病夢とあんぱん その9

「いやいや、もういいですって。もったいぶらなくても。覚悟あります。ありますよ。だから、さっさと説明してください」


 そろそろウンザリしていた。

 この状況にも、もったいぶられることにも、ウンザリだ。


「いいえ、そういうわけにはいきませんよ。何故なら、この話をすれば、あなたはもう戻れなくなる」


 しかし、僕のせっ詰まった気持ちに反し、おきさんはまだ話そうとはしなかった。

 ・・・ん?戻れなく、なる?


「・・・何に、ですか?」


 答えは若干、予想できていた。

 知らなくてもよいこと、知ってはいけないことを知ってしまった人間は、どうなるのか?

 少し考えればわかることだ。


「もちろん、元の生活に、ですよ」


 真剣な表情で語る、沖さん。


「それは・・・最悪の場合、ですか?」

「いえ、最低限、です」


 最低限、生活を失う?

 そんな大それた話をしようっていうのか?


「なら、最悪の場合はどうなるんですか?」

「・・・・命を、落とすことになりますね」


 ゆっくりと重みを持たせて、沖さんは言った。

 ・・・・・やっぱりか。

 でも、それならそれでいい。むしろそれを聞いた方が、はっきり返事ができるというものだ。

 「聞きたくありません」

 そう言おうとした。

 しかし、言おうとしたところで気付いたことがあった。いや、「聞き・・・」までは言ってしまったのだが。

 待てよ、と。

 そもそもだ。

 そもそも、そのお話とやらを聞いていない時点でも、僕は死にそうな目に遭っているんだぞ?生活に関しても、自室を燃やされたり壊されたりした時点で(壊したのは僕か。ついでに防犯カメラも)、既に後戻りはできなくなっている。


「聞いても聞かなくても、状況は変わらないんじゃないですか?」

「さすが。賢い方です。『感電かんでん』から逃れられたのは、やはり偶然ではありませんでしたね」


 感心したように拍手をする、沖さん。


「もちろん、そこを誤魔化そうとしたわけではありませんよ。二つの可能性を説明させていただきます」


 と、そう言うと、沖さんはおもむろに、空のティーカップを僕の前のテーブルに置いた。


「まず『聞かない』場合、あなたは命を狙われることになります。ただし、生活全般は我々が全力でサポートします。命を狙われれば、我々が全力でお守ります。ただ、何も説明はしません。何が起こったとしても。基本的にはあなたと顔を合わせないようにしますし、接触しないように心がけます。そして、命だけは保証します。絶対に」


 ここまで話したところで、彼はティーカップに紅茶を注いだ。

 自分のティーカップと、僕のティーカップの両方に。


「そして『聞く』場合、あなたは同じく命を狙われることになります。ただし、全てを説明します。今がどういう状況なのか、ここがどこなのか、あなたの知りたいと思っていること、全てを。ただ、聞けば命を狙われる危険性はぐんと上がりますから、基本的には私たちのそばで生活をしていただきます。私たちと話し合い、密に連絡を取り合い、生き残る道をさくしていきます。そして、命だけは保証します。絶対に」


 一気に話し終えた沖さんは、ぐいっと紅茶を飲んだ。それに習い、僕も紅茶に口をつける。

 美味しい紅茶だった。

 柑橘系の風味が、フワッと口の中に広がる。


 つまり、こういうことだろう。


 一人での生活に戻り、何も知らないままに、知らない人たちに身を守ってもらうか。


 全てを話してもらい、命の危機が増すのと引き換えに、集団生活の中で彼らと話し合いながら生き残る道を探すか。


 やはり、どちらにしたところで僕の命が危険なことには変わりがないようだ。命だけは保証すると言っているが、ほぼ初対面の人にそんなことを言われて、それを鵜呑うのみにするわけにはいかない。そもそも、全て本当の話をしているかどうかも、確証はないのだ。


 実は、僕を襲ったのは彼らなのではないか?という疑いは、未だに消えない。


 ただ・・・どこかで落としどころはつけなければならない。このままではこうちゃく状態だ。

 それなら、生き残れる可能性が高いのはどっちだ?

 一人暮らしには戻りたい。

 今までと同じ生活に。

 訳の分からない話を聞かされた上に、集団生活を強制させされるなんてめんこうむる。そもそも、集団生活は苦手なのだ。

 しかし、何も知らず、何の縁もない人間を、彼らは守ろうとするだろうか?なんの援助も得られず、ただただ見殺しにされる公算が高いのではないか?


 それならば。


 知ってやろう。


 彼らのふところに、踏み込んでやろう。


 彼らのことを知り、理解したふりをし、なんとか味方につけ、生き残る道を探る。今、生き残るためにできることは、それしかないだろう。


 僕はもう一口紅茶をすすり、言った。


「教えてください。全部」


 生きるために、なんとか言葉をつむぐ。

 情けなく、弱々しい言葉を。


「そして、助けてください。僕の命を」


 いのちいをするかのような、やなのその言葉を聞き、沖飛鳥あすかは寂しそうな笑顔を浮かべていた。

 柳瀬ゆうの判断が、彼にとっては悲しいほどに間違っていることには、彼が、彼自身の人生の中で気付くことになるだろう。

 楽に死ぬことを恐れ、死ぬほどの苦しみを背負って生きていくという選択をしてしまったことに、気付くのだろう。


 その苦しみの重さのせいで、避けられたはずの死に直面することになるかもしれない。


 もちろんそれは。


 彼が、その重さを捨てなければの話だが。


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