拷問

「ねぇ、知ってる? 歯を抜くときの痛みって、人間が感じ得る痛みの中でも最も耐え難い苦痛なんだって」

 落合は、椅子に縛り付けられた男に問いかける。

 反抗的な目つき。しかし人質に取られているもう一人の男のせいか、抵抗することはなかった。

 簡素で光の差さない部屋だった。古い石壁に囲まれた地下室。新谷羅にやら教とやらの神体の祀られている祭壇がある。

 ここなら周囲に音が漏れることはない。園児たちのお昼寝を邪魔することも。

 男を見遣る。

 確か、小倉と言ったか。

 南の言う通り可愛い顔をしている。これから起こることを想像すると、思わず胸が高鳴る。

「本当かな? 体験したことがないことは分からないよねぇ」

 気丈に振る舞っていても身体は正直だ。全身の震えが椅子を揺らし、ガタガタと音を立てる。

 これから自分の身に降りかかる事への恐れ。恐怖で心を染め上げていく。それでも声は決してあげない。

 声を発すれば仲間を殺すと言付けたから。

 何といういじらしさ。

 何と勇敢な人間だろう。

「君にはこれからそれを検証して貰います。もしも一日これに耐えられたなら、君たちを解放してあげましょう」

 彼は小さく頷く。

 嘘か真かなど、この際些細な事だ。

 責を科すならば、相応の報酬が必要となる。何事も等価交換。こちらの要望ばかり押し付けては後味が悪い。

「それから。今この瞬間を以って、声を解禁します。悲鳴は、仕方がない生理現象ですから、それを禁じるなど息をするなと命じるようなもの。不条理です」

 それに、悲鳴がなければつまらない。音のない拷問などただの自慰行為に等しい。

「最期に言い残すことは?」

 まるでここで死んでしまうかのような物言い。しかし、どうせこの後まともに喋れはしなくなるのだ。最期と言って差し支えない。

 生死を問わず。

「くたばれ、バケモノ」

 精一杯の虚勢。

 公僕としてのプライドか。

 落合は満面の笑みを浮かべる。

 ああ、この子は逸材だ。

「よろしい。では先ず、日常に起こり得る痛みから」

 表情一つ変えず、向こう脛を蹴り抜く。けい骨だけを真っ二つに折った。関節のない部分が、反対側に曲がった。

 あまりに突然の出来事だったのか、小倉はキョトンとした顔をした。下を見てようやく、自分の脚に一体何が起こったのかを知る。

 苦痛の音が響き渡る。

 まるで女の子の声。

 ボーイズソプラノの悲鳴。

 雷に打たれたような快感に、落合は酔いしれる。彼の鳴き声は、彼女の嗜虐心を大いに昂らせた。

「よく、覚えておいて。これが、基準の痛みよ。さあ、抜歯はどのくらい痛いかしら。早速、比べてみましょう」

 息が荒くなる。興奮している。劣情が波のように押し寄せる。我慢できない。本当なら純度の高い痛みを与えるため時間を置くところだが。

 駄目だ、早く悲鳴が聴きたい。

 我慢できない、早く、早く!

 無造作に手を突っ込む。歯の感触が肌に突き刺さる。小刻みな震えがこそばゆい。

 どれが良いだろう。

 上か、下か。

 どちらでも良い。

 どうせ何も残らない。

 上顎から左の犬歯を引き抜いた。根元には赤い肉がこびり付いている。

 一拍遅れて、悲鳴。

 今度はアルトを奏でている。なんて多彩な歌声だろうか。

 歯茎から鮮血が飛び散る。

 赤い涎が口角から溢れて首を伝う。落合はそれを舐めとる。舌から快楽が流れ込んでくる。

 それは甘い、極上の果汁のような味わい。

 もしも落合が以前のような生殖器官を有していたならば、間違いなく濡れているだろう。人間であった頃の名残りが、局部の感覚を再現していく。

 内臓を抉られるような快感。

 身体の芯から電流が走る。

 落合は抜きたての犬歯を口に入れる。まるでキャンディのように舌で転がす。

 何と素敵なディナーショウであろうか。

 観客は一人きり。

 この魅惑の歌声は、彼女だけのもの。

「ねぇ、どっちが痛かった?」

 しかし小倉は答えない。精神の狂乱の中で、ただただ息を荒くしているだけ。

 答えは期待していなかった。こんな状態になるのは分かっていたから。

「そう、抜歯の方が痛かったよね。それは分かってたんだ。だから、次が本番」

 その言葉に、小倉は大声をあげて暴れる。これ以上の痛みは、苦痛は耐えられない、とでも言うように。

 駄目駄目。

 まだこれは前菜。

 オードブルはこれからだ。

「とある犯罪者に、ド級のマゾヒストが居たの。それこそ、自分の陰嚢に針を刺されても性的興奮を覚えるような、真性が。でも、これだけは耐えられなかったんだって」

 落合は針を取り出した。拷問用のものは生憎持っていないので、裁縫箱からまち針を取り出した。

 小倉の華奢な手を握る。力を込めて無理やり開かせる。それから爪の間に針をあてがう。

「肉と爪の間に針を通すの。ゆっくり、ゆっくり。ほら、指先って感覚が鋭いじゃない? 神経が多く集まっているの。そこに痛みを与えると、どのくらいの激痛になるのかな? 抜歯よりも痛いのかな? どの指が一番痛いのかな? どの歯を抜くのが一番痛いのかな? ああ、気になる、気にならない? 気になるでしょう? それから爪を剥ぐ痛みも。どれも気になって仕方がない。だから、右手は針で、左手は爪剥ぎにしましょう。どっちの方が痛いのか、検証しましょう。早く早く早く!」

 針を挿入する。

 ゆっくりと、ねぶるように。

 生暖かいものが流れる。小倉が漏らしてしまった。白眼を剥いて、全身を小刻みに痙攣させている。

「ありゃ」

 落合は床に巻き散らかされたそれを啜る。苦味としょっぱさが口に広がる。

 心臓が鷲掴みにされる。

 ああ、愛おしい。

 更に奥へと針を進める。痛みが小倉の意識を強制的に覚醒させた。

 再び、ソプラノで歌い上げる。

 しゃくりとフォールが不規則に混じり、音に深みが与えられていく。

 これは壮大なオペラだ。

 人間は誰しも、内なるところに自分だけの歌を持っている。生い立ち、環境、趣味趣向、性格、性別、様々なバックボーンから描かれるそれは、聴くものの心を震わせる。

 美しい序曲の調べ。

 爪の内側から染まっていくマニキュア。どんどん女の子になっていく。

 殺すには惜しい人間だ。

 これ以上続けては彼が保たない。もっと、彼と一緒に愉しみたい。悦びを分かち合いたい。いい子いい子と愛でてやりたい。

 その考えに反するように、また別の思考が頭の中に浮かんでくる。

 もっと、もっと遊びたい。壊れてもいい。最高の一夜にしたい。私も彼も狂うまで、果てるまでやりたい。終わった後にゴミのように捨ててやりたい。無造作に、乱雑に投げ捨てたい。

 二律背反の欲望。

 ああ、どうすれば。どうすれば。

 彼がヴィクターであれば。

 強靭な肉体を持つ、私たちの同胞であれば良いのに。

 そうすればずっと遊んでいられるのに。

 とりあえず。

 次は爪剥ぎだ。これで最後にしよう。それから抜歯をして、これで最後。中指の針責め、それで最後。そして、次は。

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