山中訓練 3

 寺坂雫は息を殺して機会をうかがう。

 柔らかい陽射しが差し込む。森は静寂に満ちているが、時折葉を踏む音が、布を擦る音が、人工筋肉の軋む音が響き渡る。

 全身にツタで草木を縛り付け、簡易的なギリースーツを作ってみたものの、これもいずれ見つかるだろう。森の中を悠々と歩いているあの男は、こちらをなぶって遊んでいるだけなのだ。

 多少の数的有利があろうが、丁型の性能にかかれば些細な問題だ。

 全員捕まえるのに少し時間がかかる。ただそれだけのこと。

 丁型イブの力は絶大だった。

 投入から僅か数時間で新隊の三分のニが瓦解した。肩についた埃を払うがごとき労力で、人間など軽くいなされてしまう。

 なんと馬鹿馬鹿しい訓練だろうか。勝ち目がないのは明らか。

 仮に一体、どうにか勝てたとしよう。

 だがそれまでだ。

 その後、残りの九体を相手にせねばならない。人型ヴィクターが、連携して向かってくるようなもの。

 それを突破するなど不可能だ。

 初めからこんな訓練は完遂させる気がないのだ。

 要は教育。

 お前らなど、所詮こんなもんなのだから、もっと訓練を重ねろ。あるいは、心が折れたのならば去れ。そう言っているのだ。

 ふざけんな。

 そうそう簡単に諦めてたまるかよ。

 足音が段々とこちらに近づいてくる。ブッシュを乱雑に搔きわける音。向こうは、こちらが気付いていようがいまいが関係ないのだ。

 その傲慢さを恨め。

 相手の位置が把握できるのならば、できることはある。

 こちら側に用意された唯一の武器。それを当てさえすれば、勝ちなのだ。

 問題はどう命中させるか。

 普通に、相対して撃ったところで当たらない。相手は常に射線を避け続ければいいのだ。実際それだけの運動性能は有している。

 しかも的は頭部だけ。よほどのスナイパーでなければ射抜くことはできない。

 向こうもそれは承知の上だろう。

 これまでいくつかの隊が、玉砕覚悟の特攻を試みたのを見た。成功例はゼロ。

 当然、それ以外の策を弄さなければならない。そう考えるはずだ。

 だからこそ、正面からやる。

「森田、何のつもりだ?」

「罰ゲームです」

 カズキと男が向かい合う。カズキの手には拳銃が握られ、銃口は真っ直ぐ男を見据えている。その距離約三十メートル。丁型ならば一瞬で詰められる距離。あり得ない間合い。

 あり得ないからこそ、警戒する。

 これは罠だ、と。

 実際足元には落とし穴が設置されている。直線的にカズキの元に向かえば、かかるだろう位置だ。丁型の前にはそんなものは無意味だが、一瞬だけでも動きが止まれば儲けものである。

 男は周囲を見渡す。足元にある違和感を見つけ、ニヤリと笑う。

「落とし穴か。多少は考えたみたいだな。だが、この程度では減点だな。この訓練は対応力を測るものでもある。限られた環境で、どれだけ生き残れるか」

 そんな事だろうとは思っていたが。

 人型ヴィクターの出現により、機甲機動隊のあり方が大きく問われた。これまで害獣駆除部隊だったものが、突然SITのような対人行動を余儀なくされた。戦術訓練、部隊連携等々の新たな問題が降りかかったのである。

 そこで用意されたのがこの丁型イブなのだろう。

 いわば仮想人型ヴィクター。

 この対応如何によって、新隊の中から適正人員をあぶり出す。それが今回の山中訓練の目的である。寺坂たちはそう判断した。

 ならば、何が何でも生き残らなければならない。

 その点において、この隊の目標は一致していた。どんな思惑があるにせよ、ここで高評価をもぎ取る。それが総意だった。

『僕にやらせてください』

 カズキが言い出したのは意外だったが。

 曰く、射撃には自信があるらしい。エイムがどうのこうの言っていたが、確かにカズキの拳銃の成績は良好だ。少なくともこの中では一番の腕前であることは確かである。

 試しに一発撃たせてみた。

 悪くはない。

 だが、仕留められるとも思わない。

『偏差射撃は必須スキルなので。絶対に当ててみせます』

 カズキは絶対の自信を見せるが、保険は打たなければならない。

「さて、トラップは看破された。それからどうする? 一発に賭けてみるか?」

「そうですね。どの道一発しか許されないので」

 外せばどの道二発目はない。次弾を発射する前に組み伏せられる。

 銃把を握る手に力が込められる。撃鉄は既に起きている。どちらが先を制するか。

 当然、弾が発射してからでは回避は間に合わない。先行して動かなければならないのは向こうの方だ。

「!」

 土が抉れる。

 射線を避けるように丁型が動く。当然目の前のトラップを迂回するように。

 動きの制限。それがこの落とし穴の役割の一つ。

 左右どちらに動くか、二択を選ばせる。

 左!

 丁型の動きは瞬間的だ。一歩が恐ろしく速い。しかし弱点がそこにある。

 一歩踏み出せば、小さく方向転換が効かない。そこに何が来たとしても、次に足が地面に着地するまでは無防備になる。

 もしそこに着弾を合わせることができたら?

 それは一瞬で地獄の快速列車に変貌する。

 カズキは丁型が動き出した瞬間、あてずっぽうに銃口を向けた。

 どうやら二択には勝ったらしい。

 火薬が弾ける音が響く。

 どっちだ?

「考えが甘かったな」

 勝ち誇った男の声。

 カズキは外した。

 ゴム弾は空を切り、群生する樹木の幹にして当たって落ちた。

「うおおおおおおおおおお!!」

 カズキの後方から三人が起き上がり、襲いかかる。伏兵だ。皆即席ギリースーツを身につけている。

 しかし、丁型はカズキを見据える。避けられる自信があるのだ。

「甘いのはお前だぁ!」

「な!?」

 自身の後方から聞こえる声に、男は思わず驚いた。

 馬鹿な、人の気配は!

 心の声が聞こえるようだ。

 寺坂は飛び出した。

 落とし穴の中から。

 人は、一度決めつけた考えをなかなか訂正できない。

 自分で辿り着いた答えならば尚更。

 男は目の前の穴を罠だと言った。落とし穴であると、男は決めつけていた。

 落とし穴ならば作りは簡単だ。穴を掘って、見えないように上に何かを被せる。それだけの単純な罠。その中に人が居るわけがない。

 通常の考えならば当然だが、それこそが落とし穴。

 見落としたのだ、罠の中に潜む罠を。

 木の棒を頭に振り下ろす。

 何万何十万と繰り返した動作。剣道でいうところの面。基本のキ。

 この間合いで外すわけがない。

 ましてや相手は不意を突かれ、硬直しているのだ。

 枝が強かに打ち付ける。

「イテェ!?」

 男が頭を摩る。都合のいい太さの棒が見つからず、貧弱な枝を振るったから殆どダメージは無いはずだ。

「悪あがきをっ!」

「いやいや、これでいいんだよ」

 寺坂は男に棒の先を突きつける。その先端には、ゴム弾が括り付けられている。

 中隊長は言った。

 ゴム弾を頭に叩き込んだら死亡扱いとする、と。

 つまりゴム弾が頭に何らかの方法で当たれば、こちらの勝ち。

 拳銃で、などとは一言も言っていない。

 詭弁、屁理屈の類い。実戦では通用しない方法論。

 だが、この訓練でのみ有効な策となる。

「…………参った」

 男が手をあげる。呆れ顔だが、論理は認めざるを得ないらしい。

「うっしゃああああああああ!!」

 寺坂は声を上げる。他の者も同様に喜びを露わにする。無謀とも思えた作戦が、見事勝利をもぎ取った。

 勝った!

 この訓練、男が言った理屈ならばこれで決着はついたはずだ。対応力を測る。その目的は一体丁型を鹵獲した時点で、評価の対象になる。

 ここからは加点の領域。イブの操法訓練だ。

 寺坂はカズキを見やる。悔しいが、イブの操法ではカズキに敵うものはいない。

 教えを請うのはいささか癪だが、ここは涙を飲んでやろうではないか。

 訓練前に諍いを起こさないと約束したのだから。

 しかし、カズキは呆然としてその掌を見つめていた。

 何かおかしい、とでも言うように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る