指揮官の資質

 初めは小さな違和感だった。

 小倉からの着信。生憎電話に出られない環境だったので、少し経ってから折り返した。

 結果は不通。

 電波が届かないところにでもいるのだろうか。しかし、留守電にも残さないのは彼らしくないと思った。この署に来て彼と連絡先を交換した時も、律儀な子だったという印象が強い。

「あの、小倉巡査に連絡をつけたいんですけど」

 地域課に出向き、交換手に尋ねてみる。

「小倉ですか? えー、今日は休みですね。ちょっと電話かけてみますね」

 交換手がダイアルする。何度も、何度も。しかし電話は繋がらない。

「おかしいなぁ」

 交換手も首をひねる。警察官は、いついかなる時事件が発生するか分からないため、絶対に携帯電話の電源など切らない。少し遠出するにも承認が必要なくらいだ。小倉がそれを知らない訳がない。

「最近石原と一緒に、妙にこそこそやってたからねぇ。もしかすればそれ関係かもしれませんな」

 小倉が何をしていたか、三島は把握していた。ヴィクターの捜査だ。本人たちは隠していたつもりだろうが、こちらからすれば筒抜けも良いところだった。

 彼らがヴィクター捜査に入れ込む気持ちは分かる。仲間を奪われれば、誰だってそうだ。

 だからこそ、強く言えなかった。

 言う資格も無いと思っていた。

 彼らの持っている情報が、大したことのないものだというのもあったが。

 だが、状況が変わった。

 初めに連絡が来てからもう五時間は経っている。ここまで音信不通というのは、何かが起こったと思うのに充分な時間だった。

 もし、彼らが人型ヴィクターに接触していたら。

 彼らにはそれに抗う術はない。

 そうしたら、彼はまた。

「GPSを確認できますか?」

「やってるんですが、反応がありません」

 地域課の職員もにわかに騒ぎだす。警察庁の人間、特にヴィクター捜査に携わっている三島がこれだけ焦っているのだ。何かが起こっている、という空気を察したらしい。

「小倉が、どうかしたんですか?」

 呑気な声がした。

 見ると、扉のそばに制服姿の警察官が立ち尽くしていた。

「おお、成田。終業か」

「はい。拳銃を納めてきたんです、けど……。なんかありましたか?」

「それがな、お前の同期の小倉と連絡が取れなくてな。まったく、何をしてるんだか」

 地域課課長が状況を説明する。課員に何かあれば、課長の指導力不足も問われかねない。

「小倉と石原なら、うちの駐在所に来ましたけど」

「何!? 」

 三島が成田の肩を掴む。

 微かな怖気。嫌な予感がする。

「まさか、変なことに首を突っ込んだりしてないよな?」

「え、いや、えーと。な、なんだったかなぁ?」

 シドロモドロの成田。大方二人に口止めでもされているのだろう。まどろっこしい。とにかくこの予感が杞憂で終わればいいが。

「君の担当している地域は!?」

「上堂上地区ですけど……。え、何ですか?」

 上堂上。確かそこには。

 血の気が引いて行く。

 何故俺は止めなかったんだ!

 彼らの暗躍を知っていたというのに!

 三島は地域課を飛び出した。

 懐から携帯電話を取り出す。かけた先は矢野。

「矢野さん! まずいことになったかもしれません!」

 あれ以降、矢野とはまともに話をしていなかった。答えを見つけるまで、話しかけてはいけないような気がしていたのだ。

 しかし、今は緊急時だ。

「どうした?」

 あからさまに焦った声を聞き、矢野も真剣な声で問う。

「上堂上です! 例の、梨山の!」

 上堂上には、梨山がここ数年寄付をしている孤児院があった。それも莫大な金だ。表側には慈善家にしか見えないが、三島たちは何か裏があるのではないかと疑っていた。

「地域課の若い連中が嗅ぎ回っていたんです!」

「な……!」

 矢野も予想外のことに絶句した。

 しばらくの沈黙。三島もあらゆる可能性を考える。

 梨山の関係者に見つかって監禁されている?

 あり得ない。警察を敵に回して、彼に何の得がある。

 梨山があの孤児院に隠している何かを発見した?

 可能性はあるが、限りなく低いだろう。あの梨山が簡単に見つかるようなところに、重要な何かを隠すとは思えない。

 人型ヴィクターと会敵した?

 考えうる中で、最悪の可能性。

「とにかく、俺も––––」

「いや、お前は残れ。現場は俺たちの仕事だ」

「そんなことを言っている場合じゃないでしょう!?」

「こういう場合だから言っているんだ。お前の仕事はなんだ? 国家公務員試験に受かり、警察庁に入庁したお前の仕事は。現場に出ることか? 違う。机の上で指示を出すことだ」

「それは……!」

 分かってはいた。自分の適性がそこにある事も理解していた。理を詰め、状況を俯瞰で見て、指示を送る。それが組織の中で自分が輝く方法なのは分かっていた。

 それでも。

「考えるな、考えろ」

「それって……」

 矢野が三島に投げかけた言葉。その答えは、未だに出ていない。

「死を考えるな。こんな仕事だ、死ぬくらいはあらぁな。それは皆覚悟してんだ。誰の責任でもない、自分自身の意思でな」

 考えるな。

 部下の死を、考えるなということか。

「七海さんを見てみな。いつだってどっしりしている。あの人はお前の何十倍も、部下の死を背負ってるんだ」

 七海室長補佐。室長が離席している間の、実質の司令長だ。まだ、ヴィクター対策が完璧ではなかった頃、彼の指令で多くの警察官が命を燃やした。そうしなければ、市民の命を守れなかったからだ。

 それでも冷徹に、七海は指令をくだし続けた。冷酷に、表情一つ変えずに。

 七海はもう決めているのだ。死んでいった彼らの望んだ世界を実現させる、と。だから止まらない。

 修羅の道を往くのだ。

「上の人間は、時に感情を殺さなきゃならん。部下に死ねと言わねばならん。だからこそ、自分の命を軽く扱ってはならないんだ」

 それは、死んでいった者たちのため。部下に命をかけさせたのならば、その人間は、それに見合うだけの生き方をしなければならない。

 死に場所を求めているものに、命を預けるような者はいない。

「お前は上に行くんだろう? それがお前の野望なんだろう? だったら、それをやれ!」

 三島の野望。

 師の汚名を晴らすこと。

 そのためには、警察を変えなければならない。旧体制からの脱却。それこそ彼の悲願。

「……矢野さん」

 三島は深く息を吸い込んだ。

 逃げている暇はなかったのだ。

 理想の実現のためには、最短距離で駆け上がらなければならない。どうしても叶えなければならない。出世の道、長官への階段を。自分自身のため、何より師のために。

「命、預けてもらえますか?」

 覚悟を決める。

 人の上に立つ、ということがこれほどまでに震えることとは思わなかった。甘くみていた。

 責任とは、刃物のようなものだ。

 時にはまげを切り、時には指をおとし、時には腹を切る。それができなければ、多くの者の上に立つ資格などありはしないのだ。

 これから先、幾度となく怖気付くだろう。血を被ることに慄くだろう。

 だが。

「……おう」

 信じてくれる人がいる限り、立ち続けられる。力を与え続けてくれる。

 そしてそれは、時にして敵を穿つ刃となる。

 何十、何百と寄り集まれば、巨大な牙城を打ち崩す一本の刀となり得るのだ。

「とりあえず、矢野さんは新谷羅にやら教会へ! こちらからは応援を出します。とっておきのやつを、お見舞いしてやりますよ!」

 死の可能性を考えては立ち止まってしまう。指揮官が立ち止まってしまっては、彼らを無駄死にさせてしまう。

 だから考えない。

 最善の策を、指揮することだけを考える。

 考えるな、考えろ。

 それが三島の出した答えだった。

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