海亀

姶良守兎

「本日も異常なし……か、とりあえず、今のところは」


 男は、帰宅するとすぐ、いつものように、何か部屋の様子に変わったところはないか、盗聴器や隠しカメラが仕掛けられていないか、念入りにチェックしていた。

 彼は、異常がないのを確認すると、パソコンの電源を入れ、ブラウザを立ち上げると、慣れた手つきで、あるウェブサイトのアドレスを直接タイプした。そのサイトは、ダークウェブと言われる、表のインターネットからは巧妙に隠してある闇サイトだったし、ブラウザ自体も、プロバイダ等にアクセス記録を残さないよう、偽装してある、特殊なものだ。


「毎度ながら、面倒だなあ。まあ、『イーグル・アイ』の極秘サイトを、ブックマークとかに残すわけにはいかないからな。仕方がない」

 その極秘サイトにログインすると、いつものように、本日のミッションについて、メールで指示が届いていた。それを読んで彼は表情を険しくした。

「深夜零時、いよいよ例の『TF作戦』を決行する」

 とうとう、この日が来たか。しかもそれを決行するのは今夜だという。彼は決意を固くした。ちなみに『TF作戦』とは『テーブル・フリップ』つまり『ちゃぶ台返し』を意味する。一言で言うと『イーグル・アイ』が企てている、国家転覆を狙ったクーデター作戦だった。


「コトン」


 今までの指示内容を再確認していると、玄関の新聞受けに何かが投函される音がした。確かめてみると封筒が投函されていて、車のキーが入っていた。そう、彼は運転手役を任されていたのだ。時計を見ると、指定の時間までには、まだ、かなり、余裕があったので、テレビを見て時間をつぶすことにした。


「午後九時……あと三時間か……移動に三十分として、二時間半だな……しかしテレビ面白くないなあ……けどうっかり寝てしまったらまずい、我慢して見ていよう」


「……あと二時間……移動に三十分として、一時間半……コーヒーでも飲むか」


「……あと一時間四十分……移動に三十分として、一時間十分……こんな蒸し暑い熱帯夜なのに、ビールが飲めないなんて!」


「……あと一時間三十分……あーもうだめだ、いても立ってもいられない!」

 結局彼は、早々に車のキーを持って家を出てしまった。


 家のすぐ目の前には駐車場があり、以前から指定されていた区画に、どこにでもありそうな商用のワンボックス車が置いてあった。その車種と色は聞いていた通りだった。一瞬、躊躇したが、リモコンキーを操作するとドアが開いた。確かにこの車だ。車に乗り込み、エンジンをかけて車を走らせる。

 ところが、行動が早過ぎたお陰で、結局、予定より一時間近くも早く現地に到着してしまった。仕方なく、その場で待つことにする。だが、これが命取りとなった。


 十五分ほど経つと「コンコン」と車の窓を叩く音が聞こえた「済みません、少しだけお話をうかがっても宜しいですか?」

 声をかけてきたのは、なんと制服を着た警察官。まずいぞ……これが噂に聞く職務質問か……。戸惑っていると、警察官は更に声をかけてくる。

「運転手さん、済みませんが、お時間は取らせませんので」丁寧な口調だが、目深に被った制帽の下にキラリと光るその目は、まるで、彼の悪事を見抜いているかのように鋭かった。冷や汗が出た。

 もはや、これまでか……。打合せでは、時間ギリギリに到着し、間髪入れずに仲間が乗り込んできて、次の目的地へ向かうはずだったのに……何故、こんなに早く到着してしまったのだろう? 悔やんでも悔やみ切れない。

 警察官は再びコンコンと窓を叩く。そして強めの口調で問いかける。

「あのう、運転手さん! 運転手さん! 運転手さん!!」

 玉のような汗が吹き出した……もう絶体絶命だった。

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