親友と初陣

1.

空はまだ暗く、すこし肌寒い。吐く息は白く、薄い霧が街を漂い、目を覚ました家々の住人たちが灯りをつけていくと、遠くに見える兜山のてっぺんから朝日が登り、街を赤く染め上げた。


牧野 煎は、朝の日差しをうけて、リビングのソファの上で目を覚ました。

夢?

いやいや、夢じゃないよ。

そんなことを呟きながらソファから床に降り、伊右衛門が寝ている二階へと向かった。階段を渡り終え、ドアの前で止まる。深く呼吸してドアノブを回し、ゆっくりとドアをあけて、ベッドを見る。


「……あれ」


誰もベッドには寝ていなかった。

夢かと思いかけたその矢先、首筋に冷たい感触を覚えた。

「主殿であったか」

伊右衛門であった。彼女はドアのすぐ横に屈みこみ、暗闇のなかで煎の首筋に微かに木刀を当てていた。身動きできない状況で、煎は伊右衛門の顔を覗き見る。まるで感情のない、機械のように冷たい瞳に、煎は今まで感じたことのない恐怖を感じた。

「次から戸を叩いて声をかけてくれ、敵かもしれぬからな」

首筋の木刀を離し、伊右衛門はそう言った。煎は昨日の伊右衛門とのやり取りを思い出していた。昨日とはなにか、様子が違う。そのなにかについてはよくわからないが、ただ言えるのは、これが本来の伊右衛門だということだ。彼女は利用しようとしている。肉体的な関係を迫り、恋慕の念を抱かせ、本来の力を得ようとしている。

煎は言い様のない恐怖を感じた。彼女は目的のためなら、どんなことでもするだろう。極めて冷徹に狩りを行う蛇のように。



同時刻、小早川 明と伊吹の二人は朝食を食べていた。伊吹の目の前には、白い皿 に乗せられた、厚みのあるハニートーストから甘い香りの湯気が上っている。

「じゃあ、行ってくるよ」明は口を拭きながら、椅子から立ち上がった。

「明、どこ行くの? 」

「学校」

「一緒に行く!」

「駄目だよ、伊吹は行けない」

「どうしてさ? 明と一緒にいたいよ?」

「今日から休みをもらってくる。すぐ帰るよ」

「本当に?」

「うん。それと、もうひとつやらないといけないことがあるから」

そう言い残し、明は屋敷を出た。


昨晩、明は戦う覚悟を決めた。

伊吹には、本来なら元の世界に帰ってもらうか、この世界で死ぬかという二択しかない。だが、彼女は戦いたいと言った。それは明も同じこと。彼にも目的があった。そのためには、戦いの力量以上のものが求められると強く感じていた。確かに、当たりかはずれかで言えば、伊吹は、はずれの方だろう。彼女は戦いが嫌いで恐怖すら感じている。しかし、明は伊吹に対して、これからもそうであってほしいと思っていた。つまり、普通の女の子のようにしていてほしかったのだ。

これは、彼の正直な気持ちだった。


その日の朝、明は担任に対して休校を申し入れ、すんなり許可された。理由はすでに明の父親から担任に対して連絡が行っていたことに他ならないが、明は内心ほっ、としていた。やることは、もうひとつ残っていた。職員室を出て、まっすぐ自分のクラスに戻り、辺りを見渡す。

眠そうに机に座り、窓のそとを見ている男子学生に声をかける。

「なあ、煎。ちょっと、話があるだけど」

「悪い、いま考えごとしてるんだよ」

「当ててやろうか?」

「は?」

「考えごとの中身だよ」

「なに?急に」怪訝そうな表情で煎は明を見る。

「ホームルーム終わったら、屋上に来いよ」そう言い残し、明は教室から出て行った。

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