病夢とあんぱん その52


 それからの話。

 僕らは無事・・・とはいかなかったものの、なんとか『海沿かいえん保育園』に帰ることができた。

 莉々りりちゃんと共に、だ。

 『シンデレラ教会』の人たちも、大手を振って僕らを送り出してくれたわけではなかったが、独り立ちをしたいという莉々ちゃんの決意を前に、止めることはできなかったようだ。渋々ながらも、僕らが『海沿保育園』へと帰ることを許してくれた。

 ・・・らしい。

 正直、僕は帰るまで気を失っていたので、本当のところ、どういう展開になったのかは正確には把握していないのだ。しかし、おりさんから聞いた話では、そんな流れだったらしい。

 どこまで信用していいのか、分かったものじゃないが。

 まあ、ともかく、これで僕らの目的は達成されたことになる。無事に生き残り、無事に莉々ちゃんを連れ戻すことに成功した。

 死人が出たし。

 僕は殺されかけたし。

 これから、どれだけの人が不幸になるのかは知らないけれど。

 ともかく、やることはやった。僕からは、何も文句はない。文句を言いたい誰かさんがいるとしても、僕からはノーコメントだ。

 生き残ることができただけで、充分満足だ。


 『海沿保育園』に帰ると、空炊からたきさんとおきさんが、ご馳走を作ってくれた。あらゆる調理技術と食材を尽くした、豪華すぎる料理だ。空炊さんが和食、洋食、中華のそれぞれから何品かを作り上げ、沖さんはお得意のパンを焼いてくれた。

 保育園内の人間の人数に対して、多すぎる料理だ・・・・・完全に、宴会のノリである。


「・・・帰ってたんですね。しんじょうさん」

「あん?帰ってちゃ、悪いのかよ?」


 シャワーを浴びてさっぱりした後、ホールでくつろいでいた信条さんに声を掛けると、彼女はイラついた口調で返事を返してきた。


「ったく、めんどくせー仕事だったぜ・・・。やっぱ、何回行っても、海外は好きになれねえな。別に、日本も好きじゃねえけど」


 この人、何回も海外に行ってるのか?僕なんか、人生で一度も行ったことないぞ・・・。


「こっちだって、相当面倒くさかったですよ。何度か死にかけました」

「ふん。こっちは、数百回と死にかけたさ。ま、良かったじゃねえか。莉々を取り戻せた上に、無事に帰ってこれてよ。めでたしめでたしってとこか?」

「めでたしってわけには、いかないと思いますけど・・・」

「だろうな。ゴチャゴチャと、面倒ごとを残してきちまったみたいじゃねえか。大成功とは、百歩譲っても言えねえな」


 ・・・「めでたし」は、ただの皮肉か。

 信条さんは僕の心を読みながら、ニヤニヤと意地悪く笑った。


「一人、死んだみてーだな。ふん。殺したのは、氷田織のバカ野郎か。面白くもない・・・。爆弾も使っちまったのか?勿体もったいねえなぁ。やっぱ、お前に持たせるべきじゃなかったかもしれねえな・・・」


 どうやら、僕の心をのぞくことで、この一連の事件のことを知ろうとしているようだ。

 ・・・そうだ、思い出した。爆弾だ。

 あれがなければ、僕は疫芽との戦いで死んでいたかもしれないのだ。一応、お礼を言っておいた方がいいだろうか?


「・・・なるほどな。なかなか面白い冒険たんじゃねえか。私の冒険譚ほどじゃないにせよ、な。だが、こんな冒険譚を味わっても、相変わらず、お前の心ん中は真っ黒だな」

「・・・」

「敵に勝ったことに関しても、莉々を救い出したことに関しても、お前はなんの感情も抱いていない。達成感なんて、皆無だ。そうだろう?お前の心を満たしているのは、生き残れたっつー事実だけだ。お前らしいといえば、お前らしいんだろうけどな」


 信条さんは、あざけるように笑う。

 僕は・・・答えない。

 図星すぎるからだ。まあ僕が答えずとも、彼女には、それが事実であることは分かってしまうのだろう。

 『真空しんくうせいげんのうぜんやまい』、である。

 やっぱり、爆弾のお礼を言うのはやめておこう。この人に感謝の言葉なんて、かけてやるもんか。


「そうだ。感謝なんてすんな」


 僕の心の声に、彼女は応じる。


「私が一番嫌いな言葉は、『ありがとう』だからな。そんなセリフ、想像しただけでも鳥肌が立っちまうぜ」

「感謝されるのが嫌いって・・・どんな精神構造してるんですか。あなたは」

「その言葉は、そのまんまお前に返してやるよ」


 お前は一体、どういう風に生きてんだ?

 彼女は、呆れたように言う。

 ・・・そんなの、僕が教えてほしいくらいだ。

 それから、信条さんも一緒に、空炊さんと沖さんの豪勢な食事を味わった。

 『海沿保育園』のフルメンバーでの食事。初めて見る光景である。


「あの・・・柳瀬さん」


 僕が牛肉コロッケを頬張っていると、ふいに、莉々ちゃんが話しかけてきた。


「うん?なに?」

「ありがとう、ございました。私を、迎えに来てくれて・・・」

「・・・お礼なら、氷田織さんに言いなよ」


 ちらりと、氷田織さんの方を見る。

 氷田織さんは、テーブルの端の方で、ホットケーキをせっせと口の中に運んでいた。そろそろ、お皿が空っぽになりそうである。ついでに、食事の前には一本まるまる残っていたメープルシロップも、既になくなりかけていた。

 ・・・見なかったことにしよう。


「氷田織さんは、なんかちょっと怖くて・・・。話しかけづらいですし・・・」


 確かに。

 激しく同意である。


「柳瀬さんも、少し怖いんですけど・・・お礼は、ちゃんと言わなくちゃって思って・・・」


 え?僕って、少し怖いの?

 子どもに言われると、結構ショックだ。


「でも本当に、お礼なんかいらないよ」


 僕、君を助けようとなんて思ってなかったし。

 と言おうして、やっぱりやめた。

 それが正直な気持ちであるとはいえ、無意味に子どもの心を傷つけることはないだろう。莉々ちゃんがこんな僕に感謝したいと言うならば、感謝させておけばいい。

 ・・・どこからか、信条さんの刺すような視線を感じるが、気のせいだろう。


「ほら。ハンバーグでも食べなよ。好きだろう?ハンバーグ。子どもといえば、ハンバーグだからね」

「それは、偏見だと思いますけど・・・。私、豚ロース肉のオレンジソースがけが食べたいです」

「・・・残念ながら、ないみたいだね」

「・・・残念です」


 とてもシャレオツな子どもである。

 いや、この子はちょっと特別だからだろう。豚ロース肉のオレンジソースがけが、子どもにとってメジャーな料理であるはずがない。・・・ことを祈る。

 家を出て、父親にはっきりと別れを告げて、彼女はこれからどんな風に変化していくのだろうか?趣味嗜し好こうが変わったり、将来の夢を持ったり、好きな人ができたりするのだろうか?

 ・・・・・そんなわけがないか。

 こんな世界で、こんな社会で。

 『病』なんてよく分からない奇病が蔓延はびこる社会で、そんな真っ当な成長が出来るとは思えない。せめて、氷田織さんや信条さんのような大人にならないように、祈るばかりだ。

 まあ。

 どうでもいいことだけれど。


 表面上は、とても和気わき藹々あいあいとした食事だった。仲の良い集団ではないとはいえ、誰もが食事を楽しんでいたように思う。

 僕も、沖さんも、莉々ちゃんも、ばたさんも、空炊さんも、氷田織さんも、信条さんも、子供たちも。この束の間の、平和な食事を楽しんでいた。

 食事の後、僕はひと眠りすることにした。食べてすぐに寝ると牛になる、と言うけれど、さすがに体の疲労感が限界だ。お腹がいっぱいになって、それに拍車がかかってしまったし。

 重い足を引きずりながら階段を上り、自室に到着する。布団に寝転ぶと、一気に睡魔が襲ってきた。

 辛い戦いだった。

 これからも、こんなことが続くのだろうか?・・・だとすれば、嫌で嫌でたまらないけれど。心底、嫌気がさすけれど。

 まあ、でもとりあえず。

 今は、せいぜいみんむさぼるとしよう。

 僕は眠りにつく。


 彼の予想通り、戦いが終わることはない。彼が生きようとすればするほど、戦いは続く。自ら死を選ばない限りは、辛い戦いに終わりはない。

 自分の人生のことしか考えられない彼を、誰も認めてはくれない。誰も、それを許したりはしない。

 彼が生きることを、許したりはしない。


 柳瀬優という人間が死ぬことを。


 望んでいる人間は、少なくない。


                                   


                                      「病夢とあんぱん」〈完〉

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