羽化

 東京都警察病院には、日々駆除されたヴィクターが全国から送られてくる。主な目的は感染症等の病気の有無の確認である。ヴィクターの内蔵物は液状化が酷く、どんなウィルスの温床になっているか見当もつかないくらいだ。

「よお、元気にやってるかい?」

 矢野の問いかけに、しかし安西の返事はない。いつものことだから気にしない。

 部屋の向こう側にははめ殺しの窓ガラスがある。無菌室で表皮を剥がされたヴィクターの死体が保管されている。

「ん、なんだあんたか」

 ようやく安西が矢野の巣がを認識したようだ。目の下には濃いクマが浮かび出ている。ここに来てからよっぽど研究に没頭しているのか、肩にフケが大量に積もっている。

 矢野は鼻をつまんで安西から若干距離を取る。

「失礼だな、俺だって傷つくんだぞ……」

「冗談だよ」

 矢野が笑う。目は笑っていなかったが。

「で、なんか分かったのかい?」

 安西から話がある、と連絡を受け対策室を抜け出して来た。手持ちの仕事はとりあえず三島に投げた。

「分かった、というか意見を聞こうと思ってな」

「おいおい、勘弁してくれ。小難しい話は分からんぞ」

 隊列や警備配置については一過言あるが、ヴィクターについてと問われれば全く分からない。

「何、簡単だ。なんで警察はヴィクターの頭をブチ抜くんだ?」

「そりゃあ、そうしなけりゃ死にゃしねーからだろう」

「他意はないな?」

 安西の含みのある言い方。腹の底を探るような声音。

「何を言っている? 何が分かったんだ?」

「まあ、あんたは信用できる。ここの胡散臭い医者や研究者と違ってな」

「……あんた、一体何を知ったんだ?」

「奇跡的に残ったヴィクターの脳味噌の検体を調べた。コソコソと連中が隠し持ってたヤツだ。そいつをちょいと調べて見たら分かったよ。ヴィクターは、知能がある」

「何だと! バカな、そんなはずは! だったら何であんな動物的な行動を繰り返す? 説明がつかない!」

 これまで多くのヴィクターを見てきた。全てを見たわけではないが、殆ど例外なく知能的な行動をした個体はなかった。音に向かう習性だけで行動を操ることができるくらい低知能の生物のはずだ。

「奴らは幼児だ。ハイハイして、動くものに興味を持って遊んでいるに過ぎん。だからソナーシステムが成り立つ。だが、奴らは成長する。知性を持つんだ、それこそ人間みたいにな」

 人間、を強調する安西。一つの結論に帰結するような物言い。しかしそんなこと、信じられるわけがない。

「まさか、何を言っている! 馬鹿なことを言うな!」

 矢野は狼狽する。信じられない。信じたくなかった。安西の口ぶりは、どうしたってそれを想起させる。

 その可能性を、最悪の事態を。

 比喩表現ではないと言うことを。

 始まりの大災害の際、東京のコンサートホールに現れたヴィクターと共に目撃された女。どれだけ捜査してもたどり着けなかった女。

 オペラを歌う女。

「あいつらは––––」

「黙れ! あり得ない! だったら、俺たちは、警察は、殺していたというのか! 人間を!」

 安西は黙っている。その沈黙は、事実を浮き彫りにする。

 絶句する。

 そんな事が起こり得るのか?

「何故変異するのか定かではない。ウィルスなのか突然変異なのか。表皮が黒い生体金属に覆われると、内側の肉体はドロドロに溶け、脳が萎縮する。これは羽化に向けての準備段階だと思われる」

「羽化?」

「そう、彼らは蛹なのだ。そしてこれから成虫へと変態していくと思われる。そして、脳の成長と共に知能を獲得していく。彼らは生まれ変わりを体験するんだ、生体金属の子宮によって」

 つまりはあれ以上の存在が出現するということか。コンサートホールの女のように、歌を理解するような知能を手に入れるということか。

「人間並み、いやそれ以上の知能を持った最悪のヴィクターが現れる。恐らくはもう直ぐにでも」

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