病夢とあんぱん その8

  ・・・あれ?

 ちょっと、待てよ?

 あんまりにもスラスラ話すから、自然に会話してしまったけれど・・・。


「なんで、全部知ってるんですか?」

「内緒だよ」


 内緒らしい。


「それも、そのうち分かるさ。さあ到着だ」


 このまま海沿いの国道を永遠と走るのかと思われたが、おりは、とある建物の前でバイクを停めた。

 ここは・・・・。


「・・・保育園、ですよね?」

「その通り。僕らは『海沿かいえん保育園』と呼んでいる。分かりやすいだろう?海沿いの保育園ってさ。もっとも、正確には保育園跡だけどね。正式な保育園としては、ここはもう機能していない」


 つまり、廃園になってしまったということなのだろう。

 小さな保育園に見えるが、建物自体は新しそうだ・・・・・最近、つぶれてしまったのだろうか?


「ここで、子どものお世話でもしろってことですか?」

「子どもの世話、はもうしなくていいかな。十分、間に合っている」

「え?」


 十分間に合っている?

 ここはもう、保育園としては機能していないんじゃなかったのか?


「とにかく、中へ入ろう。このまま、海を見ながら立ち話、というのもオツだけどね。君に事情を説明するのは、この中にいる人間の役割だ」

「・・・この保育園で、ようやく状況を理解できるってことですか?」

「そう。きっと、手取り足取り教えてくれるだろうさ」


 しかし、ここで氷田織は、意地悪そうに笑った。


「もちろん、君が聞きたければ、だけどねぇ」




 下駄箱の並ぶ玄関から中に入ると、保育園の中は思ったより綺麗だった。しばらく使われていないというイメージが先立ったから、もう少し荒れているのだと思っていたが・・・・。

 いや、さっきの話からすると、中には人がいるのだっけ?

 ならば、その人たちが掃除などもしているのだろうか?

 コンコンと、もとは事務室であったであろう部屋を、氷田織がノックした。


「失礼します」


 中に入ると、五人の人間がいた。

 そのうち、四人は子どもだ。

 三人はそれこそ、保育園児くらいの子ども。

 後の一人は、他の三人よりは年上だ。おそらく小学三、四年生くらいだろうか?年齢より、少し大人びた雰囲気を持つ女の子。彼女は、積み木やら、ぬいぐるみやらで、園児たちと一緒に遊んでいるようだ。

 一瞬、本当に保育園を開業しているのだろうかと思いかけたが、思考するより先に、もう一人の人物に目が留とまった。

 見覚えのある、その人物に。


ほとりくん、ご苦労様。特に問題なく着きましたか?」

「ええ。問題なかったですよ。良いドライブでした」


 どうやら、あんぱんのお礼を言うチャンスが、もう一度巡ってきたようだ。


「初めまして、ではありませんね。やなさん。お久しぶりです。おき飛鳥あすかと申します」


 『かぶきや』の前で出会った老人は、あのときと変わらない、人の良さそうな笑顔を浮かべていた。




「じゃあ、おきさん。後はお願いしますよ。僕は、まだ仕事残ってるんで、そっちに戻ります」

「・・・・・彼を襲った者の正体は、何か分かりそうですか?」

「ぼちぼちって感じですねぇ。どうも煙に巻かれている感がいなめない・・・。まあ、何かが分かったら報告しますよ」


 そう言って、氷田織は事務室を出て行こうとする。

 いや、出て行こうとするだって?

 ここまで僕を連れて来ておいて?

 自分は何も説明することなく、出て行こうっていうのか?


「・・・・どこへ行くんです?氷田織・・・・さん」

「別に、呼び捨てでも構わないけれどね」

「年上には敬意を払ってますから。で?どこへ行くんですか?」

「嘘も程々にね・・・だから仕事さ。お仕事だよ。それも、君のためでもある仕事なんだから、止めないでほしいものだねぇ。今のところ、僕から話すことは何もないよ」


 特に表情を変えることもなく言う、氷田織さん。完全に、われ関せずといった感じだ。

 ・・・僕のための仕事だかなんだか知らないが。

 そのそんな態度に、自分の中で感情がほんのわずかにき立つのを感じた。


「一つだけ、確認させてください」

「・・・何かな?」

「僕を殺すかもしれないっていうあのセリフ・・・どこまで冗談ですか?」


 完全に的外れな質問だ、と思った。

 本当に聞きたかったことは別にあった。

 それも、山ほどだ。

 あのマンションでの事件は一体なんだったのかとか、どうして僕をこんな所に連れてきたのかとか、ここは一体どういう場所なんだとか、そもそもあなたは一体全体どういう人間なのかとか。諸々もろもろ

 しかし、彼がそういった質問に答えてくれないことは、ここまでの態度で十分に思い知った。

 だからこその、的を外した質問だ。

 答えはさっき、すでに得ているというのに。

 だが、この質問は、氷田織さんの心を、ほんのわずかに動かしたようだった。

 氷田織さんは一瞬まゆり上げ、僕の顔を一瞥いちべつしたあと、得意の笑顔を張り付けて言った。

 先程さきほどとは、別の答えを。


「君だいだ」


 そして、今度こそ、氷田織畔は部屋を出て行った。


「申し訳ありませんね、柳瀬さん。ああいう男なのです。許してやってください・・・・。私から謝ります」


 成り行きを傍観ぼうかんしていた老人・・・もとい、沖さんはペコリと頭を下げた。


「いえ・・・。別に怒っていたわけじゃありません」


 そんな風に頭を下げられてしまうと、こちらも弱い。それに実際、それほど怒っていなかったのも事実だ。もし、わずかでも怒りをぶつける相手がいるとするならば、それは氷田織さんでもなく、沖さんでもなく。

 僕を襲ってきた人物だ。

 エレベーターで男を殺し、僕を襲ってきた、正体不明の人物。

 一体、何者なのだろう?

 あのときから、歯車が少しだけ狂ってしまったように思う。


「畔くんに代わって、私から説明します。きちんと順序を追って説明しますから・・・。莉々りりちゃん、その子たちと、ホールの方で遊んでいてもらっても良いですか?」


 莉々ちゃん?

 誰のことだ?と思ったが、どうやら、幼児たちと遊んでいた女の子に声をかけたようだ。莉々ちゃんと呼ばれた女の子は、コクリと頷くと、三人に部屋の外に出るように促し、自分も玩具おもちゃ箱を抱えて出て行った。


「さて、それでは話すとしましょう。お座りください」


 と、僕に椅子を勧めながら、改めたように言う沖さん。

 やっと説明してもらえるのか、まったく、前置きが長すぎる、と僕は椅子に座る。

 しかし、彼はもう一言付け加えた。


「あなたに、その覚悟があるのなら」


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