病夢とあんぱん その3
死体が見えた。
もちろん、すぐに死体だと分かったわけではない。見た一瞬のうちは、酔っぱらった誰かがエレベーター内で眠りこけてしまったのだと思った。
しかし、すぐに違うと直感する。表情だ。顔色が真っ青で、目を見開いていた。およそ、寝ている人間のできる顔ではない。しかも、手足の関節が普通では曲がらない方向に曲がってしまっていた。
操り人形のように。
曲がりくねってしまっていた。
ドラッグストアにでも行った帰りだったのだろうか。左手に持っていたと思われるビニール袋からは薬やらポケットティッシュやら健康食品やらが床にぶちまけられていたし、もう片方の手で構っていたと思われるスマートフォンは、画面が割れた状態で床に落ちていた。
(やばい!)
これも直感した。こんな状況に遭遇した場合のベストな対応としては、この被害者に駆け寄り、意識を確認したのちに救急車を呼び、
だが、やばいと直感した。
このエレベーターにこのまま乗り続けるのはやばい、と。
しかし、エレベーターから降りようと振り向いたときにはもう遅く、扉は閉まっていた。すかさず、『開』のボタンを押す。
反応はない。
もう一度押す。
反応はない。
連打する。
無反応。
非常停止ボタンを押す。
・・・・・・・・・・・。
「!?」
突然、エレベーターが急上昇を始める。
ただし、いつもの上昇速度の体感十倍くらいのスピードで。
そのせいで身体はエレベーターの床に叩きつけられ、「うっ・・・」と息が一瞬止まる。いつまでも上昇し続けると思われたが、しかし、途中で急降下を始める。いや、正しい表現をするならば、そこからエレベーターは、さながら遊園地のアトラクションの如ごとく、急上昇と急降下を繰り返したのだ。
もちろんそれは遊園地の、ある程度法則性のある動きではない。中にいる人間を殺すための急上昇と急降下だった。
(なんとか外に出ないと、殺される・・・・)
この凶悪なアトラクションの
(エレベーターを壊すでも、大声で助けを呼ぶでも何でもいい・・・)
とにかく、エレベーターの階数パネルの方に手を伸ばす。ボタンを押すことに意味はないと思いつつも、手を伸ばす。
助けを求めて。手を伸ばす。
パネルに手が届く。
しかし、おそらくは手を伸ばさなくても、
何故なら、パネルの方から自分に向かって近づいて来ていたのだから。
後ろに大量の電流ケーブルを引っ
パネルの外れたエレベーターの壁の穴から、次から次へと電流ケーブルが伸びて来ていた。伸びてきた電流ケーブルは、さながら蛇のように僕の身体に巻きついてくる。左足に、右足に、右腕に、左腕に、首に、巻きついてきた。すぐに息ができなくなり、呼吸が止まる。
(そうか、この人はこうやって殺されたのか・・・)
冷静に考えてみたが、この拘束から逃れる
それでも、わずかばかりの力を振り絞ってもがく。理屈抜きで、とにかく死から逃れるためにもがく。
しかし、意に反して意識は段々と薄れていく。
(ダメだ、もう、考えられない・・・・・・)
もう意識が戻ることはないのだろう。目を開くことはないのだろう。
それでも願う。もう一度僕が、僕のために目を開いてくれることを切に願う。
神様お願いします、僕が長生きできますように。
神様なんて信じていないけれど、そんな風に願う。
人生の最後に食べたのが、あのあんぱんだったのは、なんだか悪くないような気がしたけれど。
頭が真っ白になる。
どこかで、大きく雷が
あとがき
ということはなく、僕はベットの上で目を覚ました。真っ白な天井が見える。どうやら天国ではなさそうだ。
よかった。
死んでいない。
一瞬、記憶がフラッシュバックし、息が詰まりそうになる。あんぱん、老人、マンション、エレベーター、死体、電流ケーブル・・・・・・。
(落ち着け、落ち着け・・・・)
頭の中で唱えながら、深呼吸をする。
よくあるよくある。
自転車のタイヤに足を絡ませて骨折を
(多分、エレベーターの故障じゃないけどな・・・・・あれ。)
急停止したとかならまだしも、急上昇と急降下を繰り返したり、電流ケーブルが襲い掛かってきたりするのは異常だ。
(・・・・・とりあえず起きよう)
右手をついて起き上がろうとしたが、鋭い痛みを感じ、また同じ体勢に戻る。
「動かない方がいい。締め上げられた
声のした方を向くと、ベッド脇の椅子に座る、同僚の
「・・・・なんでいるんだ」
「なんでかって?そりゃ、見舞いだろ。それしかない」
「やっぱり、ここ病院か?」
「当たり前だろ。病人が他にどこに行く当てがあるんだよ」
「病人、ね」
今度は、先ほどよりもゆっくりと起き上がることにした。やはり、全身が痛んだが、なんとか起き上がることに成功した。起き上がることにこんなに苦労したのは、おそらく人生で初めてだろう。アルバイトをしていたときに、朝四時の出勤を言い渡されたことがあったけれど、あのときでさえ、こんなに身体は重くなかったように思う。
「さて、何から聞こうかな」
「何から聞こうかなじゃねえよ。お前はカウンセラーじゃないんだぞ」
「そんなに噛みつくなよ。これでも僕、結構混乱してるんだ」
「知らん。というか、こっちからもいろいろ聞いておきたいことがある」
「とりあえず、水をくれ。喉からからだ」
「ほれ、
「・・・・・・・・もらっとくよ」
熱い。
渋い。
しかし、喉がからからだったのは本当だったので、
「本当に飲むのかよ。てっきり湯呑みごと俺の方に投げつけてくるかと思ったが・・・・」
「お前の中で、僕はどんなイメージなんだよ」
「変な奴」
「だからといって、湯呑みを投げたりはしない」
「いや、そこはちゃんと否定しろよ」
事無が左手を頭に当て、
「で、どこまで覚えてるんだ?」
「マンションのエレベーターで首を絞められていた女の子を、殺人犯の魔の手から救ったところまでは覚えてるんだけど・・・・」
「違う。そんな訳ないだろ、殴るぞ」
そうか、違うのか。
どうせなら、そうであってくれていた方が良かったんだけど。あんな不可解な事態よりはよっぽど健全だ。
「はぁ・・・・」と大げさに
どうやら本格的に呆れられてしまったらしい。こいつより自分が優れている部分なんて、普段はあまり見つけられないけれど、こいつを呆れさせることに関しては、自分はプロフェッショナルだと断言できそうだ。
「まずさぁ・・・お前、メールしてきた昨日のパン屋の話ってどこまでが本当なんだ?まさか、本当にパンのセールのために全力
「・・・」
「
そこからかよ。
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