病夢とあんぱん その27

 

 10分ほどして、僕はたたみ部屋を出た。もう一度寝てしまおうと思ったのだが、十時間眠った後ではさすがに寝付けなかった。

 それより、喉が渇いた。

 水がほしい。

 残念ながらここには、うめこんちゃを手渡してくれる事無ことなしたくみという友人はいなかったので、水道水を求めて、キッチンの方へ出向くことにした。


(事無の奴は、元気だろうか・・・?)


 いや、元気であろうがなかろうが、僕が失踪しっそうしたことを気にさえしてくれていれば、それでいい。

 なんなら、捜索そうさくねがいとかを出してくれていると、ありがたいのだけど・・・。と、友人に対して理不尽な要求をする僕だった。


(警察が僕を見つけ出してくれる可能性は、どれくらいあるんだろう?)


 ふと考えたが、すぐに考えるのをやめた。

 恐らく、限りなく低い可能性なのだろう。

 『海沿かいえん保育園』も、粒槍つぶやり伝治つたうじの組織も、警察に追い詰められるような証拠を現場に残していくとは思えない・・・。


「おや、ゆうくん。体はもう大丈夫ですか?」


 ホールに出ると、テーブルで本を読んでいたらしいおきさんが、心配そうに声を掛けてくれた。もう真夜中の一時を回るというのに、元気なご老人だ。


「ええ。大丈夫ですよ。莉々りりちゃんのおかげで」


 キッチンの水道で水を汲み、沖さんの正面の椅子に座る。

 うん。水、美味い。


「あの子が、教えてくれたんですか?『やまい』のことを?」


 と、少し驚いた表情をする、沖さん。

 やはり、彼女が自身の『病』のことを話すのは、珍しいことなのだろうか?


「教えてくれたというか、聞き出してしまったというか・・・あの子には悪いことをしてしまったかもしれません」


 本音半分、嘘半分で僕は答える。正直に言ってしまえば、「聞けて良かった」という気持ちの方が大きいかもしれない。


「莉々ちゃんは、どうしてここにいるんです?あんな役に立ちそうな『病』なら、不自由な生活に追い込まれるようなこともない気がしますけど・・・」

「役に立つからこそ、だと思いますよ。ちょうど一年前くらいに・・・彼女は家を出たそうです」


 家出?

 小学生の身で、か?


「『お父さんにいじめられた』と言っていました。『お母さんとお兄ちゃんがいなくなった』、とも・・・。あの通り、口数の少ない子なので、詳しいことは分かりませんが・・・彼女は彼女で、深い事情があるのでしょう。『役に立つ』からこその事情が。私は、そう考えていますよ」


 事情も分からない子どもを、保護しているんですか?と聞こうとして、これはもんだと気づいた。


 誰でも助ける、だったっけ。


 まあ、発言から、大体の察しはついてしまうが。

 虐め。暴力。虐待。

 家庭崩壊。

 そういうことなのだろう。


「何にせよ、彼女がいて良かったですよ。本当に刺されたのかどうか疑問に思うくらい、傷も完治していますし」

「帰ろうとしたところで襲われた、とほとりくんから聞きましたよ。連絡を受けたときは驚いたものです・・・・一体、何があったんですか?」


 僕は話した。

 カッターナイフで刺されたこと、げきしゅに襲われたこと、住宅街に誘い込まれたこと、『感電死の病』は、粒槍伝治という男だったこと。

 その男は、まだ生きているということを。

 沖さんに伝えた。


「粒槍伝治・・・聞いたことがない名前ですね・・・。しかし、これで彼らの組織を放っておくことは、できなくなりましたね。またしても優くんが狙われた、となると・・・・」

「粒槍の組織に対して、何か手を打つ、ということですか?」

「手を打つ。確かに、そういうことになりますね。組織を明らかにし、優くんを狙わないように交渉する必要があるでしょう」


 交渉、か。

 自分たちが生き残るためには、他人の命を脅おびやかすことすら躊躇ためらわない組織との交渉。

 かなり難航しそうだ。

 『病』のことを口外する可能性のある一般人を生かしておくことに、彼らが賛同してくれるとは、到底とうてい思えない。


「ちなみに、その頃、おりさんが何をしていたのか、聞いてますか?」

「彼は彼で戦っていたそうです。例の狙撃手を、止めていてくれたそうですよ。戦いを終え、駐車場に君が帰ってきていないことを確認した後、連絡をしてくれたのも彼です」


 なるほど。狙撃手は、氷田織さんが止めていてくれたのか。

 その後、氷田織さんが、狙撃手をどうしたのかは・・・いや、考えるのはやめておこう


「私が助けに行きたかったのですが・・・莉々ちゃんとほうくんだけを、ここに残していくわけにもいきませんからね。逆に、彼らに車で駆けつけてもらうことにしました」


 そういえば気を失う直前、莉々ちゃんと空炊からたきさんの顔を見たような気がする。氷田織さんが連絡してくれたのか。

 それなら、氷田織さんには感謝しなければならない・・・のだが。

 正直、今回の件で、氷田織さんに対する警戒は逆に強くなってしまっていた。

 根拠こんきょもなく疑っているわけではないのだ。

 根拠は、ある。

 この外出は、突発的なものだった。前から計画立てしていたわけではないし、当日になって急に僕が言い出したことだ。

 つまり、情報の漏れる余地がない。それなら、彼ら、つまり粒槍らは、どうやって僕らの外出を知ったのだろう?どうやって、あんなにピンポイントに僕らを狙ってこれた?

 基本的に知っていたのは、僕、沖さん、氷田織さんの三人だ。しんじょうさんとばたさんは仕事中だったし、莉々ちゃんと空炊さんは、僕らを助けるよう沖さんに頼まれるまでは、外出のことを知らなかったそうだ。

 僕からは、情報の漏れようがない。そもそも組織のことなんて知らないし、わざわざ情報を知らせて殺されようとなんて思わない。

 どれだけ手の込んだ自殺なんだ、という話だ。

 沖さんを疑うこともできるが・・・それならば、氷田織さんを疑った方が賢明けんめいだろう。その人間性を考えると、可能性が高いのは氷田織さんだ。

 現場に出ることが多い氷田織さんなら、粒槍らの組織のことを既に知っていてもおかしくはないだろうし、買い物中に僕の目を盗んで情報を伝えることも出来るだろう。

 いや、それなら、なぜ狙撃手と戦ったのかという疑問は残るのだが・・・。案外、それも打ち合わせしていたのだろうか?僕を殺すための出来できレースとか・・・。

 考えすぎ、か?

 この短い期間で何度も命を狙われ、自意識過剰になっているのだろうか。

 しかし、頭の隅っこで、初めて出会ったときの氷田織さんの言葉が響いた。


「もしかすると、殺しに来たのかも」。


 氷田織畔。

 彼は、本当に僕を殺すつもりなのだろうか?

 と、氷田織さんへの疑いがどんどん濃くなってきたころで、プルルル・・・・と事務所の固定電話が鳴った。

 「失礼」と、沖さんが事務所の方へ向かう。

 こんな深夜に電話してくるなんて、一体、どんな要件だろう。長い話になりそうだ、と思ったが、予想に反して沖さんはすぐに戻ってきた。


「優くん、厄介なことになりました」


 と、普段はあまり見ない、険しい顔で沖さんは告げた。

 その恐ろしい要件を、教えてくれた。


『本日、やなゆうを殺しに参ります。 シンデレラきょうかい


 挨拶もなく、死刑宣告だけを残し。


 電話は切れたらしい。


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