病夢とあんぱん その41


「おやおや・・・向こうは、派手にやっているようだねぇ・・・」


 二階フロアが異様に伸びていく光景を目にして、おりは楽しそうに呟く。

 実際、じまの交渉相手がやなだったならば、結果は違っていたかもしれない。そういう意味では、氷田織を交渉相手に選んだ彼らの判断は、悲しいくらいに間違っていたということなのだろう。

 詩島が死ぬことはなかったかもしれないし、平和に交渉は済んでいたかもしれない。

 運が悪かったと言うほかない。

 運が悪かったね、ごしゅうしょうさま。と、氷田織は思った。

 一つ。機桐はたぎり莉々りりの居場所を知ること。

 二つ。目の前の男を殺すこと。

 それが、氷田織のやろうとしていたことだった。詩島を生かして返す気など、まるでなかった。ましてや、協力する気など毛頭もうとうない。

 なるべく都合良く生き、都合良く戦う。

 それが、氷田織の生き方である。



「・・・驚いたねぇ」


 オフィスに倒れる僕を発見したときの氷田織さんの第一声は、そんな言葉だった。


「・・・何がです?」


 倒れたまま、僕は返事を返す。

 夜はすでに明け、朝日が昇る。日光が、窓に足を掛ける氷田織さんを明るく照らし出した。・・・・・そのシルエットは、なんだかとても不気味ぶきみに感じる。


「君が生きていることに、だよ」


 コツコツと足音を立てながら、氷田織さんは向かってくる。


「君のような一般人が、よくもここまで生き残れるものだ。前の戦いでも思ったけれど、君はよっぽど運が良いらしいねぇ。一体いつまで生き長らえるのか、僕は楽しみになってきたよ」

「・・・そうですか」


 そうですか、としか言えない。

 氷田織さんに期待されていようが、いなかろうが、僕は生きるだけだ。


「しかし、どうだろう柳瀬君。ここで僕が、君を殺すというのは。君が戦いに疲れてしまったというなら、僕はいつだって、死ぬ手伝いをしてあげるけどねぇ」

「・・・疲れてるのは事実ですけど」


 僕は何とか立ち上がる。

 フラフラと、よろけながら。


「僕を殺そうって言うなら、全力で抵抗しますよ」

「そうかい?それは残念だ。でも、死にたくなったら、いつでも言ってくれて構わないよ」

「そりゃ、どうも」


 おそらく、そんな機会はこないだろうけど。たとえ死にたくなったとしても、氷田織さんとしんじょうさんだけには頼まないだろう。


「そろそろ引き上げ時だろう。君が使った爆弾の爆発音で、周辺住民が起きてしまったかもしれない。それに、これだけビルの構造が変わってしまったんだ。いつ崩れ落ちたって不思議じゃない」

「そうですね・・・。とはいっても『海沿かいえん保育園』に帰る、わけではもちろんないんでしょう?」


 かすかな希望を込めて、僕は質問する。

 しかし・・・。


「ああ。その通りさ。莉々ちゃんの居場所は分かった。あの真面目そうな、スーツの彼から聞き出してあげたよ。感謝してほしいところだねぇ」

「感謝するのはいいんですけど・・・・・彼はどうなったんです?」

「もちろん、死んだよ。僕が殺した」


 特に思い入れもなく、氷田織さんは言う。


「やっぱりですか・・・」


 まあ、こうなるのは目に見えていた。氷田織さんは、殺すと言ったら必ず殺す人だ。情報だけ手に入れてみすみす逃がす、なんて甘いことはしないだろう。


「で?すぐに向かうんですか?できれば、少し休ませてもらえるとありがたいんですけど・・・」

「うん。駄目」


 氷田織さんは笑う。


「残念ながら、そんな余裕はないよ。こんな雑用、さっさと終わらせたいからねぇ。それに万が一、莉々ちゃんが殺されちゃったりしたら、きょうめだからねぇ。この戦いがまったくの無駄になる。柳瀬君だって、それは嫌だろう?」

「それはそうですけど・・・」

「しかも、バイクは僕が運転するんだから、君は移動中に休めるじゃないか。いやぁ、うらやましいねぇ」


 さあ、出発するよ。という言葉を最後に、氷田織さんは歩き出す。


「・・・はぁ」


 僕は溜息をつきながら、氷田織さんに続いて渋々歩き出す。

 どうやら、連戦になってしまうようだ。

 正直、かなりキツい。

 目立った大怪我はないものの、身体的にも精神的にも、かなり疲れた。今こそ、十時間くらい寝させてほしいものだ。

 が、やるしかないのだろう。駄々をこねたって、氷田織さんに殺されるだけだ。つまり、次の戦いも無事に生き抜いて、莉々ちゃんを助け出し、その後にぐっすり寝るしかない。

 ・・・次も、生き残れるだろうか?

 氷田織さんが言った通り、僕が生き残れたことなんて、偶然でしかない。信条さんの爆弾がなければ、きっと僕は死んでいたことだろう。次の戦いも生き残れる保証なんて、どこにもないのだ。次もツキが回ってくることを祈るしかない。

 運良く、生き残れることを。


 だが、運が良いのはここまでだったかもしれない。

 『シンデレラきょうかい』に、僕は勝つことができない。

 僕は生きることに執着しているが、彼らの莉々ちゃんへの執着はそれ以上だった。

 僕は、何も得ることはできない。『シンデレラ教会』もまた、何も得ることはできない。もちろん莉々ちゃんだって、何も得られない。

 この戦いで誰かの望みが叶うことは、ない。

 みんなが命をけ、みんなが損をする。

 とても不毛で、無意味な戦いだった。


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