病夢とあんぱん その32
事が起こったのは、深夜に差し掛かる直前。
日を
「本日中」という約束は果たされないのではないか、と思われた頃だった。
ホールには三人の人間がいる。
この三人だ。
しかし、敵は入り口側からはやって来なかった。
その逆。
敵は、保育園の最も奥にある部屋に侵入したのだ。
彼らが意図的に奥部屋を狙ったのか、それとも偶然だったのか・・・。いずれにせよその事実は、敵にとっては好都合だったし、柳瀬たちにとっては最悪の事態だった。
ガシャン!という、窓ガラスの割れる音が奥部屋の方から聞こえたとき、僕の体は硬直した。
(ついに来た)
そう思ったのだ。
今度こそ、臨戦態勢を整えなければならない。
それは沖さんも同じだったらしく、僕同様に、身を固くする。
だが・・・氷田織さんは違った。
身を固めるでも、構えるでもなく、勢いよく
奥部屋の方に向かって。
なぜ?向こうからこっちに近づいて来ているというなら、待ち伏せをした方が良いんじゃないのか?
が、次の瞬間気付く。
それでも、遅すぎたくらいだが。
(奥部屋には、莉々ちゃんたちが・・・)
彼女たちは戦えない。
僕と同じく、戦えない。
あっさりと
氷田織さんに数秒遅れて、僕と沖さんも奥部屋の方に駆け出す。
三人は、それぞれの
氷田織畔は、敵を殺すため。
沖飛鳥は、仲間を助けるため。
柳瀬優は、「事実」を知るため。
氷田織さんに続いて部屋に飛び込んだとき、まず最初に目に入ったのは、慌てふためく子どもたちだ。
笑顔はどこにもない。
泣き出している子。
泣くのを我慢している子。
周りを心配そうに見回している子。
ただ、殺されている子はいないし、人数も十五人のままだ。ひとまず、子どもたちは被害を
次に目に入ったのは、床で伸びている空炊さんだ。何者かに襲われたのか、気を失って倒れている。
そして、目に入らないものがあった。
本来いるはずの人間が、そこにはいなかった。
機桐莉々の姿は、部屋のどこにもなかったのである。
「・・・やられたねぇ」
氷田織さんが
あれから数分後。
莉々ちゃんが姿を消した後。
ホールには、先ほどの三人が集まっていた。
炉端さんは空炊さんの手当てをし、子どもたちを落ち着かせてくれている。
「つまり、奴らは最初から、柳瀬君なんて眼中になかったわけだ。柳瀬君を殺すという予告はフェイク。本命は、莉々ちゃんの
氷田織さんは、
一方で、沖さんはとても沈んでいた。
攫さらわれた莉々ちゃんを、相当心配しているのだろう。この人のことだ。今すぐにでも、彼女を助けに行きたいと思っているのかもしれない。
そして僕はといえば、少し複雑な心境だった。
莉々ちゃんの身は確かに心配しているのだが、自分が狙われなくて良かった、という思いの方が強い。
思いやりの
奥部屋に入った瞬間、敵が莉々ちゃんや空炊さん、子供たちを人質に取り、「柳瀬優を差し出せ」と言う可能性が。
「僕なんて眼中にないのかもしれない」という「予想」を、「事実」として認識するために、僕は奥部屋まで走ったのだ。
・・・まあ、そんなことをされたところで、自分の身を差し出すつもりなんて、さらさらないが。
「それに、このポストカード・・・」
と、氷田織さんはポストカードを
奥部屋には、莉々ちゃんの姿が消えていた代わりに、一枚のポストカードが落ちていたのだ。
『シンデレラ
「返してほしくば、ここへ来いってことかな?随分と、面倒くさいことをするじゃないか。やり口が古風だねぇ」
「・・・・すぐにでも行きましょう」
と、沖さんが立ち上がる。
予想通りのことを考えていたようだ。
「私が行きます。皆さんは、ここで安全に待機を・・・」
「無茶苦茶なことを言うもんじゃないですよ、沖さん」
氷田織さんが、心底馬鹿にするような口調で反論する。
「あなたに、何が出来るっていうんですか。あなたこそ、安全に待機していてくださいよ。いつも通り、
沖さんが、渋々、椅子に座り直す。
その表情は、悔しさと悲しさに歪ゆがんでいた。
「心配せずとも、僕が彼女を助けてあげますよ」
え?
この人が?
他人を、助けるだって?
だが、理由を聞けば納得できた。
彼女を助けるに値する、氷田織畔らしい、合理的な理由が。
「彼女の『
氷田織さんは微笑む。
人を人とも思わないような、悪魔的な笑顔で。
「僕だって考えますよ。あの『病』があれば、安心して殺し合いができる」
・・・安心して殺し合いをするかどうかは、別として。
『治癒過剰の病』が、とてつもなく便利だという考え方に関しては、異論を唱えるつもりは、僕にはない。
彼女自身が、というよりは、彼女の抱える『病』が重要なのだ。
はっきり言ってしまえば、あの子が『病』を持っていなければ、彼女の存在なんてちっぽけなものだろう。特に価値のない、その辺の女の子と同じだ。
・・・僕も
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます