博物館

 時代は八千某年。ただ同然の無尽蔵のエネルギーを活用し、労働から開放された人類が住む、宮殿にて……。


 ツヨシがここへ来てから既に数週間が過ぎようとしていた。宮殿の住人とのパーティーは、ある時はいつもの中庭で、またある時は海の見えるテラスだったり、時にはビーチでも、毎日どころか、それこそ連日連夜行われていたが、彼の足は次第に遠のき、ニッキーと二人で過ごす時間が増えてきていた。傍らには、ニッキーの愛犬『クライプ』もいることが多かった。何千年経った今でも、犬は人間の良き伴侶であったようだ。


 彼はいつものように、ニッキー、そしてクライプとともに、イルカやウミガメと触れ合いつつ、素晴しい酒を堪能していた。ここ最近、彼はこの『海底バー』がお気に入りだった。海底と言ってももちろん、実際に海に潜るのではなく、未来テクノロジーを駆使した立体映像を楽しみながら、酒が飲める、というものだったが。


 その立体映像は『ガエミール』と呼ばれていた。単なる立体映像にとどまらず、仮想現実を更に大きく進化させ、五感全てを駆使した表現を可能にしたものだった。

 彼はそこで、座り心地の良いソファーに腰掛け、お気に入りの酒をちびちびやりながら、極彩色の熱帯魚の群れや、それを追いかけ回すクライプの姿を眺めて過ごしていた。ニッキーはツヨシの左肩に頭をもたせかけたまま、ツヨシの左手を離そうとはしなかった。


「これ、いつ見ても凄いなあ。二十一世紀の映画館でも3D映像はあったけど、さすがに触ることは出来なかったなあ。これなんか、まるで本物だよ。正直、空中をこいつが泳いでるとしか思えない」

 ツヨシは独り言を言うでも、ニッキーに話しかけるでもなく、感想を伸べた。

「わたしたちは普通だと思ってるけど、そう言われれば確かにそうよね」

 ニッキーは横着にも頭をツヨシの肩に置いたままだった。


 彼らから少し離れたソファーでも、別のカップルが、愛を語り合っていた。そういえば、あの二人も、時々聞こえてくる会話からすると、どうやら、ここのおかげで付き合いはじめたようだ。


 ツヨシはグラスをテーブルに置き、近くまで泳いできたイルカの鼻先をなでてやった。イルカはキュウキュウと甲高い声を上げ、そのつぶらな瞳でツヨシを見つめた。その、イルカの嬉しい気持ちが伝わってきた。それは犬が人間に頭を撫でてもらった時、というよりも、むしろ、犬に顔をペロペロと舐められた時の、人間の気持ちに近いようだ。

「そうか、どっちかというとオレが犬か……確かにそうかもね……しかし、五感どころか、心まで伝わってくるなんて、凄いよな」

 彼は、ゆらゆらと揺れる珊瑚の草原を悠々と泳ぎ去っていくイルカを見つめながら言った。何度見ても、この凄いテクノロジーには圧倒されっぱなしだった。


「変な話、これを悪用したら、不細工でも、美男美女に化けられるよな。へへっ」

 ツヨシは意地悪く笑った。

「何言ってるの? わたしは、やってないからね」

 ニッキーはツヨシの肩からむっくりと起き上がり、ツヨシの方を見て不機嫌な声をあげた。

「あはは。わかってるってば。けど、これって一体、どんな仕組みなんだろうね?」

「んー……よくわからないけど、博物館に行けば分かるかも知れないよ」

 ニッキーは再びツヨシの左肩に頭をもたせかけ、そう教えてくれた。


* * *


 そこで、ツヨシは、広大な宮殿の一角にある、博物館へやってきた。ニッキーも誘ってみたが、もう何度も行ったから、いい、と断られたので、一人で来てみたのだ。そこは博物館というよりも、むしろ、映画館かプラネタリウムのような、薄暗いホールだった。そのプラネタリウムのようなリクライニングシートに腰掛け、見たいと思うものを頭に思い描くと、博物館に備えられた人工知能がそれをすぐさま理解し、目の前に、リアルに映し出されるのだった。


 真っ先に見たかったのは、ガミエールがどのような技術で実現されているか? だった。リアルな立体映像は、どうやら、本当の意味で空間に存在するのではなく、神経に直接、視覚や触覚として届くらしい。理論的な部分は、正直、ちんぷんかんぷんだったが、どういうメカニズムなのかは、なんとなくイメージできた。「百聞は一見にしかず」などと良く言うが、今の彼は「百見は一ガエミールにしかず」だ。

「そういえばさっき、クライプが熱帯魚を追いかけ回してたっけ。人間だけでなく、犬にも見えてるんだよな……すごいや」


 さて、ここは、未来の歴史を詰め込んだ、博物館。


 そこには、仮想現実だけでなく、ツヨシが知りたいことの全てが詰まっていた。未来の人類が、激動の時代を生き抜いて、愚かな戦争を繰り返しながらも、いかにして、平和を勝ち取ることが出来たか。そして、どのようにして、何も無い空間から、無尽蔵のエネルギー『シュクラーミ』を取り出す事に成功し、ついには恒星間飛行や時間旅行をするに至ったか。それらが、単に仮想現実というには余りにもリアルな技術を用いて、表現されていた。

 その時代、その時、人々は何を考え、どのような思いでそれを成し遂げたか。未来人たちの、その心の動きまでを見事に表現し切る、素晴らしい技術自体、感動ものだったが、そのコンテンツもまた素晴しかった。何より、この文明を作り上げた未来人たちの努力に心打たれた。


 ここまでたどり着くには、どれほどの苦労を積み重ねてきたんだろう。失敗も沢山あっただろう。やっと成功した時の喜びはどれほどだっただろう。

 長い年月を重ね、先人たちの成功や失敗に学び、また同じ過ちを何度も繰り返しては反省し、そうしている間にも、何世代、いや、何十世代も経て、いつしか言葉もすべて変わってしまうほどの時代を経て、彼らは、やっとの思いで、ここまで辿り着いたのだ……。


 ツヨシは、感動のあまり、しばし涙が止まらなかった。

「それに引き換え、いまの宮殿の奴らは、なんだ」ツヨシは涙を拭いた「先人たちの努力の上に、ただ、あぐらをかいてるだけじゃないか」


 彼は思った。たまたま人助けをして、それで、ここへ来た。生活には何の苦労も無く、気候も暖かくて快適だ。連日のパーティーは楽しく、ニッキーとの生活も、これ以上ないくらい幸せだ。

 だが、果たしてそれで良いのだろうか。他にもっとやることがあるのではないか? 二十一世紀は、ここと比べるまでもなく不自由な生活かも知れない。だが、あそこには、まだ『進歩』というものがあった。ここには、もう、そんな余地すら残されておらず、やることと言えばパーティー三昧くらい。


 ツヨシは、涙が乾くと、カラエストールに乗って中庭に戻り、とぼとぼ歩いてベンチに腰掛けた。考え事をしていると、ニッキーがクライプとともに現れた。


「どうだった?」

「ワンワン!」

「……凄かった」

「でしょう?」


 ツヨシはニッキーの「でしょう?」という言い方にちょっと引っ掛かった。彼女も含めて、ここの住人は揃いも揃って何もしてないくせに。ニッキーを含め、誰も、悪気はないのだろうが、でもその言い方はちょっと、どうなんだろう……。


 二人はベンチに並んで腰掛けていた。クライプは芝生の上を元気に走り回っていて、ニッキーはその姿を黙って愛おしく見守っていた。会話が続かないのを良いことに、ツヨシは再び考えを巡らせた。


 しばしの沈黙が流れた。海風が潮の香りを静かに運んできた。既に蝉の季節は終わっており、静かだった。その風に乗り、遠くから、宮殿の住人たちが何やらゲームをして盛り上がっているのが聞こえてきた……そして大歓声。誰かが逆転勝利を決めたようだ。


「オレ、やっぱ二十一世紀に帰るよ。まだまだやり残したことがあるんだ」

 そう言って再び沈黙を破ったのはツヨシだった。

「えっ? 嘘……」

 ニッキーは信じられないという顔をした。

「ごめん、本気なんだ」

 ツヨシはニッキーの手を握った。

「酷い……酷いわ。付き合ってくれって言い出したの、あなたじゃない」

 ニッキーはふくれた。

「ごめん……本当にごめん」ツヨシは何度も謝った「それに、オレは君と出会うまで、もう、人を愛する事なんかないだろうと思っていた。オレにはそんな資格など無いと。でもニッキーは、そうじゃないことを思い出させてくれた。本当に感謝してるよ」

「いや。そんなことどうでもいいの。離れたくない……」

「それじゃあ、一緒に帰ろうよ、二十一世紀で、一緒に暮らそう」

「それも、いや」


 まあ、無理もないだろうな。ここでの暮らしとは余りに違いすぎる。そこでツヨシはニッキーにどうしても帰らなければならないことを力説した。


「そうなの、どうしても行ってしまうのね……そう決めたのなら、仕方ないわ」

 説得が、なんとか功を奏して、ニッキーは渋々納得した。

「これをわたしだと思って」

 ニッキーは自分の左手薬指に着けた指輪を外すと、ツヨシの左手を取って薬指に嵌めた。

「えっ? ニッキーの指ってこんなに太かったっけ?」

 ツヨシは、さっきまでニッキーが着けていた指輪が自分の指にぴったりなので驚いた。

「もう、失礼ね。持ち主に合わせて自動的に大きさが変わるのよ」

「へえ……凄いんだね」


 ツヨシはその指輪を眺めた。その指輪は、この宮殿では良く見かける白金色の素材で出来ており、ガラスとも金属ともつかない透明感のある光沢を放っていた。その指輪には、どこかで見たような図柄が彫られていたが、思い出せなかった。

「我が家に代々伝わる、幸運のお守りなの。時々これを見て、わたしを思い出して」

「ありがとう。大切にするよ。もちろん忘れない」

 ツヨシはニッキーをぎゅっと抱きしめた。


 そしていよいよ、宮殿のみんなとの別れのときが来た。

「ツヨシさん、本当に行ってしまわれるのですね……名残惜しいです」

 パラディはそれまで見せた事の無いような寂しい顔をしていた。

「パラディ、こんな素敵なところへ連れてきてくれて、言葉にできないくらい感謝してるよ。どうもありがとう」

「おじちゃん、本当に行っちゃうの?」

 歓迎パーティーでも。ツヨシをおじちゃん呼ばわりしていた少年が寂しそうにしていた。

「せめて別れるときぐらい、お兄さんと呼んでくれよ」

 ツヨシは泣きそうだった。

「くぅーん」

 クライプも寂しそうだった。ツヨシは彼の頭を撫でてやった。

 そしてツヨシは最後にもう一度ニッキーを抱きしめた。

「ニッキー、愛してるよ。いつまでも」

「ツヨシ、わたしのこと、忘れないでね」

「もちろん」


 そして彼は一人、タイムマシン「デュテートス」へ乗り込み、二十一世紀へ戻っていった……古代人が帰ってしまうと、にぎやかな蝉の季節を過ぎた宮殿は、しんと静まり返り、ただクライプの鳴き声だけが、物悲しく響いていた。

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