病夢とあんぱん その16


 『海沿かいえん保育園』での生活も一週間を迎えた。


 というのも、この保育園は生活上必要な最低限のものはそろっており、案外、快適に生活できてしまったのだ。

 食事は朝昼晩と空炊からたきさんが作ってくれている。和洋中と、毎日メニューも変化しており、味も相当美味しかった。聞いてみれば、空炊さんは『海沿保育園』に来る前まで、栄養士として病院に勤務していたそうだ。

 そりゃあ、美味うまいはずだ。

 それに三時のおやつには、おきさんの手作りパンが提供される。これもかなり美味しい。僕のお気に入りはやっぱり、あんぱんだ。

 これで食事に文句を言った日には、さすがの沖さんも、その人を追い出しかねないだろう。


 洗濯、掃除、食器洗いといったたぐいのことは、保育園にいる人間が、役割分担をして行っている。もちろん、大人の衣服は(莉々ちゃんも含め)自分で洗うことになっているのだが、子供の衣服や食器の数はそこそこ多いので、保育園にいる人間が少ないときはなかなか大変だったりする。

 子供の面倒は、おもに沖さんとちゃんが見ているようだ。調理をしていないときは空炊さんも手伝っているし、ばたさんという人も、保育園にいるときは子供の相手をすることが多いそうだ。

 僕もこの一週間で、何度か子供たちとの遊びに付き合った。

 ・・・全然、仲良くはなれなかったが。

 しんじょうさんとおりさんは、たとえ保育園にいたとしても、子供の相手は全くしないらしい。信条さんは子供に興味がないらしいし、氷田織さんに至っては、そもそも子供が嫌いらしい。  

 確かに嫌っていそうだ。・・・あの人は、なぜここにいるのだろう?

 ちなみに、炉端さんにはまだ会えていない。沖さんによれば、長期におよぶ仕事の真っ最中らしい。


 お風呂にも不便はなかった。『海沿保育園』には、保育園には珍しくシャワーがついていたのだ。残念ながらぶねはなかったので、お風呂といっても、頭と体を洗い、熱い湯を浴びる程度だが。

 これで寝床まであるのだから、保育園内で、ある程度の生活は成り立ってしまう。そう見ると『海沿保育園』は、小さいながらも、他の保育園に劣らない設備を備えているといえるかもしれない。

 一つ、他の保育園と決定的に違うところがあるとすれば、それは、親が子供を迎えに来ない、というところだろうか。もちろんそれは、親が忙しくて迎えに来れないといった類の、普通の理由ではない。

 『やまい持ち』と思われる子供。

 両親がいない子供。

 身元が不明の子供。

 様々な「訳あり」の子供を保護し、預かっているようだ。



 さて、保育園としての機能の説明はこれでほとんどだ。

 ここからはいわゆる「裏の世界」に通ずる、「よく分からない施設」としての『海沿保育園』の説明になる。

 どうやら『海沿保育園』以外にも、『やまい』に関わっている施設はあるらしい。施設によって、『病』への関わり方は、浅い、深いの差はあるようだが。そして、それらの施設から(それら以外の施設からも)仕事を受けることもあるそうだ。氷田織さんや信条さん、炉端さんが行っている「仕事」というのは、どうやらこれらのことを指すらしい。

 それはたとえば。

 『病持ち』の人間や『病』に関わった人間の調査、保護だったり。

 『病持ち』ではなくとも、「訳あり」の人間の保護だったり。

 たとえば。

 殺人、であったりする。

 もちろんそれは、沖さんを通さない、氷田織さんや信条さんへの個人的な依頼であることがほとんどのようだが。


「明るい仕事ばかりじゃねえよ、もちろん。じいさんに言えないような仕事も山ほどある」


 と、これは信条さんが話してくれたことだ。


「爺さんも、全然それを察してねえってことはないだろうけどな。私なんか、死と隣り合わせの現場に何回潜もぐり込んだか、分かったもんじゃねえ。ま、そうは言っても爺さんには世話になってるからな。その分、報酬金をちょっとばかし、爺さんに回してるってわけだ。どうだ?偉いだろ?」


 偉いかどうかは別にして、どうやら『海沿保育園』の財源はその辺から来ているようだ。

 なるほど。それならば、氷田織さんや信条さん、炉端さんが保育園を空けることが多いのも納得だ。

 ・・・ん?とここでまた一つ、疑問が生じる。

 それならば、保育園をほとんど空けることのない沖さんは、僕と初めて出会ったあの夜、一体何をしていたのだろう?


「ああ。それは単なる散歩ですよ。かっこいい言い方をすれば、パトロールですね」


 いや、別に、かっこいい言い方をしなくてもいいのだが。


「私以外の全員が保育園にいるときは、ああやって外を散歩しているのです。ほうくんや莉々ちゃんだけを残して、保育園を空けるわけにはいきませんから、たまに、ですがね。散歩をしながら、いろんな人とお話をしたり、パンをわけたりと、自由気ままに行動しているわけです」


 ・・・この人、暇なのだろうか?『ぜっの病』とか言っておきながら、やっていることはかなり地味だった。

 とまあそんな感じで、『海沿保育園』には様々な顔があるようだ。

 不満は特にない。沖さんたちが何をしていようと、僕からは特にコメントはないのだ。ひとまずは、僕の命がおびやかされないのなら、それでいい。

 ただ、一つだけ。

 一つだけ、言わせていただきたいことがあった。


「あの、沖さん」

「なんでしょうか?ゆうくん」

「そのー・・・・お出かけ、したいんですけど」

「・・・はい?」


 キョトンとされてしまった。まあそうだろう。

 しかし、これは僕のたっての願いだった。

 お出かけ、という言い方になってしまったが、要するに外に出たいのだ。もう一週間も保育園の中にこもりっぱなしだ。少しくらい、外の空気を吸いたい。服やら本やら、買いたいものもあるのだ。生活用品は揃っているし、服に関しても、氷田織さんと空炊さんが何着か貸してくれているが、ずっと借りっぱなしというのも気が引ける。大体、氷田織さんは僕より身長が十センチくらい高いので、サイズが合わない。ぶかぶかだ。

 そんなわけで、まだ僕が逃げ出すことを警戒しているであろう信条さんが留守のころ合いを見計らって、僕は切り出した。


「さすがに、いつまでもこの中にいるんじゃ、息が詰まりますし・・・。どうでしょう?沖さんにも付きってもらって、外出させてもらう、というのは?」

「うーむ、そうですねぇ。確かにこのままでは、監禁状態になってしまいます・・・とはいっても、私が付いて行くのでは、こころもとない」


 ちらりと、氷田織さんの方に顔を向ける沖さん。

 ん?まさか?


ほとりくん。優くんの外出に、同行してもらえませんか?」

「えー・・・・」


 こつに嫌そうな顔をする氷田織さん。

 いや、そんなことをいったら、こちらからも願い下げなのだが・・・。


やな君、別に外に出なくたっていいんじゃないかい?大人しく、保育園の中に隠れていなよ。無理に危険を冒すような真似まねは、君だってしたくないだろう?」

「いつまでも隠れているわけにもいかないでしょう?これから一生、保育園の中に籠りっぱなしというわけにはいかない」

「それはつまり、いつかはここを出て行くということかな?一人で、ここから逃げ出そうとでも考えているのかい?賢いねぇ」


 ニヤリと、不敵な笑みを浮かべながら、嫌味を言う氷田織さん。

 ・・・ばれている。

 それなら、沖さんにもたくらみがばれているのだろうか?


「優くんがそんなことを考えているわけがないでしょう?」


 ・・・ばれていないようだ。


「それに同行といっても、常に付きっ切りでいてほしいというわけではありませんよ。畔くんは畔くんで、貴重な休みを楽しんでください。ただ、優くんが危機に陥おちいったときは助けてあげてください。あなたになら、それができると信じていますよ」

「・・・随分と簡単に言ってくれますね。まともに人間と殺し合ったこともない、あなたが」


 氷田織さんは目を細めて、沖さんの方を見る。「何も知らないくせに」という風に。

 信条さんにしても、氷田織さんにしても、どうも沖さんに対して多かれ少なかれ敵対心を持っているように見える。ちゅうじつ、では絶対にありえない。いち集団をまとめている人間が、これで大丈夫なのだろうか?

 しかし、言われた沖さんの顔といったら、涼しいものだった。


「ええ。私にできることなんて、少ないものです。だからこそ、あなたたちを信じるくらいのことは、させてください」


 相変わらず、にゅうな微笑みを浮かべている。この人は怒ったりしないのだろうか?


「・・・まあ、いいですよ。ちょうど、バイクでドライブでもしようかと思っていたところですし。じゃあ柳瀬君。さっさと行こうか?」

「今すぐ、ですか?」

「今すぐ、だよ。雑用はさっさと済ませるに限る」


 雑用、か。まあそうなのだろうな、と僕は考える。

 貴重な休み、といっていた。普段は仕事が忙しくて、休んでいる時間なんてほとんどないのだろう。たまの休みを、僕なんかのために使いたくはないはずだ。

 それに、外出先で、氷田織さんのいうところの「殺し合い」なんかになってしまえば、僕は戦いの足手まといでしかないだろう。

 僕には、戦う手段なんかない。

 人を殺すためのノウハウなんて知らない。

 まあ、いざとなれば一人でなんとかするしかない。まったく・・・外出くらいのことで、どれだけの覚悟をいられるんだ。


「それじゃあ、すぐに準備します・・・。よろしくお願いしますよ、氷田織さん。なるべく、ご迷惑はかけないようにします」

「はいはーい。よろしく。まあとりあえず、めっなことがない限りは、殺し合いになんてならない・・・とは思うよ。なったとしても、基本的には僕が守ってあげよう。ただ、それでも・・・」


 立ち上がりながら、氷田織さんは僕に微笑みかける。

 やはり、沖さんとは正反対の、他人の心を刺激するような笑顔。


「僕に殺されないように、気を付けてね」


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