進展

 夢を見ていた。

 平和な夢だった。

「あれ、ここ……は?」

 思考がぼやけている。二段ベッドがある。仮眠室か。

 だんだんと思い出してくる。

 昨日矢野に、くまが酷いから少し横になってこいと無理矢理連れてこられたのだ。

 睡眠不足だったのは認める。捜査に熱を入れすぎた。八月の暑さと湿気が、焦燥感を募らせた。

「三島! 来い!」

 矢野の声に飛び起きる。

 銀英警察署に置かれた捜査本部に火急の報せが舞い込んできた。

「七海補佐!」

「おう、やっちゃん! 何か分かったか!」

「ここ一年の行方不明者の数の偏りと、とある車両の行動範囲が一致しました!」

「何!? でかした!」

 この県に人型ヴィクターが登場してから一年が経過した。

 あれ以降人型ヴィクターが姿を見せることは無かったが、柊元巡査の証言により、最低でももう一体の人型ヴィクターが存在していることが明らかになった。

 準災害対策本部は、銀英警察署に捜査本部を設置することを決定。捜査の陣頭指揮を七海室長補佐、本部側の捜査員として三島、矢野が指名された。

 柊の記憶を基に作成した似顔絵を捜査員に配布し、県内全域を徹底的に洗わせた。しかし全く効果は出なかった。

 事件当時のビル周辺、及びその地域一帯の防犯カメラを全て確認したが、影すら捉えられない。

 行方不明事案の発生分布解析は、もう随分前からやっていたことだ。しかし敵もまた巧妙。殆どおかしな点、偏りがないのだ。

 そんな中、矢野が見つけた法則。

 とある車両が走っていた地域の前後五日に限り、行方不明者の出る確率が格段に高いのだ。この車両を特定するのに、かなりの時間を要した。

「それで、所有者は!」

 七海の問いに、しかし矢野は珍しく二の足を踏んでいる。

「どうした?」

「七海さん、日和らんで下さいよ」

 資料の束を机に広げる。厳然たる事実があるそこにはあった。

「こりゃあ……」

 流石の七海も言い淀む。三島も急いで資料に目を落とす。

 これは……!

 梨山輝信。六七歳。

 明治から続く実家の菓子屋を、一代で全国区の製菓会社である梨山グループへと発展させた稀代の商人。

 現在、参議院議員。

「議員か」

 議員には不逮捕特権がある。憲法で保障された権利の一つで、これがある限り議員は会期中に通常逮捕ができない。

 不運なことに、今は国会の真っ最中だ。

 任意聴取を願い出たところで、理由をつけて断られるだろう。

 少しは進んだように見えるが、実際には検察との兼ね合い、政治家の圧力等で身動きが取れなくなる可能性の方が高い。

 一歩進んで二歩下がったような状況。

「ここからは、気取られちゃなりません」

「ああ、以降の捜査は極秘裏に行わなければならない」

 そうなれば、これまで以上に捜査が難航することになる。実質の捜査員が三島と矢野二人になるからだ。

「情報が漏れた時点でこちらの負けだ。やっちゃん、車両を照会した時間と担当員は?」

「それは抜かりありません。照会担当を介していませんし、データも消去済みです」

 梨山の名前が出てきた時点でこうなることはある程度予想がついたのだろう。

「よし、なら直ぐにでも取りかかれ! 先ずは梨山の秘書、運転手の身辺調査から始めろ。奴さんのことだ。直接は手を下さないだろうからな」

「はい!」

 三島と矢野の敬礼。

 ようやく捜査に進展があった。ここまで苦しい道のりだった。自分がまるで、姿のない霧と対峙しているような感覚に陥ってさえいた。

 日本警察の捜査網をかいくぐり、ここまで暗躍するなど、これまででは考えられないことだった。

 やはりコミュニティを形成していると見るべきだろう。

 それが顕著になったのは、ヴィクターの出現率だった。

 以前は完全に不定期かつ不規則に出現していたものが、ある日を境にその出現数を減らし、しかもある程度の秩序が見られるようになったいたのである。

 その法則が意味するところは分からない。

 単に戦力不足なのか、あるいは指揮系統の存在を明らかにするためか。

 分からないことが多すぎる。

 しかしこれが成功すれば、人型ヴィクターを発見し、鹵獲し得るかもしれない。そうなればコミュニティの有無、現状の戦力の割り出し、人型ヴィクターの生態解明、それらの重要データが手に入るのだ。

 例え刺し違えたとしても。

「よし!」

 三島は気合いを入れる。

 明らかにここが正念場だ。この捜査の如何によっては今後のヴィクター対策が変わる。全滅させることだって不可能ではなくなるのだ。

「あんまり気合い入れすぎて、ヘマすんなよ」

「大丈夫です! 命に変えても成功させます」

 しかし矢野の表情は晴れない。

 どうしたんだ?

 何か心配事でもあるのだろうか。

「命に変えてもなんて、言うもんじゃねえ」

 低い声。

「矢野さん? 嫌だなぁ、比喩ですよ、比喩」

「俺が何年警察してると思ってる。分かんだよ、嘘をついている奴くらい。それに、今のお前は森田カズキと一緒だ。同じ目をしている、嫌な目だ」

「え?」

 森田と同じ。

 思いがけない言葉に固まる。

「死んでも構わないと思っている。それが自暴自棄か、責任を感じてかの差はあれどな。お前は宮石公平の死を引きずりすぎている」

「あ……」

 宮石公平。

 三島が運命を変えてしまった男。

 強引な手段で森田カズキをスカウトするがため彼の意思を捻じ曲げ、巻き込んだ。その結果が、宮石の死。

 カズキは、宮石の葬式の時にすら三島を責めなかった。全てはヴィクターの責任だと。

 本当にそうなのだろうか?

 何度も自分に問いただした。

 自分のしでかした事の重大さが肩にのしかかる。

 宮石は俺を恨んでいるだろうか。

「責任を感じるなとは言わねぇ。間接的にしろ確かにお前の判断がああいう結果に繋がったのかもしれねぇ。だが、切り替えろ。お前はこれから何千何万という人間の上に立つことになる。いちいち立ち止まってちゃ、一生前に進めねぇ。生きている人間がやらなきゃいけない事、それは歩き続けることだ」

「歩き、続ける……」

 頭では理解していても、身体が、こころが従わない。

 自分がこの道を歩き続けるとして、どれだけの人間が犠牲になるのだろう。宮石だけではない。これまで自分がスカウトした者たちの、一体どれだけ命を散らしていくのか。どれだけの血を流すのか。

 考えるだけで恐ろしかった。

 自分の命は、自分のためだけに使うべきではないのか。

「逃げているだけだ」

 俺自身も、隊員たちの命を盾にするのではなく、自分自身の命を賭して戦っていかなくてはならないのではないのか。

「死んでいった者たちを侮辱している」

「でも!」

 左頬に鋭い痛み。横っ飛びに身体が流れていく。思い切りぶん殴られた。

「目ぇ覚ませや、三島」

 降り注ぐ冷たい視線。まるで犯罪者を見つめるような。こんな矢野を見るのは初めてだった。

「例え恨まれたとしても、自分の道を進み続けろ。こりゃ命令だ。もし逃げるってんなら俺が全力で、ぶん殴ってでも止める。お前はもう、お前一人だけの身体じゃない。死んだ者の想いを運んでやらなきゃなんねぇ。平和な日本を取り戻すためにな」

「…………」

 頰が熱をはらんで鈍い痛みに変わっていく。

「自分の命を賭ける。そんなのは当たり前のことだ、若造。その上でどうするのか、それを考えるのがお前の仕事だ」

 矢野が行ってしまう。三島を置いて。遠ざかる背中。思ったより、小さな背中。

「考えるな、考えろ」

「な、にを」

「答えは自分で探せ。こればっかりは教えてやれねぇ。矜持ってやつはな」

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