病夢とあんぱん その47


「莉り々りが出て行ったあと、私は、自分のしてしまったことを死ぬほど後悔した。妻と息子が出て行くのを止められなかった自分を、娘の家出を止められなかった自分を、これでもかというくらいに呪った」


 機桐はたぎり父はギュッと、唇を噛んだ。

 後悔を噛みしめるように、唇を噛みしめる。

 いくら後悔しても足りず、いくら呪っても呪い足りない自分を、責め立てる。どれだけ後悔したところで、妻も、息子も、娘も、戻ってはこないというのに。


「だけど・・・後悔するには、遅すぎたんだ。そうして、私は一人になった。残ったのは、このただっ広い家と、草羽さんたちのような、数少ない使用人たちだけだ・・・」


 と、彼は教会内を見渡す。

 広すぎる、この教会を。

 確かにこの家は、一人で住むには広大過ぎる・・・あまりにも、空っぽだ。


「・・・寂しくなったんですか?この広い家に、一人でいることが耐えられなくて?それで、莉々ちゃんを取り戻そうとしたんですか?」

「・・・・」


 彼は黙ってしまった。教会の天井をじっと見たまま、動かない。

 自分の気持ちに・・・整理をつけているのだろうか?

 やがて、彼はこう言った。


「そう・・・寂しかった」


 ぽつりと。呟くように。


「そして・・・やり直したかったんだ。あの子の父親として、もう一度、やり直したかった。今度こそ、あの子を支えてあげたいと、そんな風に私は願った」


 彼の視線は、天井から動かない。


「だから、莉々が『海沿かいえん保育園』にいると分かったときは、嬉しかったよ。無事に生きていてくれて、ホッとした。だが、同時に、取り戻したいという気持ちが強くなったんだ。おこがましくも、ね。私は、莉々を取り戻すための作戦を考えた。仲間に協力してもらいながら、どうにか莉々を連れ戻す方法はないかと、模索した。君のことを知ったのは、そのときだったよ」

「僕のことを?」

「ああ」


 と、僕の方に微笑みかける。


「『やまい』のことを知り、組織に追われている、やなゆうという男が『海沿保育園』に保護されていることを知ったのは、ちょうどそのときだった」

「それで、あんな脅迫電話を?」


 機桐父は、申し訳なさそうに頷く。


「君の警護に気を取られている間に、莉々をさらうという算段だった。やく君が、アドバイスをしてくれてね・・・。本当に、申し訳なかったよ」


 ・・・それなら、氷田織さんの予想は、おおむね当たっていたということか。彼らは最初から僕を殺す気なんてなく、莉々ちゃんだけを狙っていたのだ。

 娘の誘拐ゆうかい。もしくは、奪還だっかん

 それだけが目的だった。


「でも、こうして話し合うつもりがあったなら、なぜ、無理矢理誘拐するような真似を?それに、あの二人をけしかけてきたのは、どうしてなんです?」


 こうして話し合うことが最初から出来ていたならば、僕たちが必死になって戦う必要はなかったし、彼らのメンバーの一人(じま、と言っていたっけ?)も、死ぬことはなかったのだ。

 初めから友好的な手段を用いなかったのは、何故だ?


「話し合うつもりがあったといっても、さすがに、真正面から交渉するのは、無理だと思ったんだ。機桐莉々を渡せ、と言われたからといって、君たちだって、大人しく渡したりはしなかっただろう?」

「まあ、そうですね・・・」


 というか、絶対渡さなかっただろう。

 おきさんの性格からして、保護しなければならない対象である莉々ちゃんを、みすみす手渡したりしなかっただろうし、『治癒ちゆじょうやまい』を便利だと思っているおりさんも同様だ。下手をしたら、その場で、機桐父は氷田織さんに殺されていたかもしれない。そういう意味では、彼の判断は正しかったのだろう。

 まあ・・・やっていることは正しくないが。


「疫芽君たちをけしかけたのは・・・完全に、間違いだったよ。本当に、無責任な決断だった」


 と、彼は顔をしかめる。


「あわよくば、と思ってしまったんだ。彼らが君たちを倒してくれれば、莉々のことを諦めてくれるんじゃないかと、そう思ってしまった・・・」


 「結局、私は迷っていたんだ」と、彼の声には、さらに後悔がにじむ。


「莉々を取り戻すことにも、君たちと話し合うことにも、私は迷っていた。そして・・・怖かった。莉々が、またしても私の下から去って行ってしまうかもしれないと考えると、怖かったんだ。だから、そんな風に、乱暴に決着をつけようとしてしまった」


 それは・・・確かに、乱暴な方法だ。

 僕らとの交渉から逃げ、莉々ちゃんとまっすぐ向き合うことも避け、僕らを殺すことで決着をつけようとしていたのなら。

 やり方が、おおざっすぎる。

 乱雑すぎる。

 解くことのできないひもの結び目を、無理矢理引きちぎるようなものだ・・・。それだけ、必死だったということなのだろうか?

 まあ、フォローするつもりなんて、さらさらないのだが。殺されそうになったことを、恨まないわけにはいかない。

 どんな理由があろうと、殺されるなんて御免だ。

 そこに、娘への愛があろうが。

 殺されるつもりは、ない。


「最終的には、こうして君と話し合える運びになって、本当に良かったと思っているよ。きちんと向き合うことができて、良かった。君たちを殺すことにならずに済んだ・・・」


 彼は、小さく笑った。そして、「ふう・・・・・・」と、息を吐く。

 長く、疲れたような溜息だ。

 それは。

 話が終わったという、合図でもあった。


「柳瀬君」


 と、機桐父は、僕に呼びかける。


「これで、私が話せることは全部だ。長い話になってしまったね・・・ご清聴ありがとう」


 彼は、お茶を一口すする。

 おそらく、すでに冷え切ってしまっているであろうお茶を。


「君たちには、たくさん迷惑をかけた。仲間にも随分、苦労をかけた。だからこそ、私はもう、失いたくない。立派な父親になりたい」


 娘を愛したい。

 優しさを、わけ与えたい。

 たくさんの幸せを、教えてあげたい。


「だから、もう一度言わせてほしい。どうか・・・どうか、お願いだ」


 娘を想う父親は、再び、深々と頭を下げる。


「娘と、一緒にいさせてくれ・・・・」


 必死の懇願が、教会に静かに響く。

 話は終わり・・・・・そして。


 この戦いもまた、終わりが近づいてきたようだ。


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