黒血

 矢野は三島に対し、現場には来るな、と言った。つまりは、現場では出来ないことを三島にやれと言っているのだ。

 机の上が三島の戦場。ならばそこで死力を尽くすほかない。

 考えろ。

 必要なこと。

 必要でないこと。

 取捨選択を間違えるな。

 常に最悪の状況を想定する。

 まず、二人が敵に囚われていない可能性は排除する。

 その場合は二人をしこたま絞ってやればいいだけの話。教会にはフォローを入れておく。それは三島の仕事だ。

 銀英署に設置された捜査本部に戻る。

 ここの最高責任者である七海は、現在別件のため東京に戻っていた。今指揮を執れる立場にあるのは三島だけ。

 本来ならば警察庁の対策室に一報を入れ、指示を仰がねばならない状況。

 しかし、事態はひっ迫している。

 もしかすれば、同胞が敵に囚われているかもしれないのだ。正式に捜査をするための手続きなど踏んでいる場合ではない。

 必要な手順をすっ飛ばす。

 本部には事後報告だ。

「山平小隊、出動だ」

「はい!」

 待機していた機動隊の一面に出動命令を発する。

「丁型一機、乙型二機。速やかに発進。丁型は矢野警部補の補佐に当たれ。乙型は指定場所にて二級装備のうえ待機せよ」

「了解!」

 男たちは速やかに取り掛かる。

 もしかすれば人型ヴィクターとの再戦となる。自然と表情も険しくなる。この部隊は過去、仲間を奴らに奪われているのだ。

 三島は携帯を取り出す。

 成田を問いただし、二人が新谷羅にやら教会に赴いたことは確定した。

 新谷羅教会は、確実に梨山議員と繋がりのある施設であると目される。

 が、必ずしもヴィクターを囲んでいると断定できるわけではない。家宅捜索でもすれば何かしら見つかる可能性が高いが、まさか令状が取れるはずもない。

 山梨はまだ黒ではない。限りなく黒に近いグレーだとしても、確証がない限りは法的措置はとれない。

 重要なのは出会い頭の一回。

 相対する者が何者であるかを見極める。その判断は矢野に任せなければならないが、そこからどう展開するのかは、三島が動かす。

 しかし最悪を想定するならば、まだ足りない。

 ヴィクターは居る。そう考えた場合、そこが活動拠点なのか、ただの潜伏先なのかで変わってくる。

 どう動くにしても保険は必要だ。

「もしもし、父さん」

 かけた先は、三島の父親。三島玄三。

 三島家は古い華族の家系で、父親は財界の重鎮。政界にも強いつながりを持つ人物である。

「……なんだ」

 不機嫌な声。

 叱られているようだ。三島は、自分が幼子に戻ったような錯覚を覚える。

「父さん、頼みがある。とある議員に話をつけてほしい」

「お前の要望を叶えて、俺に何の利益がある?」

 玄三は、三島が警察官になることをよく思っていなかった。自身の跡を継ぐべく育てたはずのムスコが警察なんぞに、と思っているのだ。

 ありがちな話だ。

 父は俺に興味はなく、ただ単に跡取りが欲しかっただけ。会話は最低限。愛情を受けた、という記憶は全くない。

「俺、今準災害生物対策室にいるんだ」

「ほう?」

 露骨に声色が変わる。

 玄三の経営する会社の系列には、金属製品を扱うものもいくつかある。いわゆる重工と呼ばれる会社だ。

 ヴィクターから採れる生体金属の取り扱い許認可を出すのに、対策室も一枚噛んでいるのだ。

 現代において、一番価値のある商品。

 その取り扱い権は、どの企業も喉から手が出るほど欲しいはずである。

「……」

 玄三も勿論それは理解しているはずだ。

 実際、考える間もなく飲み込む条件なはずだ。ただ議員に話をつける。その程度の労力で金鉱を掘れるのだ、やらない手はない。

 考え込んでいるのは、ただのポーズ。父親としての威厳を演出しているだけだ。

「話を聞こう」

「駄目だ。了承を得ないと話せない」

「ふざけるな! 詳しい説明もなしに商談を成立させようなど!」

「父さん!」

 三島は電話越しに頭を下げた。

「頼む! あんたしか居ないんだ!他に何も望まない、これだけでいい。これだけは、どうしても必要なんだ!」

 懇願。初めての頼みごと。父親に対して絶対に弱みを見せないという、わずかなプライドを棄て、ただただ頼み込む。

「………………」

 長い沈黙。

 やがて唸るような声が聞こえる。

「これは、貸しだぞ」

「分かった」

 第一のハードルは突破。





 矢野は珍しく緊張していた。

 対策室が立ち上がってからというもの、現場に立つことが殆どなくなった。

 後進の教育。

 退職を意識する年齢になってから、そればかりを考えて仕事をしていた。

 まさか最前線復帰の一発目が、ヴィクターの潜むかもしれない施設への訪問とは。

 隣には機甲機動隊の山平が控えている。服の下には例の装備。

 反対に、自身は気休め程度の防弾チョッキを着ている程度だ。

 急遽手配した装備にしては充分だと思うしかない。例えそれが、ヴィクターに対して全くの無力だったとしても。

 とにかく不自然さを与えてはならない。

 ここで重要なのは、施設の人間が本当に人間なのかを見極めることだ。

 三島の判断が杞憂なのか、それとも。

 大きく息を吐き、目を閉じる。

 大丈夫だ。

「行くぞ」

 内ポケットに仕込んだ無線を飛ばす。

『了解』

 三島の短い返信を受け取る。そして、矢野は呼び鈴をならす。

「はーい」

 間の抜けた声。

 さあ、鬼が出るか蛇が出るか。

 磨りガラスの戸が開く。妙齢の女。確か施設長の落合とかいう名前の。

「どちら様ですか?」

「どうも、警察のものですが」

 女は表情を崩さない。

 人間は、不意を突かれると必ず動揺する生き物だ。警察という非日常が日に二度も訪れるなど、誰しもが心の不安を掻き立てる。

 平静を取り戻すにはしばらく時間がかかる。

 その間隙を突く。

「実は、この辺りにヴィクターが発生する可能性があることが判明しまして」

 ヴィクター、という単語を出して反応を見るが、女はただ怪訝な顔をしているだけ。

「あら! 大丈夫なんですか? 子供たちが心配だわ」

 嘘をつく人間には、癖がある。

 よく言われるのは、嘘をつく時に右上を見る。あるいは瞬きが増えるとも。

 また、虚言癖のある人間は、自分の言葉を肯定するような言葉を頻繁に口にする。

 はい。うん。など嘘を真実だと思い込むために、無意識で出てくる言葉だ。

 注意深く観察する。

 癖は、出ていない。

「ええ、ですから注意喚起を。それから、周辺の住民の皆さんにこれを」

 そう言って矢野がポケットからあるものを取り出した。

「簡易的なソナーシステムです。交番や駐在所に設置されているものと一緒のものです。ここの施設は避難場所になる可能性もありますので」

「はい」

「使い方を説明しましょう。このボタンを強く押してください。そうすると」

 赤いボタンを押下。人間には聞こえない周波数の音が発生する。遠くから犬の鳴き声が聞こえてくる。

 聞こえるものにとっては大音量の騒音のはずだ。それをこの至近距離でまともに受ければ、何かしらの変化を見せるはず。

 矢野は女の表情を見逃すまいと目を凝らす。

「なるほど」

 安堵の表情を浮かべる女。

「これがあれば、あの怪物は襲ってこないんですよね? テレビの特集で見ましたよ」

「ええ、その通りです」

 早合点だったのだろうか。

 女は一切反応を見せない。

「……つかぬことをお聞きしますが、今朝ここに警察官が二名立ち寄りませんでしたか?」

「はい。来られましたよ」

 即答。

 ここで隠すようなら、強行突破もかんがえたのだが。

「実は、この辺りで警官を偽って訪問するという事案が発生していましてね。参考に、どんな話をされましたか?」

「まあ!」

 驚いたような顔。

 これが芝居なら大した役者だ。



『ソナーシステム作動を確認!』

『了解。発進せよ』



 その後も矢野は揺さぶりをかけ続けるが、女は全く尻尾を出さない。本当にこちらの勘違いだと思えるくらいだ。

 現場で培った手練手管を駆使しても、女は何もボロを出さなかった。

 癖がない。

 なさすぎるくらいだ。

 なくて七癖、と言われるくらい、人間は心の動揺を表に出してしまう生き物なのだ。必死で隠せば隠すほど、必ずその綻びが仕草に現れる。

 だが、こいつにはその兆候が一切現れない。梨山の教育の賜物なのか、別の要因なのかは分からない。

 もし本当にこれがヴィクターという生き物なのだとしたら、これほど恐ろしいことはない。

「それでは、我々はこれで」

「ええ、ご苦労様でした」

 別れを告げる。

 知能のあるヴィクターというのは本当に厄介だ。人間社会に紛れ込んでしまわれては、判断のしようがない。早急に対策を講じようにも、サンプルが少なすぎる。

 はっきり分かるのは。

「ご協力ありがとうございました」

 矢野が手を差し出す。女は戸惑ったが、握手に応じる。

 握られる手と手。

 柔らかい女の手だった。

「あれ、ちょっと待ってください」

 女をとどめおき、矢野は距離をとった。

 手のひらを見る。仕込まれた針に付いた血の色は、黒かった。

「三島、頼んだ」

 無線を飛ばす。針を捨て、両手で耳を塞ぎ、大きく口を開ける。鼓膜を破らないための措置。

「え?」

 女が頓狂な声をあげる。

 マズルフラッシュが森の奥から見える。

 着弾、爆発音。

 キーンという耳鳴りが止まない。

「目標の死亡を確認!」

 山平が叫ぶ。

 女の首から上が見事に無くなっていた。

『突入!』

 無線からがなる声。

 潜伏していたイブ乙式が二機、林の向こうから現れる。手には対戦車ライフル。これが女の頭を吹き飛ばした。


「扉を発見!」

『警戒態勢を取りつつ、突入せよ』

「了解!」

 地下へ続く扉を開け、その向こうへ進んでいく。闇に階段が伸びる。

 暗がりに一つ、人影が見えた。

「––––よく、頑張った」

 その姿を見て、矢野は思わず敬礼をした。

「どう、して……こ、こ」

 今にも消え入りそうな、弱りきった声。

「これだ」

 矢野は手にしていた機械を見せてやる。

 それは、タイヤが二つ付いた奇妙なマシンだった。

「ドローンだ。こいつに、透視レーダーを付けてある。もう一人も既に発見済み。ちゃんと、生きてるぞ」

「よか、った」

 そう言って小倉は、意識を手放した。

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