襲来
それからは怒涛の日々だった。警察署各課への顔見せ、座学、研修など、スケジュールはいっぱいだった。それでもやる事なす事全て新鮮で、巡査たちもヤル気に満ち満ちていた。
先週から始まった交番勤務も様々な刺激がある。拾得物、警ら、事故処理など大変なこともあるが、やりがいを感じられた。
カズキはというと、この仕事に少し興味というか愛着のようなものが湧いていた。あれだけ後悔に苛まれたのが嘘のように無くなっている。それは、仲間に恵まれたというのが一番大きい。
同期というのはそれだけ重要だ。同じ釜の飯を食って過酷な訓練を乗り越え、絆を深めた人間が一緒にいるという力強さ、気楽さ。他の職業のそれとは比べ物にならないほどだ。
「森田くん、そろそろパトロールに行こうか」
「はい!」
ノートを閉じて返事をする。覚えなければならないことが沢山ある。田舎の交番勤務は殆ど何でも屋だから、専門的な知識を幅広く習得しなければならない。
カズキが実習生としてついた西野交番長は、定年前の好々爺で、平和な勤務生活を送っていた。
パトロールといってもこの田舎に大きな事件が頻繁にあるわけではない。抑止力のため、なんて言ってはいるものの、実際は気分転換のドライブと変わらない。
税金泥棒と罵られるだろうか。
否、現状を鑑みればこの程度のことは許されるだろう。
今現在、警察官になる奴はよっぽど酔狂な奴か、熱い正義感に燃えるやつくらいだ。公務員だからなどという理由のやつはまず入らない。殉職率が余りにも高すぎるからだ。
だからこそ、警察官はふたたび尊敬される存在になった。
一時期の不祥事などは目をつぶってでも、ヴィクターの脅威から市民を守ることのできる強い警察を、国民は望んだ。
「正直僕は定年まで無事に終わりたいんだけどねぇ」
交番長ののんびりした口調。
「犯罪者は僕たちの相手だけど、化け物退治までさせられるなんて、考えたことなかったからなぁ」
それもそうだ。交番長の世代からすればこんなもの契約違反としか思えないだろう。世の中の悪をしょっ引くための警察が、地球防衛軍になるなんて夢にも思わなかったはずだ。
「交番長はヴィクターを見たことあるんですか?」
各地で出没している、といってもヴィクターを生で見たことがある人間は意外と少ない。特に今はシステムが構築されているので、速やかな避難誘導が行われる所為もあって目にする機会は極端に少ない。
「ああ、何度かね。そりゃあえらい怖かったよ。大盾持って防衛線を張ってたけど、いつこっちに来るか、ひやひやしたもんだ」
「ですよね……」
カズキは、ヴィクターの姿はテレビでしか見たことがなかった。映画の世界から飛び出して来たような風貌。現実感がなくて、ゲームの世界みたいな光景だった。
「まあ、ここは市街地からは大分離れているから、殆どお呼びはかからないけどね。まあ、僕が生い先短いから遠慮しているだけかもしれんが」
笑っていいのか分からない冗談だ。
「あぁ、そうか。森田くん機甲機動隊志望だったんだよね」
「え、ええ、まあ」
初出勤の朝礼で将来の目標を言わなくてはならない流れになってしまい、柊の手前もあって、宣言せざるを得なくなったのだ。警察官にしてはひ弱な体型なカズキがそう宣言したものだから、多くの人の印象に残ってしまったらしい。
「でも、やっぱり危険ですよね? あんまり自信ないんですよ」
やんわりと進路変更について示唆する。目標が変わることなんてままあるから、少しずつイメージを払拭して、部隊に志願しなければならない状況を阻止するため苦心しているところだった。
「辞めたほうがいい」
「え?」
「危険な仕事だ。若い君が命を賭けなくてもいいと、僕は思うよ」
意外な言葉だった。囃し立てられることはあっても、真正面から止めるように言われるなんて。
「そりゃあ誰も止めないさ、わざわざ生贄を引き止める奴は居ないだろう? 県内で最低でも一人は部隊に引き揚げられる。だったら安牌を失うような真似は誰もしないだろうね」
基本的に部隊に入る第一のルートは志願制だ。覚悟のないものが行ったところで戦力にならないからだ。警察業務で殉職率第一位の過酷な環境なのだから、当然である。
一応人員が足りないとなった時には各署からの推薦で決定する場合もあるのだが。
「僕は不真面目な警察官だから特別そう思うだけかもしれないけど、自分の命と正義感を天秤にかけたらやっぱり釣り合わないと思ってしまう。君よりよっぽど死に慣れた僕がそう思うんだ。若者はもっと死の恐怖を感じないわけない、なんて思ってしまう」
もちろん、そうだ。
大半のものは若くして死にたいなんて思わない。
カズキだってそうだ。
「勿論彼らのことは尊敬する。危険な役回りを自ら引き受けているんだから。でも、どうしたって僕の目からは死に急いでいるように思えてしまうんだ」
「でも、結局誰かがやらなければならない、ですよね?」
「うん、誰かがやらねばならない。でも君がちよっと興味がある、くらいの気持ちなら止めるべきだと思うよ」
もっともだ。
「ま、ゆっくり考えなさい。ジジイの老婆心で言ってるだけだから」
「はい」
『至急、至急!』
唐突な至急報。緊急を要する事件が発生したという報せ。緊張が走る。
『––––において準災害生物出現の通報あり、至急現場に急行せよ!』
ヴィクター! たった今話していたことが現実に起こる。現場は近い。
「了解! 緊急走行で向かう!」
行かなければならない。命が惜しくとも、警察に入った以上はやらなければならない。
けたたましいサイレンの音が響く。車道を走っていた車は路肩に寄って、道が開かれていく。まるでモーセの十戒だ。
「パトカー通ります! パトカー通ります!」
カズキは必死に叫ぶ。パトカーは猛スピードで現場に向かう。じりじりと恐怖心がカズキを蝕んでいく。
『現着! バリケード設置開始する!』
一足先に現着に到着した班が無線を飛ばす。その声は少し震えていて、それがさらに緊迫感を煽る。
ヴィクター駆除は、一昔前に比べれば安全性はかなり確保されたと言われている。ヴィクターの生物的な特徴が研究され、ソナーシステムの改良により行動制限が高い精度で行えるようになった。なにより機甲機動隊の県警出向により、迅速な対応ができるというところが大きい。
だからと言って、絶対的な安全はない。
「もうすぐ着くよ!」
交番長が珍しく声を荒らげる。
眼前には避難する民衆。ここの市街地に現れたのは二度目だ。一度目はあの大災害の日だった。
「現着!」
無線に向かってがなる。
「バリケード持ってきて!」
「はい!」
パトカーの荷台には対準災害生物用の防護柵が搭載されている。とは言うものの、ヴィクターを押しとどめるほどの強度はなく、むしろ市民が入れないよう線を引くというのが主な目的だ。
「盾構え!」
「盾構える!」
盾は必然的に対象に向けられる。今まで目を背けてきた現実を直視しなければならない。
「うっ!」
禍々しいほどの黒。獣のような唸り声。三メートルはあろう巨躯。それが夢遊病のようにフラフラと歩き回っている。
「大丈夫! もうすぐイブが到着する!」
「はい!」
押しつぶされそうな気持ちを何とか奮い立たせる。しかし、想いと反して足はガクガクと震える。
怖い、怖い、怖い。
続々とパトカーが到着する。
早く、早く、早く!
ヴィクターを囲んで、バリケードが張り巡らされる。大勢の警官が盾を構えて有事に備えている。
その時、サイレンの音とともに黒い巨人が飛び込んできた。
「退避ーーー!!」
イブの登場とともに掛け声。巻き込まれないよう盾を構えながら後退する。
決着は、一瞬だった。
ヴィクターの右脇に取り付いたイブ。
それを嫌がりヴィクターが腕を振り回した瞬間、イブがしゃがみ込み避ける。
それから身体を捻り、ヴィクターの頭に蹴りを叩き込む。
怯んだヴィクターがよろけたところに、追い討ちをかけるよう首根っこを掴んで押し倒す。
右腕に装備された46ミリ電磁槍(ジャベリン)が唸る。ヴィクターの皮膚を易々と突き抜く威力の槍が、電気の力で射出される。
強烈な破裂音。ガギ、と鈍い音。
「目標完全に沈黙」
隊員の冷静な一言。
現場の空気が弛緩する。
カズキもはぁ、と深いため息をついた。
「おーい、死体回収するから手伝えー!」
本署から来ていた鑑識班が叫ぶ。ヴィクターの死骸は駆除後回収され、警察署で一時保管の後研究所に運ばれる。
「行ってきなさい」
「はい」
こういう体力仕事は得てして若手に任されるものだ。げんなりした気持ちで駆け寄る。動物の死骸でも気分が悪くなるのに、これだけでかい生物の死体なんて。
「うげぇ……」
改めて見ても気持ち悪い。頭にぽっかりと穴が空いている。押しつぶされた肉片をなぞって黒い液体がぼたぼたと垂れていて、生臭い。
「よお」
小声で声をかけられた。カズキはびくりとした。
「なんだ、公平か」
「凄かったな、やっぱり」
珍しく真面目な顔をしている。それはそうか、憧れの仕事を間近で見られたのだから。
交番長の言葉が蘇る。
死に急いでいるように見える。
公平に限ってそんなことは、いや、でも。脳裏によぎる嫌な妄想。
「森田くん」
ハッとする。柊も現場に来ていたらしい。
「重いから気をつけろよ」
鑑識が言う。軽く二百キロを超える巨体、運ぶのも一苦労だ。
「あれ?」
柊が何かに気づく。
「どうした?」
「何か、歌が聞こえない?」
「歌? でも、一般人は避難しているはずだよな……? ラジオか?」
「違う、そんなワケないよ……。近づいてくる」
耳をすませる。日本語ではない。オペラのような、甲高い、女の声で歌い上げている。
「笑ってる?」
警察官ではあり得ない。現場で歌を歌い、しかも大声で笑うなど。
どこかで聞いたことのある曲だった。独特のスタッカート、突き抜けるようなホイッスルボイス。
周囲を見渡す。どう考えてもこの近くで歌っているものがいる。何故こんな時に、どうして。
「あれじゃない!?」
柊が指をさした先には、少し距離のある五階建てのビルが建っていた。視線はその屋上に向けられている。
カズキは目を凝らす。
人が立っている。女性のように見える。彼女は演じるように舞う、朗々と歌い上げる。そこがまるでオペラ座であるかのような振る舞い。
「あ、これ、魔笛?」
オペラの演目の一つで、最近CMで流れていたのをカズキも聞いたことがあった。魔笛、その一場面で歌われる曲だった。
皆が呆気に取られていた。口を開けて見上げたまま、誰もが声を発せられなかった。
歌い上げた女は、深々と礼をする。彼女には万雷の拍手が聞こえているのだろうか。
そのまま女は、ビルを飛び降りる。水面に飛び込むように、自然に。
「っ!?」
現場は騒然とする。飛び降り自殺だ。
初めて見てしまった、人が命を絶つところを。
どうして、こんなタイミングで?
「そこの二人、ついて来てくれ!」
鑑識係が叫ぶ。公平と柊がそれに続く。
「とりあえずこいつを早めに運んじまおう!」
今日は強烈な出来事が立て続けに起こる。起こりすぎている。
「あれ、そっか」
女の声がした。
カズキが顔を上げると、妙齢の女性が立っていた。白地にまだらの赤が印象的なドレスを身にまとっていた。
あれ、今は一般人は入れないようになっているはずだけど。
女は悪戯な笑顔をたずさえ、カズキの顔を覗き込んでいる。綺麗な人だったから恥ずかしいけれど、警察官として注意せねばならない。
「あの、ここは––––」
「逃げろぉぉぉおお!!」
カズキの問いを遮り、絶叫がこだまする。
「あら」
言葉を発すると同時に、女が視界から消えた。正確に言えば、イブが女の頭を殴り飛ばしたのだ。
嘘、だろ。
どうして、警察官が、人を殺すんだ。
あれだけの質量の物体があれだけのスピードで拳を振り抜けば、頭と身体が容易に切り離されるだろう。
即ち、即死。
土煙が立つ。近くの建物の外壁コンクリートを粉砕したのだ。そこから黒い影が浮かぶ。
「痛いなぁ、もう」
女がそこに立っていた。平気な顔をして。
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