病夢とあんぱん その42

 

 お屋敷。と言っていいくらいの豪邸だった。いや、屋敷というか・・・どちらかといえば、きゅう殿でんに近いかもしれない。

 朝六時に訪問した『シンデレラきょうかい』の本拠地は、そういう場所だった。

 パッと見ただけでも、その豪勢ごうせいな雰囲気が伝わってくる。

 鉄製の門。噴水。高級そうな車。きちんと整えられた花壇。銅像。

 テレビで見るような、ザ・豪邸という感じの家屋だ。少し薄汚れている僕らの格好が、完全に場違いに感じる。きちんとした正装に着替えてくるべきだったか?せめて、新品の服に着替えてくるべきだったかもしれない。いや・・・どんな格好であろうとも、莉々りりちゃんを取り返しに来た僕らを、歓迎してくれるはずもないのだが。



「・・・おりさん。本当にここで合ってるんですか?人をさらうような人間が住んでいるようには、到底とうてい思えないんですけど・・・。嘘を教えられた可能性は?」

「うーん。どうだろうねぇ?」


 と、適当に返事をする氷田織さん。

 まあ、しかし、お金持ちな人間の性格が、必ずしも良いとは限らないのも確かだ。お金持ちだからこそ、莉々ちゃんのような特別な人間を、手に入れたいと思っているのかもしれない。

 ・・・いくら考えたところで、常人の僕には、富裕層の人間の気持ちなんて分からないけれど。


「入ってみれば、分かるんじゃないかな?」

「入ってみればって・・・」


 こんな豪邸に、躊躇ためらいもなく入る奴がいるか?不法侵入者として、今回の事件とはまったく無関係に捕まったりしないだろうな・・・。


「なんなら、バイクで強行突入して、中にいる人を皆殺しにしてもいいよ」

「普通に入りましょう」


 僕は即答する。

 改めて、この人の危険性を再確認した。

 バイクで強行突入とか。

 本当に無関係な人たちだったら、一体どうするつもりなんだ?

 と、僕が侵入方法に頭をひねらせている横で。


「そうかい。じゃあ、普通に入ろうか」


 氷田織さんは、自然に門を開けた。


「え?いや、そんな堂々と・・・」

「他に、どうやって入るんだい?やっぱり、バイクを使おうか?」

「いや、バイクは駄目ですって・・・」


 堂々と侵入する氷田織さんに対して、おどおどと体を丸めながら侵入する僕だった。

 が、屋敷の敷地内に二、三歩を踏み出したとき、屋敷の中から出てくる人影があった。

 執事。一目見て、執事だと思った。

 ゆったりと蓄えたひげ。タキシード。蝶ネクタイ。どこからどう見ても、執事としか思えない格好だ。

 僕らと初老の執事は、ちょうど噴水の横あたりで合流する。


「すいません、旅の者なんですが。今日、泊まらせてもらえませんかねぇ?」

「・・・生憎あいにく、あなたたちに貸せるような空き部屋はありませんね」


 またしても変な冗談を言う氷田織さんに対し、執事は苦笑いを浮かべる。

 ・・・この人は、初対面の人に対して、冗談を言わずにはいられない性格なのか?


「じゃあ、食べ物わけてもらえます?こんな豪邸なんだから、さぞかし美味しいデザートがあるんでしょうねぇ」

「残念ながら、こんな早朝からデザートはありませんよ・・・。冗談はそれくらいに」


 執事は微笑む。しかし、声はピリッと引き締まっていた。


「『海沿かいえん保育園』の方々とお見受けしますが・・・いかがですかな?」

「ええ。大正解です」


 氷田織さんもまた、微笑み返す。


「それじゃあ、僕らがここに来た理由も、予想がつきますよね?」

「ええ。莉々様を、取り戻しに来たのでしょう?」

「分かっているなら、話が早い」


 と、氷田織さんはますます笑顔を浮かべる。

 対し、僕は「莉々様?」と、呼び方に疑問を覚えた。変な呼び方だ。お客さんでもないんだから、呼び捨てでいいんじゃないのか?

 なぜ、そんな丁寧な呼び方をする?

 そんな、まるで・・・あるじを呼ぶような言い方を?


「大人しく返してくれるなら、僕らはそれで満足ですよ。他に手出しはしません。僕らは、殺し屋ではないんでねぇ。どうでしょう?ここは、平和裏に取引をしようじゃありませんか」


 嘘だ。と、僕は即座に思った。

 氷田織さんに、「平和裏」なんて言葉は全然似合わない。下手をすれば、莉々ちゃんを取り戻した瞬間に、周りにいる人間を皆殺しにする可能性だってある。


「まあ、そう焦らずに」


 と、執事は氷田織さんを制す。


「まずは、中にご案内しましょう。お話は、それからでも遅くはないでしょう?」

「そうですねぇ・・・」


 執事の丁寧な誘いに、氷田織さんは軽く考える動作をする。

 誘いに乗るべきか、ここで執事を始末するべきか、悩んでいるのだろうか?それならば、前者を決断してくれることを祈るばかりだ。


「確かに、『シンデレラ教会』の当主とやらにも、会ってみたいですからねぇ。ぜひ、案内をお願いしますよ」

「ありがとうございます。それでは、こちらへ・・・」


 と、執事は歩き出す。

 僕はホッと、胸を撫で下ろした。いきなり殺し合いが始まったら、どうしようかと思っていた。

 しかし、氷田織さんの発言にも、不可解な点があった。

 「当主」とはどういうことだ?なぜ、そんな言い方をする?あの疫芽という男も、氷田織さんが戦ったスーツの男も、自分の雇い主のことについては何も話してはいなかった。

 氷田織さんは、莉々ちゃんの居場所以外にも、何か聞き出していたのか?・・・一体、何を隠している?

 相手が氷田織さんなだけに、疑い出したら止まらない。


「おっと、失礼」


 と、しかし、執事は少し歩いただけで足を止め、もう一度、僕らの方を向いた。


わたくしとしたことが、うっかり自己紹介を忘れていました」


 執事は申し訳なさそうな顔をする。


わたくし、この屋敷の執事をしております。草羽くさばねと申します」


 草羽さんは、深々と頭を下げる。


「以後、お見知りおきを。そして・・・」


 顔を、上げる。


「ようこそ。『シンデレラ教会』へ」

 

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