病夢とあんぱん その4

 ひとまず、パン屋のことは全部本当だと断言し(これ以上ないくらいのあきれ顔をされた)、その後どういう経緯でエレベーターの中で気絶するに至ったのかを話した。といっても、もちろん全然正直に話すわけにはいかず、かなりきょぜた話になってしまったのは言うまでもない。

 エレベーターは上昇中に急停止したということにしたし、意識を失ったのはそのとき頭を強く打ってしまったせいだという風に話した。男の死体に関しては、見て初めて感じた通り、寝ているのだと思ったと話した。これは多少無理な説明だったようで、眉をひそめながら聞かれてしまったが・・・・。


「ふうん・・・じゃあ、お前に電流ケーブルが巻きついたのは、気を失ってからなんだな」

「電流ケーブル?」


 これに関しては知らないふりをするしかなかった。「電流ケーブルが襲い掛かってきた」などと言えば、今度は呆れられるだけでは済まない。ただの頭のおかしい奴扱いされてしまう。


「ああ。警察の調べによると、気を失ったお前の体に電流ケーブルがいくつも巻きついてたそうだ。エレベーターの故障が原因だって言ってたが・・・・だとしたら、かなり異常な故障の仕方だよな?」

「確かにな」


 多分、故障じゃないけど。


「エレベーターで死んでいた男もその電流ケーブルで首を絞められて死んでいたみたいだ。お前も危なかったかもな」

「そんなことまで教えてくれたのか?警察が?」

「なんとか聞き出してやったんだよ。感謝しとけ」


 さすが、僕たちの同僚の中でも、もっとも期待されているルーキーと噂の事無ことなしたくも様である。警察から事情を聞きだすことくらい、楽勝らしい。


「警察と接するのが得意なルーキーなんているわけないだろ。なんのルーキーなんだよ」

「いやいや、でも誇っていいと僕は思うけどな。そんなこと、普通の奴ならできっこないだろ?警察官を落とし込むなんて。さすがはコミュニケーションの鬼だね。尊敬に値するし、脱帽だ。つめあかをちょっとわけてくれないか?煎じて飲むからさ」

「もし褒めているつもりなら、お前はもう二度と人を褒めない方がいい」


 かなりの憎しみを込めた目線でにらまれてしまった。いや、もはやそれは哀れみの視線だったかもしれない。人を褒めることができない人生って。一生、褒められない人生とどっちがマシだろう?

 ・・・・いや、これは圧倒的に前者か。


「じゃあさ、なんで僕は助かったんだ?せんしゃの二の舞にならずに」

「そりゃ、エレベーターが止まったからだろ?」

「いや、でも・・・・・そうなる、のか?」


 確かにあの場面で、それ以外に僕が生き残る可能性なんてあるはずがない。でも、だとしたら、なんとなく不自然にも思える。

 傍目から見ればただのエレベーター事故かもしれないが、僕から見ればじんてきに引き起こされた事件と見える。あそこまでやっておいて、あそこまで追い詰めておいて、僕を殺すに至らなかったというのは不自然極まる。

 なぜだろうか?


「なんでだろう・・・・」

「ああそうか。お前、知らないのか。あの停電のこと」


 停電?


「昨夜、あの辺の地域一帯で大規模な停電があったんだよ。復旧に2、3時間くらいかかったらしい。ちょうどエレベーター事故のときに停電が起こって、運良くエレベーターが停止したみたいだな」


 本当にただの偶然だけどな、と肩をすくめる事無。そういえば、昨夜はマンションに着いた頃にごうになった気がする。なら、僕はその停電に命を救われたということになるのだろうか。


「で、三階で半開きになっていたエレベーターの中で倒れてたお前をマンションの住人が見つけて、警察と救急に連絡したみたいだな。本当に悪運の強い奴だよ、お前は」


 なるほど、とようやく当時の状況を理解できた気がした。

 とても、昨夜起こったこととは思えないくらい、実感がなかったけれど。

 それに、生き残れたことが本当に奇跡のように思えた。停電も迷惑なことばかりではなかったわけだ。もしも昨夜、気持ちのいいくらいの快晴だったならば僕は・・・・・。


「ん?」


 とここで今更ながら気付く。


「昨夜昨夜って言ってるけど・・・・僕、具体的には何時間くらい寝ていたんだ?」

「は?ええと・・・」


 ちらりと時計を見て、事無は答えた。


「十時間くらいだな、多分」


 じゅ、じゅうじかん!?

 ・・・・・・・・・・・・。

 いや、普通だわ。



 ここで事無が「実はお前は三年間寝ていたんだ」とか言えば、今までにないくらいのリアクションをすることもできたのだろうが。

 十時間って。

 普通に健康的じゃん。

 そんな身も蓋もない反論をきっかけに、そろそろ事無は帰ることにしたようだった。


「お前にこれ以上、愚痴愚痴ぐちぐち言われるよりは仕事した方がマシだな」


 そんな失礼なセリフを言い残して、事無は去っていった。どうやら、仕事前に少し立ち寄っただけだったらしい。

 まったく仕事熱心な奴だ。新入社員の鏡だな。

 ごろん、と再びベットに横たわり、一息つく。昨夜の事件の表面的な全貌ぜんぼうはわかったような気がしたけれど、それでもモヤモヤした気持ちは晴れなかった。それは、精神的にも身体的にもダメージを負ってしまったこともあるけれど、事無が去り際に話していったことにも起因していた。


「そういや、ちょっと気になることがあるんだよな。どうでもいいことなのかもしれないけど」


 椅子から立ち上がり、荷物を抱えながら事無は言った。


「ケーブルで人が殺されてることか?」

「それもそうなんだが・・・・・どうやらそのエレベーターに設置されてた監視カメラの映像が改ざんされてたらしいんだよ。事故前後の時間の映像がまるっきり残ってないらしい。停電の影響だろうとか言ってたが・・・そりゃおかしいよな?事故自体が起こったのは停電の前なんだから」

「そんなこと誰から聞いたんだ?」

「これも警察から聞いた。もっとも、警官同士が話してたのを偶然聞いただけなんだが・・・」

「そりゃさすがに本格的に聞きすぎだろ、事無。あ、そうか。お前実は刑事だな?」

「うるせぇ。寝ろ、やな


 そんなこんなで、事無は帰って行った。

 随分と適当な会話になってしまったが、エレベーターの監視カメラ映像が改ざんされていたというのは、かなりショックなニュースだった。なぜなら、あの事件が人為的に起こされたものであるということの裏付けになってしまうからだ。

 人為的に起こされたものであるならば、おそらく、あの死体の男の殺害を狙っての行為だったのだろう。そして、現場を見てしまった僕をも、殺そうとしたのだろうか?

 『見たな!』というやつだ。


(なら、また僕を狙ってくるんだろうか?)


 可能性はあり得る。いや、僕の被害妄想でなければ、可能性はあり得るどころか、相当高いといっていいだろう。少なくとも僕が犯人ならば、犯行現場を見た人物を一秒たりとも生き延びさせてはおけないと思う。いつ通報されるかわからないのだ。それなら、チャンスがあれば一刻も早く殺しておきたいと思うだろう。


(それなら、入院している場合じゃないよなぁ・・・・)


 ちらりと病院の外の大通りを見やる。大勢の人々が通りを行き来していた。

 今日は水曜日。

 平日のちょうど真ん中だ。

 通勤している人もいるだろうし、絶賛仕事中の人もいるだろう。僕は今日たまたま有休を取っており、それを入院なんかに使ってしまったけれど、彼らの中には有休を有意義に使おうと、朝から張り切っている人もいるかもしれない。

 しかしこのとき、僕は彼らとの間に、小さな、だが確実なへだたりが生まれたのを感じ取ってしまっていた。


(なーんてことを考えられれば楽しいんだろうけど)


 多分そんなことはなく、僕は何日間かで退院して、普通に日常生活に戻ることになるのだろう。仕事と仕事を繰り返す、普通の生活に。

 ありがたいことだ。

 冷静になって考えてみれば、こういう奇妙な事件に遭遇することくらい、生きていれば何回かあるのだろう。その度に危機感を持っていたら、身も心も持たない。そんな危機感は大抵、勘違いであることの方が多いのだ。


 それに。

 殺されそうになった、という事実から目を背けたい。

 人間として、当たり前の現実逃避である。

 そんな風に悟りきったように一人で納得し、僕はもうひと眠りすることにした。 


 もちろん、こんな風に気楽に考えていたことを、彼は後に後悔することになる。

 いや、後悔しないのかもしれない。

 死体を受け入れたように。

 殺人事件に直面したことを受け入れたように。

 事実をただ受け入れるだけなのかもしれない。


 そんな、柳瀬ゆうという男の人間性を。

 自身の死を恐れながらも。

 他人の死を受け入れてしまう、柳瀬の人間性を。


 同僚の事無ことなしたくみが、ほんの少しだけ「気持ち悪い」と感じていたのは内緒だ。


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