病夢とあんぱん その17

 

 そして、僕とおりさんの、途方もない冒険が始まった。


 ということはなく、普通にバイクに乗せてもらい、普通にショッピングモールへ向かった。

 お出かけとはいっても、それほど用事が多かったわけではない。

 そこそこ似合う服を買い。

 そこそこ好きな小説とマンガを買い。

 そこそこ気になったお店を渡り歩く。

 何の変哲もない買い物だ。

 この外出中に、氷田織さんと非常に親しくなった、ということもない。何せ、買い物中も必要最低限の会話しか交わさないのだ。そりゃ、親しくなろうにもできない。いや、たとえ会話が弾んでいたとしても、この人と仲良くなれそうな予感はしないが。

 ・・・どうも、この人に馴染なじめる感じがしないのだ。具体的に何かをされたわけではないのだが(殺すと脅されたことを除けば、だ)、どうしても、歩み寄ろうと思えない。話せば話すほど、嫌いになっていくような気がする。

 親しくなりたいとは、もちろん思っていないが。

 まあ、ひとまず、買い物中に僕が死ぬこともなく、彼が僕を殺そうとしなかっただけでも儲けものだと思っておこう。

 そして正午。

 特に盛り上がりのない雰囲気の中、僕らはカフェで軽い昼食を食べていた。

 僕の注文はペペロンチーノ。

 氷田織さんの注文は・・・。


「あの・・・氷田織さん」

「なんだい、やな君」


 食べる手を止めずに、氷田織さんは応答する。


「氷田織さんは、甘党なんですか?」

「そうだけど。何か問題があるかい?」

「いや、問題っていうか・・・。だいぶイメージと違うなと思って」

「僕がパンケーキを食べているのが、ミスマッチだとでも言いたいのかい?だけどねぇ、僕は他人のイメージに合わせて食べるものを選ぶほど、周りの目を気にしてはいないんだ。放っておいてくれって感じでね」

「はぁ」


 氷田織さんは、濃いコーヒーをブラックで飲むようなイメージだったので、注文を聞いたときはきょうがくだった。

 パンケーキ。それも、ハチミツとアイスとホイップクリームを限界まで増量したやつ。

 そして、飲み物はバナナミルク。

 あまりにも甘党に偏り過ぎていて、見ていてちょっと気持ち悪くなってしまった。甘党の人は、みんなこんな感じなのだろうか?甘いものも辛いものもバランス良く食べたい僕からしてみれば、分からない感覚だ。しかも、普通の昼食でこれなのだ。三時のおやつではどんなことになるのか、想像もつかない。

 悪夢のようなパンケーキから目を逸らし、僕はペペロンチーノを食べる。

 うん、美味しい。

 鷹の爪とニンニクが効いている。

 やっぱり、食事はバランスが大切だ。


「よく味わって食べなよ。今、食べているものが、いつ最後の食事になるのか分からないんだから」

「怖いこと言わないでくださいよ・・・。氷田織さんはいつもそんなことを考えながら、食事をしてるんですか?」

「そんなわけないだろう。ご飯がまずくなるじゃないか。冗談だよ、冗談。マジになるなよ、柳瀬君」

「なら、いいんですけどね」


 この人の冗談はよく分からない。というか、冗談で言っているのか、本気で言っているのか、全然判断がつかないのだ。だから、いちいち本気で捉とらえそうになってしまう。

 まあ、いつも最後の晩餐ばんさんのことを考えている、というのは冗談だとしても・・・。


 ちらりと、氷田織さんの手元を見る。

 手袋。

 というか、バイク用グローブ。


 いつもグローブをつけている、というのは断固たる事実だ。


 僕は、氷田織さんがそのグローブを外しているのを、見たことがない。バイクを運転するときも、屋内にいるときも、食事をするときも、だ。いや、まだ知り合って一週間なので、グローブを外したところを見たことがないのを、偶然と言われてしまえば、それまでなのだが・・・。

 でも、やはり不自然だろう。

 生活しにくいこと、この上ないだろうに。


「氷田織さん。そのグローブ、いつもつけていますよね?」

「ああ、これかい?そうだよ。僕は極度の潔癖けっぺきしょうでねぇ。なるべく、手を汚したくないんだ」

「・・・それが、氷田織さんの『やまい』ですか?」

「そうそう。なかなか厄介な『病』だろう?」

「冗談、ですよね?」

「さて、どうだろうねぇ」


 はぐらかすように笑う、氷田織さん。

 多分、これは嘘だろう。

 『ちょっぴりだけ異端で、少しだけ異常なだけなんだ』。

 『病』のことを示唆しさしていたときの氷田織さんの表情は、冗談、という風ではなかった。少なくとも、いつも浮かべている笑顔は消えていた。そっちの方が、こちらとしては落ち着くのだが。 

 その、心をザワザワさせる笑顔は、できるだけ消しておいてほしい。

 しかし、このまま『病』のことを追求したところで、またはぐらかされるだけだろう。この人が、素直に教えてくれるはずがない。

 ・・・ひとまず、みにしている振りをしよう。


「潔癖症っていうと、手を何回も洗わずにはいられない、みたいなやつですよね?それなら、グローブなんてない方が、すぐに手を洗いやすいんじゃないですか?」

「僕の潔癖症は、そういうタイプではないということだよ。手を汚したくないだけで、手を洗う回数は他の人と変わらないさ」


 ならば、ますます嘘っぽい。

 『可哀想だよねー。それが理由で人生がおかしくなっちゃったりしてさー。まったく不幸な人たちだよねぇ』。

 その程度の『病』を、あんな風には語らないだろう。おきさんやしんじょうさんの『病』と比べれば、全然大したことがないように思える。

 本当は、どのような『病』なのだろうか?

 この人は一体、何を背負って生きている・・・?


 そんな疑問が解決するのは、まだ先のことになる。

 氷田織ほとりの『病』のことを知ったとき。

 柳瀬ゆうが、その事実を知ってしまったとき。

 

 彼らのうちのどちらかが。

 もしくは両方が。


 命を、落とすことになるのだろう。


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