対峙
『虹彩認証。司法巡査森田和希と確認。スタンバイモード解除。マスターモードベータに移行』
AIの冷たく平坦な音声が告げる。
対準災害駆除用強化外骨格甲式改。
イブという名の黒い巨人。
装甲車に手足をつけたような無骨なフォルムは、その堅牢さを物語っている。
だらりと垂れ下がった長い腕は、その凶暴さを思わせる。
その躯体に火が灯る。
その目には復讐のともしび。
電流が駆け巡る。
電気エンジンが始動する。
全身に仕込まれた生体金属が、その電圧に呼応して形状を変化、鉄塊に命を吹き込んでいく。
黒い巨人は小さく腰を落とす。
僅かに重心が前に傾く。
それとほぼ同時に巨人は地を蹴り上げた。
つま先型に跳ねあげられたアスファルトが、弾丸のように打ち出され内壁を穿った。
爆発的加速。
機体は一瞬で時速六十キロにまで到達し、やがて最高時速百キロの世界へ。
放たれた矢は一直線に標的に向かっていく。
敵はただ一人。
人型ヴィクターの女。
空気抵抗でぶれる上体を抑え込む。
ものの数秒で目標を補足する。
騎乗者が小さく動く。
イブがそれを読み取り、弓を引き絞るような動作を取る。
ナックルアロー。
イブは女の頭めがけて拳を叩き込む。
「ようやくおでましね」
女は上体を反らせ、それを難なく躱す。
巨人は女から間合いを取る。
が、それは無意味な話だ。
視界の下から黒い壁がせり上がる。
女の体内から湧き出た生体金属、それがアッパーカットの要領で巨人の頭部を吹き飛ばしにかかる。
「––––ッ!」
イブは腕を交差させ咄嗟にガード。
受けきれなかった衝撃が、巨人を浮き上がらせる。
女がその隙を見逃すはずがない。
間髪入れずに放った生体金属の一撃は、巨人の胴体を貫かんとする黒い槍へと変化していく。
「うおらぁ!」
その時、もう一人の巨人が現れる。
小島警部補だ。
小島はイブに蹴りを入れて無理やり、浮き上がった機体に運動エネルギーを与えた。
作用と反作用。
わき腹に、黒槍が掠める。
「馬鹿が! 死にてぇのか!」
機体の姿勢を素早く立て直し、女に向き直る。
二対一の構図を警戒してか、女の追撃はなかった。
「森田! 邪魔すんじゃねえ!」
小島の武は、剣道の強さだ。
剣道に二対一はない。だからこそ、連携して戦うことに慣れていない。
一と一を足しても、必ずしも二になるとはならない。
呼吸の合わない者同士が共闘したところで、足を引っ張り合いかねない。
この戦いでは、少しの呼吸の乱れは死を意味していた。
「……」
しかしカズキは答えない。
ただただ女を静かに見据えている。
小島は心の中で舌打ちする。
話に聞いてはいたが、ここまで重症とは。
森田カズキは今、暗い復讐心で満たされている。
確かにカズキには、単独で人型ヴィクターを撃退した実績がある。現在、この基地内で人型ヴィクターを相手にするのにこれ以上の適任者はいないのかもしれない。
だが小島は懐疑的だった。
こんなメンタリティの男に、本当に任せても良いのか、と。
これまでこの人型と対峙していた小島だからこそ分かる。
この人型ヴィクターは、警察側が想定していたよりも遥かに強い。以前現れたモノと比べ、数段上手なのは間違いない。
このまま戦わせるのは危険すぎる。
このまま森田カズキが怒りに身を任せ戦い続け、その先にあるものは一体なんだ。
死。
その一文字が頭にこびりついて離れない。
硝煙の臭いが充満している。
マズルフラッシュの瞬き。秋晴れの高い空に、一筋の煙が出立ち上っている。
まんじりともせず、睨み合う三人。その場だけ時間が止まってしまったかのよう。
『小島!』
静寂を切り裂く声。
無線通信が入る。
「前田か!」
『その場は森田に一任し、その他のヴィクターの殲滅に向かえ!』
耳を疑う。
まさか、若者を犬死させろと?
「しかし! このままでは––––」
『小島!』
小島の反駁は、しかし悲痛な叫びに遮られた。
『もう、これしかない。これ以上隊員を失えば、もうこの基地は…….!』
その言葉で現状を把握した。
もう既に、殉職者が出ているのだ。それも恐らくは多数。
苦肉の策。
森田を捨て石に、時間を稼ぐ。
「……分かった」
苦渋の決断。
ここは戦場。
時には非情な選択を強いられる。
「森田。死ぬなよ」
無茶な要求だということは分かっている。それでも言わなければ気が済まなかった。
巨人は、小さく頷いた。
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