新谷羅教会
ぽつぽつと民家が見える。隣家との距離が五○メートルほど離れているのが、田舎の風情を醸し出している。家以外にあるとすれぼ畑と田んぼ、それから果樹園くらいのものだ。メイン通りと思しき場所には、商店すらなかった。
その奥に、新谷羅教会が見えた。
教会、というよりは幼稚園のように見える。コンクリートの白壁平屋造り。比較的新しく建設された物のように見える。
建物の前方には広めのグラウンドが併設されている。滑り台、鉄ぼう、ブランコの遊具が設置されている横に、小さな木造の祠が鎮座していた。
新谷羅様とやらが祀られている場所なのだろう。
「あら、お二人……」
背後から声をかけられ瞬間的に振り返る。
四○代くらいの女性が立っていた。
Tシャツにデニムという出で立ち。おおよそ宗教関係者とは思えない。手には大きな荷物を抱えていた。買い出しにでも出かけていたのだろうか。
「もしかして、駐在さんが仰ってた方々ですか?」
どうやら成田が事前に連絡していたらしい。アポをとるなどすっかり失念していた。成田がやってくれていなければ、門前払いされる可能性もあったのだ。
頼りになるなぁ、成さん。
さすがは一人で駐在所を任されているだけはある。
「初めまして、倉田と申します」
「石原です」
警察手帳を提示する。
「これはご丁寧に。私はここの園長を務める落合ゆかりと申します」
妖艶な笑顔だった。小倉の心臓が密かに跳ねる。綺麗な人だ。
「急な来訪申し訳ございません。よろしければ、園内にあるリンゴの木を見せていただいのですが」
「リンゴ、ですか? それは構いませんけれど」
こちらです、と手で指し示す。どうやら案内してくれるようだ。
建物の裏手、勝手口の傍にそれはあった。
リンゴの木。
立派な大きさで、枝ぶりを思い思いに広げている。実はもうなく、葉っぱだけが残されている。
似ているような気もする、けど。
素人目には分からない。同じといえば同じだし、違うといえば違う気もする。
園長の目を盗んで、一枚拝借する。あとで詳しい人に聞いてみよう。
「ところで、これはいったいなんの捜査なのでしょう?」
落合がおずおずと尋ねる。自分の管理する施設に警察が訪れたのだ、理由を聞くのは当然のこと反応だ。
「これは極秘なのですが……」
声をひそめる。適当な理由を言って誤魔化す技量もないので、事実だけを述べる。
「ヴィクターに関する捜査を行なっています」
「まあ!」
驚いたような口調だが、あまり表情は変わらない。成さんがそれとなく伝えてくれたのだろうか。
「この辺りにあの怪物が現れるんですか? 子供たちが心配だわ」
「いえこの辺り、と言うわけでは。もしかするとリンゴに関連性があるのでは、と捜査している段階ですので」
嘘は言っていない。捜査をしているのは本当だ。公に認められていないだけで。
それにヴィクターが山間部や極端な田舎で現れたというデータはない。市街地及び住宅地等、ある程度の人口密度の高い箇所にしか出現しないのだ。不自然なほどに偏った出現パターン。しかしなにが原因なのか、未だに解明されていない。
「いざとなればソナーシステムもありますから」
通常のヴィクターならば完全に封殺できるソナーシステム。緊急時の備えとして各交番駐在所に簡易的な機械が配備されている。これを駆使すれば非難するのに必要な時間を捻出することも容易い。
ここから安全距離まで子供達を引き連れ、逃げることもできる。
ただ、小倉らが今追っている人型ヴィクターにはそれが効かなかった。
もし、この状況で人型が現れたら。
奴らの見た目は完全に人間だ。そうでないものとの区別はつかない。今現在もこの人間社会に紛れ込んで人を食っている可能性もあるのだ。
考えるだにゾッとする。
もしもそんな状況になったら、自分は、警察はどう対応するのか。
答えに窮する。
こんな捜査をしているのに、いざという時の対応を見つけられていなかった。危険を承知で捜査を行なっているんだ、とわざと考えないようにしていた。
何故なら、対応策などないのだから。
生身では絶対に敵わないのだから。
「えんちょー!」
だから。
「あら、南ちゃん。どうかしたの?」
「いえ、なんだか話し込んでいたみたいなので。荷物預かりますよ」
「あ、ごめんなさい」
その声が聞こえてきた時。
「あの、そちらの方々は?」
「ああ、こちら警察の小倉さんと石原さん。何でもヴィクターの捜査をしてるらしいの」
「ええー! お若いのに凄いですね!」
それが聞こえた瞬間、絶望がおとずれた。
「あれ、どうしたんですか? お二人さん?」
「い、いえ、あの、その」
呂律が回らない。
足が動かない。
思考が停止する。
恐怖が湧き上がる。
この声、この感情。
頭に刻み込まれた死の匂いが、もうすぐそこまで迫っていた。
「なんでもリンゴの木を嗅ぎ回っているそうで。どこから聞いたのかしら」
「ありゃ、バレちゃったんですか」
「さて、誰のせいかしら」
「え、あたしのせい?」
施設長までもが、グル。
「ねぇ、ねぇ、どうして分かったの? 証拠は完璧に消したし、カメラにも映らないよう頑張ったのに。苦労が台無し。ねぇ、どうして?」
「リンゴの葉っぱを持ってたよ、こいつら。大方あんたが気づかず引っ付けてあのビルに登ったんでしょう」
「嘘、やっちゃった? あたしやっちゃった? もー最悪、あのビル二度と行かない! せっかくお気に入りスポットだったのに、あんた達のせいだからね!」
震えが止まらない。
目の前にいるのは、人間の皮を被ったバケモノのだ。
人を殺すことを何とも思わない悪魔。
柊と、公平の仇。
憎くて憎くてたまらなかった。
何度も殺してやろうと思った。
絶対に見つけ出してやると思っていた。
のに。
「どうする、こいつら」
「うーん、取り敢えず情報を聞き出して、その後はー、晩御飯にしよっか」
「ひっ!」
恐怖のあまり喉から悲鳴が溢れる。
バケモノのニヤケ面。
こちらの恐れを嗤っている。
「君は可愛いから、飼ってあげてもいいけどぉ。あ、君は要らないか」
石原を指差す。
小倉同様、血の気が引いて蒼白な顔。蛇に睨まれた蛙のように動かない。
「情報源は一人いればいいし。あは! それとも吐き出しやすいように、目の前でゆっくり痛めつけちゃおうか!」
動け!
動け!
動け!
頭が、本能が、ここから今すぐ逃げ出せと言っている。
しかし身体が動かない。足が上がらない。杭を打ち込まれたように貼り付いてている。
覚悟していたはずなのに。
決死で臨んだはずなのに。
死の囁きは、簡単にその心を刈り取った。
愚かなことをした。
手を出すべきではなかった。
この程度の器の人間が、深入りするべきではなかったのだ。
女が小倉の方へ手を伸ばす。目を閉じる。
もう、駄目だ。
「走れ!!」
空気を震わす怒号。
小倉は弾かれたように走り出す。
あまりに唐突な出来事に虚をつかれたのか、女達は目を白黒させている。反応したのは学校時代さんざ仕込まれた小倉と。
そうだ、石原は。
いない。
隣には誰もいない。
まさか。
「逃げろ」
石原は逃げていなかった。小倉に背を向け、女達に立ちはだかるよう構えている。微かに肩が震えているのが見えた。
嘘だろ?
携帯を取り出す。
助けを呼ばなければ。
誰を?
カズキ、いや、ダメだ、あの人はここにはいない。
どうすれば?
選んでいる暇はない、とにかくどこかに知らせなければ。
一秒でも早く、誰かに!
「逃げ出せると思った?」
手にあったスマホが消える。耳元で死の声がする。
僕は––––––
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