第4話 横浜大返し


 期待感と高揚感を満載したワゴンRと云う名のシルバーチャリオットが首都高湾岸線を通って一路、西へ向かっていた。


 助手席の男の鼓動速度とは裏腹に、ゆったりとしたペースを保ちながら搭乗者2名の関係進展を阻む要害ようがいを攻略する為、愛の主戦場に向けて進軍を開始したのだ。


 門仲から箱崎JCTに差し掛かるまで2人は言葉少なにしていたが、要害攻略を急ぐ男の方が攻撃の口火を切った。


「こういう感じの音楽が好きなんや?」


 何から切り出せばうまく敵陣に潜り込めるのか皆目かいもく見当もつかないデイリンが、車内の雰囲気を支配している歌姫の力を借りて危機的状況の打開に着手したのだ。


 昨夜の約束通り、カオリとデイリンは横浜に向かっていた。


 蒼天そうてん広がる、まさに「ドライブ日和びより」の形容がハマる土曜日の午前である。


 カオリの勤務先は年2回の10日連休が取得出来た。本日の土曜日から連続休暇開始という事もありカオリは解放感に包まれていた。


「そうなの〜大好き、ノラ・ジョーンズ。 今かけてる「don't know why」って曲がGin and Limeでかかってて初めて知ったの。良い曲でしょ? 1月にブルーノートまで観に行ったけど最高だったよ〜」


「俺もこういう感じ好きだよ。観に行きたいなあ。ブルーノートって何処にあるんだっけ?」


「南青山だよ。表参道駅から歩きで10分かからない位かな〜。私近くの学校に通ってたから意外にあの辺り詳しいの。ブルーノートの近くに「La CHIARARIA」っていうイタリア料理の店があるんだけど、パスタとフォッカチャがすっごく美味しいの。行きたい?」


「行きたいよ。だけど高そうやなぁ……」


「大丈夫。そんなに高くはないわよ。私が行けるくらいだもん。今度計画するね」


 鼻筋にしわを作りながら満面の笑みを浮かべてカオリは答えた。

「こんなに歯並びが良い女性に今迄出会ったことなかったな……」と思いつつ、デイリンも精一杯の笑顔を返した。


 そして「フォッカチャ」について直ちにウィキペディアで検索したい衝動に駆られた。


 今デイリンの想像にあるのは「オカリナの形状をしたトキトキが一杯出ているプラスチックの様に硬い物質」であるが、イタリア料理店で提供される食べ物にそんなものがある訳はない。


 今、カオリに「フォッカチャ」が好きか否かを問われたらなんと答えようか。いい歳をしてして「フォッカチャ」を知らないと聞いたらカオリは何と思うだろう。

 現時点でデイリンの頭の中を支配している「オカリナ的イメージ」に基づく発言は恋愛上の命取りとなるかもしれない。

 いずれにせよ今何らかの問いかけを受けたらダウンを取られるのは必至だ。


 イタリア料理店にしょっちゅう出入りしている奴なら簡単に避けられる「猫パンチ」程度の問いかけがデイリンにとってはノックアウトが懸念される程のインパクトを持っていた。


 デイリンは新たに話題提起を行い流れを断ち切る事にした。


「良いねえ。楽しみやわ、ブルーノートとイタ飯屋かぁ。それはそうと横浜にはよく行くの?」


 デイリンは違和感の無い返しで流れを変える事に成功した。


「最近行ってない……。私、みなとみらいの夜景が好きなのね。山下公園から歩いて赤レンガに向かう途中で見える夜景が大好きなの。あとね〜、赤レンガの中にベッドでごろごろ出来る席があるカフェがあるのよ。すっごくリラックスするよ」


カオリは「最近行ってない……」と云う部分はややトーンを落とし、横顔に一閃いっせんかげりの色をはしらせていた。


 デイリンは初めて訪れる “湊町 YOKOHAMA” に思いをせつつ、同時並行で次の会話の展開を思案していた。しかし焦りがデイリンの思考力を鈍らせ妙案が思い浮かばなかった。

 結局カオリの発言に対して質問をすることにした。「カフェにベッド」が引っかかったからだ。


「ベッドでごろごろ……して……ええの?」


「そう……ヤダァ、デイさん変な想像してない?。違うから〜」


「いやいや、してへんよっ!」


 デイリンは鼻をふくらませ、耳の辺りを真っ赤にしながら真面目な顔で否定をした。


「冗談よ〜! わかってるわ。可愛い。フフ」


 デイリンは翻弄ほんろうされていた。

 合戦で超格上にもてあそばれている感覚だ。幾つも年長のデイリンが、まるで少年扱いだった。


「デイちゃんはどんな音楽好きなの? 最初に買ったCDは何?」


 デイリンは常に話題提起しマウントキープするつもりだったが適当な話題が見つけられず、その間隙かんげきでカオリの反撃を許した。


 最初に買ったCDは「KinKi Kids」の「愛されるより 愛したい」と「モーニング娘。」の「LOVEマシーン」だった。KinKi Kidsは今でもカラオケでの十八番だ。しかしノラ・ジョーンズが好きなカオリに対して正解であるのか判断出来なかった。


 ブルーノートのような洒落た処にLiveを聴きに行った経験は無いし、ノラ・ジョーンズも今日初めて知った。


 奈良の健康ランドで「五木きよし」という一見大物っぽいが、実は見た事も聞いた事ない演歌歌手の歌謡ショーを観た事が唯一のLive経験かもしれない。ちなみに舞台に登場した五木きよしは「お前一体誰やねん?」状態だった。


 聞けば高校時代からブルーノートに行っていたらしいカオリにとって、デイリンが聴いてきた音楽の趣味が理解されるのか懸念けねんを抱いた。


 もしかすると「94光年離れた恒星系から発せられた強い電波信号」くらい馴染みの無い音だと感じるかもしれない。つまり、デイリンが94光年離れた恒星系の異星人だと判定される可能性が出てきたのだ。


 瞬時の計算ではじき出された答えたはこうだ。


「jazzとか好きだよ……」


 完全にデマカセだった。頭に浮かんだ事を思わず口にしてしまった。お金払っても良いから口の中に戻させて欲しいとデイリンは思った。


 ずもってjazzの定義が分からない。

 何処までがjazzなのか。オカリナを使った瞬間にjazzでは無いのか。アルト笛を使っても奏者そうしゃがjazzと言い張ったら認められるのか。


 音楽理論的な説明を施すとするならば、その定義は「小節内に通常とははずれた所に強拍があるオフビートが特徴のリズムと即興演奏が特徴の音楽」であり、19世紀末にアメリカ ニューオリンズの黒人労働者によって生み出されたものである。


 当該観点から見れば、「五木きよし」や「モーニング娘。」が繰り出す曲はその定義からはずれるだろう。そして通常オカリナやアルト笛は使わない。

 いずれにせよ、jazzのルーツも定義も知らないデイリンには到底理解の出来ない音楽だった。

 ただ「大人」「格好良い」「渋い」というイメージがあるだけだ。


「本当⁈ 嬉しい。趣味が合う〜。良かった。

 じゃあ、マイルスとかも好き? 神田駿河台にあるディスクユニオンjazz tokyoってCDショップ知ってる? あそこでマイルスの名盤が詰まったGREAT5ってCDセット買っちゃた。高かったけど良いから会社帰りに衝動買いしちゃった。デイさん貸してあげようか?」


 デイリンは何度経験してもよく理解出来ない “攻城戦” の基本戦術以上に、jazzも理解が出来なかった。そしてマイルスがどれだけ良いのかも…


 デイリン軍団は、愛の主戦場に到着する前に、1つのしくじりから一気に瓦解がかいしかけている。


 門仲の女神が軽く放った打撃が、デイリンのこめかみに炸裂し相当な得点差をつけられ、なおもカオリから追撃を受けている。


 当然にしてカオリはデイリンに打撃を与えたつもりは無い。


 例えるならば、強靭きょうじんな筋肉と黒いビロードの様な光沢こうたくのあるつややかな毛並み、そして流麗りゅうれいなフォルムを持つ美しく獰猛どうもうな “女豹めひょう” が、路地裏でうずくまっている様な “子犬” を可愛がるつもりででた……そんな感じだろうか。


 主戦場として決めた横浜へ向かう進軍途上で、デイリン軍団はもはや崩壊、いや自滅しかけていた。


 仮に主戦場に辿り着いたとしてもカオリがでただけで崩壊しかける脆弱ぜいじゃくな軍団では、カオリの放つ五方之形級の強力なスキルには到底耐えらるはずも無かった。


 しかしデイリンは現時点で出来る限りの合戦準備はしてきたつもりだった。それはもう全力だった。


 昨夜LAWSONで購入した靴下と下着。奈良から上京する時に餞別せんべつで貰ったアーノルドパーマーのハンカチ、クスリの福ちゃんで買ったマウススプレー、今朝みずほ銀行で下ろした3万円、横浜のオススメレストラン情報や見所ポイントを書き留めたメモ等、急遽きゅうきょ招集したデイリン連合がその力を発揮する前に撤退必至とおぼしき様相ようそうである。

 しかし諦めきれないデイリンは倒れざまに死中しちゅう求活きゅうかつの一撃を返した。


「何でも聴くよ」


「そうなんだ。私の知らない曲で良いのがあったら教えてね。ブルーノート楽しみ!」


 デイリンの苦渋くじゅうに気づいていないカオリは、微塵みじんも屈託の無い笑顔を返したきた。

 ギリギリの所で一縷いちるの望みを残せたのだ。得点差を縮めると共に攻撃コンボが繋がった。

 ただ、好みの音楽をカオリに教えるか否かは悩ましいところだった。


 しかしながら改めてカオリとの格差を再認識し「釣り合わないのではないか」と怖れおののく感情が心の中で渦巻いていた。


 ❶ノラ・ジョーンズ VS 五木きよし

 ❷青山のイタリアン VS 門前仲町の松屋

 ❸青山blue note tokyo VS 奈良の健康ランド

 ❹有名百貨店勤務 VS 零細倉庫会社勤務

 ❺カルティエ腕時計 VS G-SHOCK “風” 腕時計


 知り合って2日間だけでこれだけの格差を見出していた。1ヶ月も経過すれば更なる数の格差やカルチャーギャップが見つかるだろう。


 車が羽田辺りに差し掛かった時、デイリンのスマホがバイブレーションで着信を知らせた。


「はい。そうです。はぁ⁈ えっ⁈ はいはい。はい。えーー⁉︎ はい。そうです。はい、はい…とにかく行きます。一旦切ります!」


 運転席の女神にも瞬時に只事では無い雰囲気が伝わった。晴れ渡った蒼天の中、快調に進軍を続けるシルバーチャリオットの車内にだけどんよりとした暗雲が垂れ込めた。


「どうかしたの?」


 心配そうにしている顔さえ可愛いカオリを出来るだけ見ていたいとデイリンは思ったが、事態はその耽美たんびな時間を許してはくれなかった。


「深川警察署から……トンチが捕まったみたい。酔って駅前で揉め事を起こしたらしい。すぐに身元引き受けに来て欲しいって……」


 あんの野郎!よりによって! そう思わずにはいられないデイリンだったが、生麦なまむぎJCTで降りてとんぼ返りで深川警察署に向かった。


 途中でカオリから運転を代わったデイリンの鼓動速度と愛の戦場に背を向けたシルバーチャリオットのペースは行き道とは打って変わって同期を保ちながら、一路、警察署へ向かった。


 警察署の取調室にいたトンチの顔は、まるで滅多打ちに遭いながらフルラウンド闘ったボクサーの様にパンパンに腫れ上がっていた。唇は切れて頬っぺたにはぬぐった後の血が残っていた。

 よく見ると靴も片方履いていない。


 大事にしているMr.potato.headがプリントされたTシャツが無惨にも破り割かれ血糊を撒き散らしたような状態だった。


「今日デートやんなぁ、かんにんなぁ……」


 トンチはデイリンの姿を見つけると、デイリンの実家にいる柴犬のアレキサンドロスの様に、少し哀しげで人懐っこい表情を浮かべながら、小さな声でポツリと発した。


 トンチは口の中も切っているらしく、普通に話すことさえかなり辛そうであった。

 何よりトンチがいつも大事に着ていたTシャツがボロボロになっているのを見てデイリンは哀しくなった。

 いつもの天真爛漫てんしんらんまんさは影を潜め、じっとうな垂れて力なく安っぽいパイプ椅子に座っているトンチは痛々しいというレベルを超えていた。


「いやっ……ぁ……」


 ボロ雑巾のような状態にあるトンチを見たカオリは顔を両手で覆いながら、驚き・悲しみ・不安・怖れの感情が混然となった言葉を短く発し、そしてその後、嗚咽おえつした。


 デイリンは警察署員の説明で惨劇の顛末てんまつを把握した。

 事件現場至近にある花屋の女性店員が一部始終を見ていたそうだ。事件は「深川仲町通り商店街」で起きた。


 花屋の斜め向かいにあるシャッターが閉まっている店の前に、いかにも柄の悪い輩4人組がたむろをしていた。その近くを齢80に手が届きそうな老人男性が自転車を引きながら歩いていたところ、輩共やからどもの1人である短髪金髪が老人の自転車の車輪めがけて棒っきれを投げつけた。

 車輪のスポークの間に棒が刺さりブレーキを掛けられた老人は自転車と共に倒れ、買い物かごに入っていたスーパーマーケットの袋から内容物が散乱した。


 輩共はその光景を見ながら高笑いをし、挙句の果てに袋から散乱した林檎や玉葱を、まるでゲームに興じるかのように、一旦ジャンプしてから踏み潰して更に嘲笑ちょうしょうを続けていた。


 怒った老人が輩共に近づくと、今度は老人の足を踏みつけたり、老人の自転車を乗り回したり、あざけりと揶揄からかいの言葉を投げかけたりと暴挙の限りを尽くした。


 その場に通りかかったのが酒に酔った状態のトンチだった。


 暴挙の現場を目の当たりにしたトンチは酔っ払いながらも一目散に現場に駆けつけ輩共に対峙した。


 しかし多勢に無勢は明らかで、トンチはあっという間に輩共のサンドバックとなった。頭を小突かれたり、腹を殴られたり、背中に飛び蹴りを受けたりした。精一杯抵抗を試みたが、酔いのせいもありトンチの攻撃は空を切り続けた。


 武器を探したトンチは花屋の隣りの古いおもちゃ屋の前に立てかけてある売り物の「竹馬」を見つけ一目散に取りに行った。


「竹でも……馬は馬や……やったんでぇ……」


 トンチは下唇をギュッと噛み締め、竹馬をにらめ付けながら両手で力強く握り締めた。


 即製の武器を手にしたトンチはきびすを返し、うすら笑いを浮かべながら暴挙を続ける輩共に向かい突撃を開始した。


「てっきちゅう〜とっぱだ〜!このやろー!!」


 竹馬をブンブン振り回し、雄叫びを上げながら突っ込んで行ったが瞬く間に倒され、後は輩共4人がかりによる滅多打ちに遭った。


 地面でうずくまり、気が遠くなりそうになりながらトンチは声を振り絞った。


「おいちゃんにげれー! くそがぁ!いちびりやがって!かかってこんかいあほんだらー。きけへんのじゃい。かっこ はつどーじゃー!」


 地面に倒されたトンチは、身体をくの字にして頭を抱えながら身を守っていた。

 輩たちはサッカーでも楽しむかのごとく寄ってたかってトンチを蹴り続けた。


 みぞおちや頭に容赦の無い打撃を受け、血を流し、ボロ雑巾のようにわやくちゃにされながらも、底抜けにお人好しなトンチは自らの惨状はかえりみず老人の安全を気遣っていた。


 輩共の報復を恐れて、事態を傍観するだけの花屋の店員が見るに見かね警察へ通報した。

 パトカーのサイレンを聞いた輩共は、蜘蛛くもの子を散らすように逃げて行った。


 斯くして「悪夢の土曜日 」は終結した。


 余談だが「てきちゅう〜……」「かっこ……」とトンチが叫ぶ声を聞いた花屋の店員は、一体何を言っているのか理解出来ず、もしかするとトンチが脱法ハーブでもやっているか、あるいはおかしくなったのではないかと思ったそうだ。


 警察署員から一部始終を聞いたデイリンは、身元引き受けの手続きを済ませるとため息混じりに呟いた。


「ホンッマに……アッホやなぁ……」


 取調室に戻ると、トンチは最初に見た時と同じ格好のままパイプ椅子に座り、うな垂れてじっとして痛みを堪えているようだった。

 デイリンはトンチの側に行き出来るだけ優しく背中をさすりながら声をかけた。


「奥義のチョイスが悪かったんとちゃうん?

 またぼろ負けやん。せやけど……“寝らんと独りでおいちゃん守りきったんろ? えげつないの相手にごっつう頑張ったやんか……MVPやで……」


 トンチはデイリンの言葉聞きながらうつむいていた。そして泣きながら笑っていた。

 またデイリンにあきれられると思っていたところ、意外な言葉をデイリンにかけられ、ほっとして流した嬉し涙だった。


 デイリンはその光景を見て迂闊うかつにも涙がこぼれかけたが深呼吸をして無理矢理引っ込めた。


 涙を浮かべながらデイリンとトンチのやりとりを固唾かたずんで見守っていたカオリに向かいデイリンが微笑みながら語りかけた。



「こいつ俺のなんや。イケてるやろ」



 なぜだか分からないが、デイリンの頭の中ではノラ・ジョーンズの「don't know why」が流れ続けていた……



 最高の友は、私の中から最高の私を引き出してくれる友である。

(ヘンリー・フォード 企業家 1869〜1943)

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