公園
ある真夏の金曜日の晩、やっとのことで仕事を終え、夜も遅い時間に帰宅したツヨシは、待ちに待ったビールを飲もうとして冷蔵庫の扉を開けた。が、しかし……。
「あ、しまった、ビール買うの忘れてた」
残念ながら、ここ最近の多忙さを象徴するように、冷蔵庫は、ほぼ空だった。
「仕方ない、近所のコンビニへ買いに行くか」
ツヨシは、いわゆる普通の会社員。数年前までは結婚していたが、あることをきっかけに離婚し、今はバツイチ。寂しさを感じるときが無いわけでもないが、基本的には気ままな一人暮らしを楽しんでいた。
さて、ツヨシが自宅から最寄りのコンビニへ、なるべく最短コースで行こうとすると、大きめの公園を横断することになる。彼はいつものようにその公園を歩いていた。普段は人気が無いのだが、その日は、珍しく数名の人影が見えた。だが、近づいてみると様子が変だ。何か、もめているらしい。近づいて行くと、どうやら若い女性一人が若い男性三人に絡まれている……男たちは、つい最近、声変わりしたばかりの少年のようだった。
「……いえ、わたくし、あなた方のような……頭の悪……」
「……んだと……?」
「……てめえぶっ殺すぞ」
「おい、やめなさい!」ツヨシは思わず大きな声を出した「何をやってるんだ」
「ちっ、邪魔が入ったぜ」
少年の一人が小声で言った。
「ジジイうるせぇんだよ」
もう一人が吐き捨てるように言った。
「ババアには用事ねえや」
三人目は口汚い捨て台詞を吐いた。
「こら、ジジイだの、ババアだの、失礼だぞ!」ツヨシは声を荒げた「君らどこの中学だ?」
少年たちは好き勝手な事を言いながら立ち去っていった。
「お怪我はありませんか?」
少年たちがいなくなると、ツヨシはその女性に話しかけた。
「助けて頂いて、ありがとうございます。わたくし、パラディと申します」
その女性は深々と頭を下げた。
再び顔を上げた彼女は、どこの国の人かは分からないが、エキゾチックな顔立ちをしていた。そして上品な言葉遣いにふさわしく、美しい女性だった。少年たちよりは年上だろうが、たぶん自分より若いだろう、とツヨシは思った。ババアだなんて失礼だぞ、少年たち。
「あ、パラディさん、はじめまして。オレ、ツヨシって言います。助けたっていうか、たまたま、ここを通っただけですよ」
ツヨシは謙遜した。
「ツヨシさんとおっしゃるのですね、感謝致します……危ないところを助けて頂いて、言葉だけではお礼のしようもありません。是非、きちんとお礼をさせて頂きたいのですが、今から一緒に、『ラエ・ニアアク』へお越し頂きませんか?」
パラディと名乗ったその女性は、異国風の顔立ちからは想像のできない綺麗な日本語で、そして丁寧な言葉遣いでそう言った。
「ラエ……何ですって?」
ツヨシには何のことか分からなかった。ぽかんとする彼の様子を見て、パラディが補足した。
「簡単に言いますと、美味しいお酒やお食事で、心ゆくまで、おもてなしさせて頂きたいのです」
ツヨシの目が輝いた。
「ほ、本当ですか!? いや実は今、ビールを買いに行こうとしてたところで……ごちそうしてくれるのなら、ぜひ、お言葉に甘えて」
二つ返事とはこのことだ。彼は一瞬、
「ところで、その、『ラエなんとか』は、どこにあるんですか?」
「少し遠いですが、近くに乗り物を停めてありますので、それで参ります」
「へえ、どこに停めたんだろう? 駐禁とか大丈夫かな……このへん、よく取り締まりしてるから」
ツヨシはキョロキョロと車を探してみたが、それらしいものはない。
「こちらです」
パラディはそう言うと、公園を数メートル歩いたところで立ち止まり、何も無い空間に腕を差し出すと、手首から先がスッと消えた。
「てっ、ててて手がっ!」
ツヨシは目を丸くして慌てふためいた。
「あっ、驚かせてごめんなさい」
パラディは腕を引っ込め、手のひらをツヨシにひらひらさせて見せた。大丈夫ですよー。といった風に。
「目立たぬよう隠してあるのです。このあたりが入り口です」
パラディが再び腕を伸ばすと、また彼女の手が消えた。
「ええと……乗り物って何ですか?」
ツヨシはやっと、何か普通でないことに気付いた。
「未来へ行く乗り物です。今からわたくしたちは、未来の宮殿へ向かうのです」
パラディはこともなげに言った。まるでちょっと郊外の大型ショッピングモールへ行くかのごとく。
「えっ!? 未来って!?」
ツヨシは耳を疑った。
「では、参りましょう」
驚くツヨシをよそに、パラディはそう言い残すと、闇に溶けて消えた。ツヨシも意を決してそこへ飛び込むと、そこは直径二メートル、高さ三メートルほどの、円筒形の小部屋だった。その円筒の側面に設けられたドアがスライドして閉まり、壁と一体化すると、一瞬、ふわりとした感覚を覚えた。
先ほどのドアが、再び、開いた。
「おおっ……これは……」
ツヨシは思わず声を上げた。そこはまさに、SF映画に出てくる宇宙船のコクピットさながらだった。薄暗い空間に、見た事も無い計器類やらモニタースクリーンのようなものが並び、チカチカ光っていた。
「どうぞ、こちらへおかけ下さい」
パラディが席を勧める。
「はあ、どうも」
ツヨシはその真っ白い革張り風のシートに深々と身を沈めた。
「確かに乗り物みたいですね。まるで高級車だ……ま、乗ったこと無いので良く知らないんだけどね……で、これに乗って未来へ行くんですか?」
シートの掛け心地は抜群で、彼はご満悦だった。
「はい、そうです。この乗り物は『デュテートス』と言います」
パラディは舌を噛みそうなその乗り物の名前を伝えた。
「『デュテ……』はあ、そうですか。ところで未来ってどのくらい先なんですか?」
「西暦で言うと……八九一四年です」
「は……は……はっせん・きゅうひゃく・じゅうよねん!?」
「そうです。驚かれましたか?」
「そら当たり前じゃないですか……ところでそんな未来から何をしに、こちらへ?」
「そうですね……主な内容としては古代……失礼、二十一世紀の調査活動です。文化とか歴史とか。それと、わたくしたちの言葉は、この時代のどの言葉とも違うので、こういう物を使っています」
パラディは手首に着けたブレスレットのようなものを見せた。さっきの流暢な現代日本語はここから聞こえてきたのか?
「これは『クルーム』と言って、言葉の翻訳だけでなく、向こうでは、色々な事に使います。この乗り物の操作も、これを使うと便利です。『翻訳機』とか『通信機』『リモコン』などを兼ね備えたもので、たとえて言うなら……こちらの時代の『スマートフォン』みたいなものです」
彼女は同じものを一つ渡してくれた。手に取ってみると、リング状のそれは金属質のものでできており、プラチナのような、いやもっと透明感のある、不思議な輝きを放っていた。リングには一カ所切れ目があり、マグネットのようなもので簡単にぱちぱちと開いたり閉じたりする事が出来た。手首にはめてみると、モニタースクリーンに表示された、見た事のない文字の意味が、そのまま理解出来た。
「見たまま理解できるのか……まるで心に直接語りかけて来るような……確かに未来だ。凄過ぎる……」
ツヨシは驚きを隠せない。
「ではそろそろ出発します。移動中は無重力になったように感じますが、決して墜落したりしませんので、ご安心下さい」驚くツヨシをよそに、パラディは乗り物をふわりと「離陸」させた。
さて、その『デュテートス』とやらの乗り心地は、予告通り、無重力だった。体感的には数分で目的地に到着したようだが、どこまでも落ちていくジェットコースターのような感覚に、終始お尻がムズムズし、再び重量を感じたときは正直ほっとした。
再びエレベーターみたいな筒に入り、ふわっとなって、ドアが開くと、外は明るく、真夏の気候だった。
「シュワシュワシュワシュワ……」
「シュワッシュワッシュワッ……」
「……ワッシュワリワリ……」
風に乗って、賑やかな蝉の鳴き声と、かすかに潮の香りが運ばれてきた。そしてエレベーターのようなところから外へ出ると、巨大な、石造りと思われる、真っ白い建物が目の前にあった。
「凄いな……まさに宮殿としか言いようがない」
ツヨシは圧倒された。
その建物は生き物を思わせる不規則な曲線で構成され、ちょっとした高層ビル並みの高さを保ちつつ、左右にどこまでも続いていた。更に上を見上げれば、まるで植物のように絡み合いながら上へ上へとそびえ立つ高いタワーが、また重力を無視して宙に浮かんだように見える構造物もあって、超現実的な風景を作り上げていた。
「あれが『ラエ・ニアアク』です」
パラディはその宮殿を手で指し示した。
ツヨシは、その潮の香りがする空気を深く吸い込んだ。
「ここは海が近いの?」
「ええ、そうです。ここは比較的小さな島で、海はすぐそこですわ」
「いいですね、海は大好きだ。波の音を聞くだけで癒される」
ツヨシが気になってふと後ろを振り返ると、高さ三メートルほどの円筒が地面に立っていた。それは、さっき二人が出てきたエレベーターのようなものだった。そして上を眺めると、上空には円盤型の物体……往年の女優さんが被ってた帽子みたいな、というか、灰皿をひっくり返したような形の物体が、静かに浮かんでいた。大きさは直径二十メートルほどだろうか。
「うぉ……」
ツヨシは言葉にならない声を上げた。
「あれが、さっきまで乗っていた『デュテートス』です」
ツヨシの驚きに気付いたパラディが説明してくれた。
時間を自由自在に行き来するその乗り物は、空中に、音も無く、ぴたりと静止していた。そして、
「あれって……もしかして、二十一世紀頃、世界各地で目撃されてない?」
ツヨシがその乗り物を指差してそう尋ねると、パラディは、いたずらっぽい笑顔で含み笑いをした。
「むふっ。そうかも、知れませんわね。さあ、暑いので中へ入りましょう」
……そ、そうなのか? あれは宇宙人ではなく未来人の乗り物だったのか?
ツヨシがあんぐりと口を開けて見ていると、空飛ぶ円盤は、見えない力で円筒を引き寄せ、胴体の中心軸のあたりに格納してどこかへ飛び去って行った。
こうして夢のような宮殿での暮らしが始まった。
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