病夢とあんぱん その51


 銃声は、屋敷のホールにまで響き渡っていた。


(銃声・・・?)


 殺し合っていたおり草羽くさばねは、戦いを中断する。


「ご当主様!」


 叫びながら屋敷の奥へと走り出す草羽に対し、氷田織は小さく舌打ちしながら、奥へと向かった。


(あんまり上手くいかなかったみたいだねぇ。やな君は・・・)


 まあ、あの老人を殺すのに手こずっていた自分が言えることでもないか。

 そんなことを思いながら、氷田織は走った。

 実際、彼らの戦いは互角だった。氷田織が戦い慣れしているのは当然だったが、草羽の方も老人とは思えないほどに、殺し合いに慣れていたのだ。主人を守るために鍛えているのか、その体術も見事なものだった。


(やたら、僕の両手を警戒していたからねぇ。・・・もしかすると、何かしらの『病やまい』を持っていると、勘付かれていたのかもしれない)


 今、『海沿かいえん保育園』で自分たちの帰りを待っているであろう、どこかの老人とは大違いだ。と、氷田織は苦笑いする。

 二人が教会へと到着すると同時に、教会の奥の方の扉からも、教会内へと侵入する者がいた。

 一人は機桐はたぎり莉々りり

 もう一人は、エプロン姿の知らない女性である。

 二人とも息を切らせながら、教会内へと走り込んできた。


(・・・柳瀬君はどうなった?)


 氷田織は、すぐに目の前の惨状へと、目線を移す。血の海の中に倒れる柳瀬ゆう。そして、祭壇の上に横たわる、見知らぬ男が視界に入ってくる。


(さすがに死んだかな)


 柳瀬に対して冷たく判断を下す氷田織であったが、祭壇の上の男がまだ死んでいないであろうことは、直感で分かった。・・・いや、たとえその男が死んでいたとしても、氷田織の行動は変わらなかっただろう。

 その男が、『シンデレラ教会』のリーダーである以上。

 死んだのか、まだ生きているのか、間近で確かめければならない。生死を直接確認し、確信を得なければならない。この状況で敵の親玉を放置するほど、氷田織は甘くなかった。

 直感が間違えていて、死んでいればそれまでだし。

 直感が当たっていて、まだ生きているのならば、この手でトドメを差す。

 『致死ちしの病』で、引導を渡してあげよう。


(・・・よし。殺そう)


 氷田織は、祭壇の方に向かって走り出す。

 何の感情もなく、躊躇ためらいもなく、殺すために走り出す。


「!・・・待ちなさい!」


 草羽も、氷田織にワンテンポ遅れて、駆け出す。

 だが、すぐに二人は足を止めることになった。


「や、やめて!やめてください!」


 一瞬、誰が叫んだのか、氷田織には分からなかった。しかし、それが莉々の口から発せられた声だと理解し、彼は足を止めた。氷田織は、いや・・・その場にいる誰も、莉々がそんな風に大声を出したところを、見たことがなかったのだ。


「やめて、ください・・・」


 今にも泣きそうな声で、莉々は懇願こんがんする。

 見れば、莉々の目は、既に泣き腫はらしたかのように真っ赤になっていた。息を整えながら話すその姿も、どこか疲れていて、くたびれた様子だ。

 息を整えた莉々は静かにゆっくりと、しかし確実に、祭壇の方へと歩いて行った。

 その歩みを邪魔する者はいない。

 莉々を引き戻そうとする者も。傷ついた柳瀬を手当てしようとする者も。倒れている孜々ししを介抱しようとする者も。

 ここには、いなかった。

 まっすぐに歩いて行く彼女を、誰も阻むことは出来なかった。

 莉々はまず、柳瀬の背中へと両手を添えた。銃弾で撃ち抜かれた傷がみるみる治り、真っ青だった顔が徐々に色を戻していく。


(『治癒ちゆじょうの病』、か。良かったねぇ、柳瀬君。君は、またしても生き延びることになりそうだよ)


 氷田織は、心の中で声をかける。面白くもなさそうに。


(せいぜい、拾った命を大事にすることだねぇ)


 氷田織のそんな物騒な考えをよそに、莉々は祭壇の方へと向き合った。


「おとう、さん・・・」


 体の震えを抑えながら、消え入りそうな声で、彼女は呼び掛ける。


「・・・お父さん」


 ゴクリと唾を飲みこみ、今度ははっきりとした声で、彼女は呼び掛けた。


「お父さん、ありがとう」


 まず、お礼を述べる。


「お話は、のどさんから聞きました・・・」


(和香さん?)


 氷田織は、真剣な面持ちで莉々を見つめている、エプロン姿の女性をちらりと見た。


(なるほど、あの人のことか。執事に、お世話係ねぇ・・・。これは莉々ちゃん、本格的にお嬢様って感じだねぇ。それに・・・・まさか『シンデレラ教会』のリーダーが、莉々ちゃんの父親だとは。驚きだねぇ)


 うらやましいとは、とても思えないけれど。と、氷田織はせせら笑う。


「だから、お父さんが何をしようとしたのかは、分かっている、つもりです・・・」


 莉々の話は続く。


「でも、でも・・・ごめんなさい」


 彼女は、深々と頭を下げた。

 父が、柳瀬に対してそうしたように、深々と。


「私は、お家に戻りたくない・・・。また、あんな風に辛い思いをしたくない。怒られたくない。見放されたくない・・・」


 彼女の声の震えは、抑えきれていなかった。彼女の頭には、何度も何度も「あの日々」のことがよみがえった。


「冷たいのは、もうイヤ・・・。でも、子供たちは、みんなあったかい。笑ったり泣いたり忙しいけど、みんなみんなあったかい。あの保育園が、今の私の居場所なの」


 私の居場所。

 だが、これも消去法でしかない。彼女は子供が好きだが、ずっと面倒を見ていたいと思えるほど、大好きなわけではない。もちろん、『海沿保育園』の大人たちが好きなわけでもない。

 「家」という居場所をなくしたから、代わりの居場所を見つけたというだけのことである。どちらかといえば、今の方がいい。親元を離れてみたいという、子どもながらの冒険心もある。

 とっかえひっかえの雑な考え方であることは間違いないし、幼稚な思い付きであることも否定できない。

 それが、どれだけのリスクを伴ともなうことか、彼女はまだ知らない。


「だから、行かせて。お父さん。お父さんのおかげで、私、いろんな人を治せるようになったよ。きっと、一人でも生きていける。新しい場所で、上手くやっていける」


 これが過信であることは、誰の目にも明らかだった。まだほんの、小学生程度の知識しか持っていない彼女が一人で生きてくことなんて、できるはずがない。

 しかし、誰も否定はしなかった。

 彼女が、彼女自身が決めた人生を変えることができる人間なんて、ここにはいなかった。

 父親を含めて、だ。

 彼女は最後にも、感謝の言葉を伝える。


「お父さん。今までありがとう」


 そして、もう一言付け加える。

 家を出るときには、言うのが当たり前の言葉を口にする。

 少しだけ笑いながら、涙をぬぐいながら、その言葉を言う。


「いってきます」


 それらの言葉が、莉々の父親に届いているかどうかは定かではない。いや、おそらく、気を失っている彼には届いていないだろう。後に、使用人のうちの誰かが、それらの言葉を伝えることになるだろう。

 だが、もし聞こえていたのなら、彼はこう言いたかったことだろう。


「いってらっしゃい」と。


 この戦いでは、誰も幸せになれない。

 柳瀬優は、またしても生き残ってしまったせいで、これからも、死ぬほど辛い人生を歩いて行く。

 機桐孜々は結局、娘を取り戻すことはできなかった。彼の優しさや願いが、娘に届くことはなかった。

 機桐莉々は『海沿保育園』に戻る運びとなったが、本当のところ、父親の元に帰った方が正解だったのかもしれない。『病』の蔓延はびこる世界で生きていくことがどれだけ辛いか、どれだけ不幸なのか、彼女はこれから思い知ることになる。

 『海沿保育園』も。

 『シンデレラ教会』も。

 めでたしめでたしとはいかない。

 傷ついた人間も、死んだ人間もいる。

 決して、誰も幸せにはなれない。


 ただ。

 一人の娘が、一人の父親の元から巣立った。早すぎる、独り立ちをした。

 それだけである。


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