邂逅

 何時間か後、部隊を乗せたバスがようやく基地についた。

 寺坂雫はバスを降りた。

 それから大きく伸びをする。狭い車中で固まった体をほぐす。野郎ばかりでむさ苦しかった空気からも、これでようやく解放される。

 警視庁警備部機甲機動部隊辺見基地。

 都心から程遠い郊外にあるそれは、機甲機動部隊の訓練施設である。都内各署に異動した隊員達も、非番の日はここで訓練に勤しんでいる。

 いわば、ここが対ヴィクターの要。

 警察庁内にある対策室が頭脳だとすれば、ここは脳の命令を実行する身体そのものである。

「はぁ、ようやく帰ってきた。クソ疲れたっつの」

 悪態を吐く寺坂だったが、どこか名残惜しそうな色を含んでいる。

 これからはまた、花のない基礎体力作りが始まる。イブに騎乗することは当分ないのだ。下手をすれば、次の機会は来年である。

「集合!」

 中隊長の号令。

 隊員達は速やかに整列し、気を付けの態勢をとる。

「これにて、第四回山中訓練を終了する。この訓練を通して、それぞれ自分たちの課題を見つけたことと思う。今後、その課題を如何に乗り越えるか。それを思考し、意味のある日々を送るよう」

「はい!」

「そもそも、人間とは……」

 始まった。

 寺坂は辟易とする。

 また中隊長の長話だ。この人は事あるごとに話したがる、喋りたがりなのだ。寓話や教訓のある出来事を引用して話すのだが、無駄に長い。学校の校長みたいな無駄さである。

 無駄は言い過ぎだが、そのくらい嫌われていることを分かって欲しい。

 特にこの状況。

 心身ともに疲労し、皆一刻も早く帰りたいであろう状況下。

 上司じゃなかったら、寺坂ならば殴りかかっているであろう。

「人間は考える葦だ、とパスカルは言った。つまり、考えることを辞めた時点でそれはただの葦。人間では無くなるのだ。先の訓練で課題を見つけたのならば、それを打開するために考えなければならない。人間とは考えることで成長する生き物だ。ならば––––」

 まだ続くのか。

 大体がこの調子。しかも有名どころの話からの引用なので、話の内容も大概分かってしまうから輪をかけてつまらない。寺坂は欠伸を噛み殺すのに苦労する。

 課題、か。

 確かに課題は見つかった。

 強化外骨格、イブをもっと乗りこなさなければならない。

 騎乗訓練で、これまで学んできたことの全てをぶつけた。結果は上々。教官も大したもんだと太鼓判を押した。

 それでもまだ足りない。

 自分の身体と同様に、意識せずとも動かせるようにならなくてはならない。でなければ、本気の殺し合いを演じることは出来ない。機体と一体化しなければ、迫り来る敵に本気の一撃を繰り出すことなど不可能だ。

 森田カズキが遭遇したという人型ヴィクター。

 奴を殺せなければ、誰かを守れなければ、機甲機動部隊員である資格はない。

 警察法には、警察は国民の身体、生命及び財産を守るとある。これを成し得なければ、警察は警察たる大義を失う。

 人型ヴィクターに負けるというのは、警察としてあってはならないことなのだ。

 寺坂は、幼い頃から警察に憧れを抱いていた。人を守る、という信念への憧れ。

 武の道を歩んでいた寺坂にとって、警察官になることが最上の道であると感じていた。

 それに、あいつも。

 晴れて警察官となったとき、両親も喜んでくれた。なにより自分自身も嬉しかった。

 ようやくこの道に立ち、人の役に立てるのだ。剣の道は人を守るためにある、と父親に言い聞かせられ続け、寺坂自身もそう思ってきた。

 この腕を、誰かのために振るうことができる。これ以上の幸せはなかった。

 唯一心残りだったのは、試験で親友を蹴落としてしまったことだ。

 寺坂が受験した時、女性警察官の枠は一名のみ。多くの危険を伴う警察官という仕事に女性を就かせるのは、という当時の世情を反映したものだった。

 正直クソ喰らえ、と思った。

 女だから、男だからという時代は終わったんじゃないのか。女に戦う意思がないと、誰が決めたんだ、とも。

『大丈夫だよ、雫ちゃん。私は絶対に諦めないから。来年でも再来年でも、絶対に警察官になる』

 彼女がそう言ってくれたから、良かった。寺坂の合格も心から喜んでくれた。

 その彼女も翌年、見事試験に合格した。全ては順風満帆だった。

 あの日までは。

 寺坂はカズキを見遣る。

 訓練で一発の銃弾を外したあの時から、カズキの様子は明らかにおかしかった。丁型イブに挑む前、あれだけ自信に満ち溢れていた男が、それ以降全く覇気をなくしていた。

 以前、こんな噂を耳にしたことがある。

 森田カズキには特殊な能力があって、時間を止めることができるらしい。上層部はそれを知っていてあいつをスカウトし、不正に合格させたらしい、と。

 正直言って、そんな馬鹿話を信じる気はなかった。あり得ない、与太話だ、とも。

 人型ヴィクターが出現し、それを森田カズキが討伐したと聞いた時、真っ先にこの噂が思い浮かんだ。

 熟練のイブ乗りを殺したヴィクターを、ペーペーの新人が倒すなど、到底あり得ない話だったからだ。

 本当にそんな力があるのかもしれない。

 超人的な能力を持った天才。

 ならば。


 何故仲間を守らなかったのか。何故見殺しにしたのか。目の前の人間を守れなくて、何が警察官か。


 お前がもっと早くその力を発揮していれば、あいつも……。

 目の前のものも守れなくて、何が力だ。

 しかしその言葉は、自分の心をも深く突き刺した。

 カズキを敵視するたび、自分自身の非力さを恨む。その場に居られなかったのは、自分が弱かったからだと。

「––––以上! これを以って訓練を終了する。隊員は速やかに休息し、以降の訓練に励むよう」

「中隊長にぃ、注目! 敬礼!」

 いつの間にか有難い訓示も終わったらしい。

「解散!」

 ようやく全てから解放される。

 隊員達も三々五々散らばっていく。今日と明日は皆オフとなる。久しぶりの連休に、自然と心が沸き立つ。

 自室に戻って思いっきり寝てやろう。いや、シャワーが先だ。久しぶりに湯船に湯を張って、体を癒そう。甘いものも食べたい。アイスでも買って、風呂で食べよう。

「寺坂」

 吉田が声をかけてきた。

 実は、別段吉田と仲がいいわけではない。

 同期として同じ釜の飯を食った間柄ではあったが、同じく武の道を往く者として時に衝突もしてきた。

 ライバル心もあったが、なによりその性格が気に入らない。

 ネチネチした物言いが嫌いだ。男ならハッキリと物を言え、と何度も怒ったこともある。

 今は共通の敵、カズキの存在があるから一時休戦としているが。

「なんだ」

 ぶっきらぼうに言う。早く帰りたかった。一人の時間が恋しかった。

「あれ、柊ちゃんじゃないか?」

「なに!」

 思いもよらぬ言葉に、慌てて吉田が指差す方を向く。

 そこには車椅子に乗った女性と、白衣をまとった中年の男、それから若い女が一人。

「どうして……?」

 柊由紀に間違いなかった。

 どうしてここに。

 遠目ではあるが、以前病室で会った時より一段とやつれたように見える。快活だった少女の面影はもうない。目を背けたくなる現実だった。

 一団は、こちらに向かって歩いている。

 一人は見たことのある人物だった。白衣の男、確か病院で見かけたことがある。

 だが、もう一人の女。こちらには心当たりがなかった。対策室の人間だろうか?

 それにしてはラフな格好をしていた。白いシャツにデニムのパンツ。仕事とは思えない、まるで一般人のような出で立ちだ。

 柊と視線が合う。

 何かを訴えるような目をしていた。

 口が動いている。

 口パクで何か言っているみたいに。

 パッ、パッ、パッ。

 アー、アー、アー。

 パッ、パッ、パッ。

 アー、アー、アー。

 その繰り返し。

 寺坂がそれをモールスだと気がついた時、既に隣から影が一つ飛び出していた。


 森田カズキ。


「–––––ッ!!」

 それは、到底人のものとは思えぬ、ケモノのような咆哮だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る