病夢とあんぱん その5
入院生活は三日間で終わった。
もともと電流ケーブルが強く巻きついていただけで骨折などはなかったので、やったことといえば、身体検査くらいだった。
治療も行わなかったし。
警察にそれほど根掘り葉掘り聞かれることもなかった。
しかし、「殺人事件に遭遇したというのに、それほどショックを受けていないようですね」と言われたときは少し驚いた。
結構ショックを受けていたつもりだったのだけれど、全然顔に出ていなかっただろうか?
もう少し病人に気を遣ってほしいものだ。他人からどう見えているのかは知らないが、こちとら未だに殺人事件の動揺を隠せないでいる・・・・はずなのだ。
そのはずだ。
それで犯人と疑われては心外だ、と思ったが、そこまで考えていたわけではなかったらしく、他に捜査で必要な質問をいくつか行った後に、彼らは帰って行った。
事無の
せいぜい、警察も電流ケーブルで人が殺されていたことを相当に
(それにしても・・・・入院中は暇だったなあ)
と、病院の外に出ながら振り返り、お世話になった病院を見上げる。大きいとも小さいともいえない、町中にある普通の病院だ。
気絶しているうちに運び込まれた病院なので、どんな病院なのか分からなかったが、地図アプリで調べてみると、僕の住むマンションから一駅分の距離も離れていないところに位置する病院だった。
病院名は『
知らない病院だ。
まあ、近かろうが遠かろうが、知っていようがいまいが、病院での生活に、それほどの差はないだろう。身体検査と警察の事情聴取以外は、ゴロゴロしたり、スマートフォンをいじったり、本を読んだり、休憩室で新聞を読んだりして過ごした。
新聞には今回の事件のことが取り上げられていたけれど、それほど大きな記事ではなかったし、結局はあくまで『エレベーター事故』として扱われていた。
(うん、こんなものだろうな)
土曜日の夕暮れの空の下を歩きながら僕は考えた。
結局、エレベーター事件、もといエレベーター事故の一部始終は僕の勘違いということでいいのだろう。不自然なところはあるけれど、不可解なところはあるけれど、まあそんな些細なことは気にしないでおこう。警察が、そして世間があれを事故だというのなら、別に事故でいいだろう。
ま、いっか。
そんな感じ。
僕の角度から見ると、ほんのちょっとだけ違和感があるように見えてしまっただけなのだろう。そんなことはきっと、目くじら立てて指摘するほどのことではない。
とにかく、今日は家に帰ってゆっくりしよう。病院のベッドで十分に休んだけれど、やはり自分の部屋のベッドほど心休まる場所はない。
もちろん、無事に自分の部屋にたどり着くことが出来ればだけれど。
マンションのエレベーターは封鎖されていた。
いや、「封鎖」なんて大層なものではない。単に「使用禁止」と書かれた看板が立てられ、周りをロープで囲ってあっただけだ。
まあ、たとえ通常通りに使えたとしても、さすがにもう一度あのエレベーターを使う気にはなれなかっただろう。そんなわけで、退院後の軽い運動とばかりに僕は五階まで階段を上ることにした。
階段をゆるゆると上りながら、ふと考えたことがあった。
(きっとこのマンションの管理人は大変だろうな・・・)
マンションの住人からしてみれば、自身の住処すみかの目と鼻の先で人が死んだのだ。このマンションで今まで通りの生活を続けることは、とてもじゃないが無理だろう。下手をすれば住人全員が引っ越し、管理人が大損をすることになるかもしれない。
(いや、とりあえず僕は引っ越すつもりはないから、最低でも一人は残るのか)
引っ越している時間の余裕も、お金の余裕もない。
一人や二人残るくらいでは、ほとんど変わらないだろうけど。
ひとまずエレベーターを使わなければ、再び事故が起こるというようなことはないだろう。これは事件ではなく、ただの事故なのだから。
(この階段を毎日上らなきゃいけないっていう苦労は増えたけど)
まあそれでも、事故に巻き込まれるよりかはマシだろう。
そんなことを考えながら、僕は自室である502号室に到着した。扉を開けて中に入り、三日ぶりの我が家の空気を吸う。
ちなみに余談だけれど、このマンションの部屋のすべての扉はカードキーを用いた電子ロックとなっている。そして、僕はカードキーを使って扉を開けるときの「ピピッガチャ」という音がちょっと好きだったりする。
「我が家に帰ってきたなあ」という気持ちになるのだ。開けるにはカードキーが必要だけれど、閉まるのはオートロックなのも便利だ。
ベッドに寝転ぶと、なんともいえない安心感に包まれた。
うん。一人暮らしといえど、やっぱり我が家が一番だ。今日と明日は好きなだけゴロゴロして、また月曜から仕事を頑張ろう。きっとこの三日間で、目も当てられないほど仕事はたまっているだろうけれど、まあ、それは運が悪かったと思って諦めよう。借りを作ってでも、事無に手伝ってもらえばいい。あいつの効率の良さなら、仕事に埋もれた同僚一人くらい、フォローする余裕はあるだろうから。
好きなだけゴロゴロすることも。
仕事をすることも。
会社に行くことすら、もう出来ないのだということを知らないまま、彼は眠った。
そして。
事件は起きた。
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