おやすみ眠るまで見守ってあげる

ひいちり

第1話

 夜行バスに乗ることにした。

 東京へ行く用事ができたからだ。田舎の小さな会社で黙々と仕事をこなしている私にとって、その予定は日々の活力であった。

 だが社会人と言えど、自由に使えるお金が大量にあるわけではない。しかしせっかくの東京。楽しみを惜しむのは嫌だ。どこかで費用を安く抑えることはできないのだろうか。

 私は自らの金銭状況を考慮し、交通費を削るという結論に至った。そして自分の住む地方から東京まで、夜行バスに乗ることにした。

 探してみると発着しているバスの本数も多く、体の負担にならなさそうなバスも見つけられた。金額も新幹線に乗る半額ほど安い。これで心置きなく東京で散財できるだろうと私は胸を踊らせた。

 当日、地元のバスターミナルで私は夜行バスを待っていた。深夜24時を迎えようとしているが、季節は夏。昼間のじっとりとした暑さが未だに残っていた。周りでは、私と同じようにバスを待つ人たちがキャリーバックに腰掛け、暇そうに携帯電話をいじっている。

しばらくしてバスが来た。真っ白なフロントライトを光らせながら、ターミナルに入ってくる。乗り口で氏名を運転手に告げると、座席番号を教えられた。この駅が最終駅となるらしく、バス内のほとんどの席は前の駅から乗り込んできた乗客で埋まっていた。

 狭いバス内を歩き、自分の席を見つけ出す。4列シートの後ろから3番目だ。横が女性であったこと安心はしたが、席が通路側だったことに多少気落ちはした。

 斜め前の席は2つとも空席だ。ほぼ満席であるにも関わらず、私の斜め前にあたる2つ並んだ席には誰も座ってはいなかった。

 席を開けるくらいなら、そこに一人で座らせてくれても良かったのに。

 などと身勝手なことを思ったが、急なキャンセルが出たのかもしれない。細かいことを気にしていても仕方がないだろうと思い直した。

 それにバスが出発してしまえば、先ほどのことなど気にならなくなった。当日の仕事の疲れが残っていたせいか、私はバスに乗り込んですぐ、寝入ってしまった。目覚めれば目的地に着いているのだから、案外夜行バスも悪くないではないか。心地の良い睡魔に身を任せながら、そう思った。

 

数時間後、私は何のきっかけもなく、ふと目を覚ましてしまった。やはり慣れない環境で熟睡するのは困難なのだろうか。

 携帯で時刻を確認すると夜中の3時。到着まではあと3時間ほどある。私はもう一度眠ろうと目を閉じてみるが、一度熟睡してしまったせいか睡魔は中々訪れない。

 バス内は真っ暗であり、携帯電話を触るのもなんとなく気が引ける。乗客は全員眠っているのか、他人の寝息と布擦れのような音が聞こえるだけだった。

 窓の外を眺めていようかとも考えたが、分厚い遮光カーテンが引かれていてそれもできそうにない。苦し紛れに斜め前の席に引かれたカーテンの隙間から、今走っている場所を確かめようとする。

 すると、窓の外に白いものがへばりついているのが見えた。暗い車内の中、真っ白なそれは光をよく反射していた。

 何だろうか。

 私は目を細めるが、裸眼では輪郭がぼやけて見えない。気になった私は、手元から眼鏡を探し、もう一度隙間を見る。

 クリアになった視界に飛び込んできたものの正体に、私は悲鳴をあげそうになった。

 女の顔だ。

 逆さになった女の顔が、カーテンの間からこちらを覗いていた。

 叫びそうになりそうなるのをなんとかこらえる。こんなところで大声をあげれば、他の乗客を起こしてしまう。バスを止めるような事態になるかもしれない。

 小心者の私は周囲を気遣い、恐怖心を殺す。もう一度確かめるためにそれを見た。

 やはり、のっぺりとした無表情な女の顔が窓の外から、こっちを見ている。逆さになった顔はカーテンとカーテンの間にできた細い隙間に上手に収まっている。さらに、顔はバスの振動に合わせ上下に揺れ動いていた。

 最初は恐怖心から呼吸さえ不安定になっていた私だが、バスの振動に翻弄される顔の動きがコミカルで思わず笑ってしまいそうになった。その瞬間、女がこちらを見た。血の気が引く。

私は必死に目で悪意があったわけではないことを訴える。効果があったのだろうか、女の顔が消えた。

 ほっとしたのもつかの間、

 ガチャガチャ。

 と窓の方から妙な音がし始めた。

 ガチャガチャガチャ。

 隙間には再び女の顔が浮かび上がっていた。しかも外側から窓を開けようとしているようだ。

 ガチャ。

 どうやって鍵を開けたのだろうか、スライド式の窓がほんの少し、開いた。

 ズッ……。ズッ……。

 女の細い腕が外から入り込み、カーテンの布をかき分けながらさらに窓を開けようとする。

 ズズズッ……。

 小さな音ではないはずなのに、どうして誰も起きないのだろう。私は恥を忍んで隣の乗客に声をかけようか考え始める。 

しかし気がつけばその頃には窓は大きく開けられており、女がバス内に入り込んでくる寸前であった。

 女は宙に浮きながらもにゅるりと車内へ入ってくる。その姿はなぜか不格好であった。片手で窓枠を支えながらも、もう片方は体育座りの時のように、体の前で両膝を抱えている。

 私が声も出せずに固まっていると、女は無表情でこちらを見やった。そして迷うことなく、私の斜め前にあった空席の通路側に座っる。

 あそこはあの女の席だったのか。

 不自然な空席の訳に納得する。私の席からは女が座っている後ろ姿がぼんやりと見えた。

 女はまっすぐ座りながらも、片方の白い足を通路へ投げ出していた。時折ぴょこぴょこと、足を子供のようにはねさせる。

 私は女の足の動きを黙って見つめていた。不思議なことに自身の恐怖心は和らいでいる。

 ぼうっと動きを見つめていると、急にぼとっと女の片足が通路に落ちた。 

私が驚いていると、女は焦ったように通路に転がった足を拾う。そして座席越しに私の方をじっと見ると、片足の太もも部分を持ち、つま先部分をピンと上に向け、傘でもさすかのように手に握った。更にもう片方の足も同じように握る。女は自分の二本の足を両手で構える奇妙な姿になっていた。 

その姿を見て、ああ、離れてしまった両足を押さえていたのか。

と私は気がつく。

 先ほど体育座りのような不自然な格好で入ってきた理由はこれだったのだ。理解したと言うように私は、女にうなずいてみせた。

 女も私の反応に納得したのだろうか。再び前を向く。そして片足を投げだしぴょこぴょこし始めた。

 演奏家気分だな。

 女は千切れた二本の足を、手に持ってわざわざリズミカルに動かしているのだろうか。自らの両足を木琴のばちのように扱う女を想像し、私は不思議と穏やかな気持ちになった。

暗いバス内。時折入り込む光が女の白い足を照らし、動きを鮮明に映し出している。

 リズムの良い女の足の動きをぼうっと見つめているうちに、眠たくなってきた。いつの間にか私は再び眠りに落ちていた。目を閉じても奇妙な足の動きが脳裏に浮かんでは消えていった。


 リズミカルなチャイムがバス内に響き渡り、私は目を覚ました。

 『毎度ご利用ありがとうございます。次に到着します駅は……」

 次いで運転手のアナウンスが流れ、目的地にそろそろ着くのだと知った。時刻は6時半。女との奇妙な出来事から3時間ほどしか経ってはいない。その割に随分と長い間眠っていたかのように頭はすっきりとしていた。

 急いで脳をたたき起こしながらも考える。先ほどのことは夢だったのではないか。実際に斜め前の席には今は誰も座っていない。

 私は下車の準備をしながらも、女が入り込んできた窓を確認する。が、人が侵入してきた跡はない。

まあ、悪い人ではなさそうだった。慣れない夜行バスでも眠ることができたのは女のおかげかもしれない。

 新宿到着のアナウンスと共に私は降り口へと急ぐ。通路を歩きながら、女が座っていた席を横目で確認した。何の変哲もない。

 降り口で運転手に小声でお礼を言うと、外に出る。早朝にも関わらず、下から吹き上げるような暑さがあった。

 汗を気にしながら、トランクに預けていた荷物を引き取るため列に並ぶ。 

番号札を乗務員に渡すと預けた荷物と引き換えてくれるのだ。

「おはようございます。今朝はよく眠れましたか。」

 乗務員に番号札を渡すと、笑顔でそう挨拶された。

 「そうですね。ただ私、後ろから3番目の席にいたんですけど、斜め前の方が少し……。」

 咄嗟に私がそう言うと、彼の顔色が青ざめるのがわかった。

 「何か、ありましたか?」

 恐る恐る聞いてくる彼に質問をぶつけてみようかと思ったが、自分の後ろに順番を待つ人がまだいるのを見て、やめる。

 「いえ、面白い方でした。」

 私がそう言うと、彼はきょとんとした顔で私の方を見た。私は彼から差し出された荷物を、笑顔で受け取った。

 目的地へと向かう前に、私はバスの外観を見渡す。だが車体にぶらさがっていた女の姿は発見できなかった。

 そのうちバスは発車時刻になり、次の停留所へと走り去ってしまった。私は名残惜しいような気持ちで、バスを見送った。 

その後も、私は何回か夜行バスを利用した。あの時と同じ会社のバスにも乗ってみたが彼女にはまだ、一度も出会えていない。

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