの道あとひと結びで生死は決するのだ。走り、殴ることができれば問題はなかった。
幸い、戦闘に支障のある不可動作は殆どなかった。左のハイキックをかますときに、大分無理な体勢を取らなければならないくらい。
相対するは黒の騎士。
異形のフルプレート。
身の丈三メートル以上はあるだろうか。カズキが騎乗するイブと同程度の体躯。それが三十メートルほど間をとって、互いを睥睨している。
『活動停止まで後四十秒』
カズキは蹴り足に力を込める。腰を落とし、強襲の体制に入る。
「––––!」
唐突に、視界が黒に染まる。
咄嗟に首を左に捻る。
その勢いを利用して、半身も左に流す。
鋭い黒のランスが横切る。
遅れて空気を切り裂く音。それから暴風が機体を襲った。
右肩部をわずかに抉られる。
人工筋肉が切れる。運動能力が落ちた、とAIが報告している。
構わず左腕を振り切る。
黒騎士は今の突撃で運動エネルギーを使い果たし、速度が落ちている。片脚も浮いたまま。
フック気味に放たれた、ボディを穿つ渾身。
騎士の横っ腹に一撃が突き刺さる。
バランスを崩し、横にくの字に折れ吹き飛ばされる。
間髪入れずに追撃に走る。
瞬間、黒い刃が閃く。
「––––っ!?」
激しい揺れがカズキを襲う。
爆発のような衝撃。頭から血が出て、頰を伝うのを感じる。
左腕破損。
完全に捥がれた。
きりもみ状に回転する機体を抑え、どうにか片膝を立てる。
再び相対する二つ。
『活動停止まで後三十秒』
無慈悲なカウントダウン。
カズキは思考を加速させようとする。
しかしそれは叶わない。
何度も何度も瞬間思考状態に移行しようとするが、ただただ頭の中は空虚と怒りに満たされたままだ。
以前から違和感はあった。
例えば、山中訓練でのこと。
丁型イブに乗った旧隊員をゴム弾で狙った時のこと。あの場面、瞬間思考を用すれば確実に当てられた状況。だがカズキは外した。
瞬間思考を使えなかったのだ。
原因は分からない。
今までこんなことは起きたことがない。
それからというもの、使えると使えないを繰り返した。瞬間思考はカズキにとって不確実な技となっていった。
「つまんない奴」
女が唐突に言い放つ。
「なんでこんな弱い奴に、陽子が殺されたんだろう。しかも、こんな粋がっただけのガキが特異点? 女王様も見る目ないね」
特異点? 女王様?
何を言っているんだ、こいつは。
「まあ、いいや」
一瞬の出来事だった。
黒い塊がイブの腕を掴む。反応すらできなかった。
結局、遊んでいただけなのだ。
わざと攻撃を回避させ、獲物の反応を見て楽しんでいただけ。嗜虐趣味の延長。警察との戦いなど、所詮娯楽にしか過ぎないのだ、この女には。
「お前はここで見ていろ。仲間の死にゆく姿をね」
下半身に衝撃。
黒い刃がイブの膝から下を刈り取った。
次いで腕に衝撃。
巨人は乱雑に転がされた。身動きすら取れない黒い騎士が翻り、翔び去っていく。死を撒き散らしに。
「––––––––っ!!」
獣の咆哮。
騎士はそれを一顧だにしなかった。
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