病夢とあんぱん その2


「いや、どうぞと言われても・・・」


 いきなりあんぱんを差し出されて、それを「あ、どうもーありがとうごさいますぅ」とか言ってかぶりつく奴がいるだろうか?しかも見た感じ、明らかに市販のパンではなさそうである。


「手作りのあんぱんでして。実はパン作りが趣味なのですよ」


 老人は恥ずかしそうに言った。確かに、このあんぱんはサランラップで丁寧に包まれてはいるものの、形が少しいびつだし、ちょっと周りがげているようにも見える。


「形は悪いですが、味は保証しますよ。もちろん、『かぶきや』のあんぱんほどではないですが・・・」


 ははは、とますます恥ずかしそうに頭をかきながら言う老人。そんなに恥ずかしいのなら、そもそも差し出さなければいいと思うのだけれど。

 うーん、とちゅうちょしてしまったが、そんな風ににこにこと語られると、どんどん断りづらくなってくる。

 そんな訳で。


「じゃあ、いただきます」


 渋々、そのあんぱんを受け取った。と、貰ったのはいいものの、受け取ってみるとあんぱんは意外と大きく、スーツのポケットには入りそうにもなかった。仕方ない。この場で半分くらいだけ食べて、適当に感想を言い、残りはポケットに入れて帰ろう。そんな風に考えながら、サランラップを剥がし、僕はあんぱんに口をつけた。

 しかし、僕は、そのあんぱんを半分食べることはできなかったのである。


 とはいっても、それは別にあんぱんがまずくて食べられなかったとか、毒が入っていて僕が死んだとか、そういうことではない。


(あれ?)


 超うまい。


 パン生地はもちもちふわふわしているし、あんこも程よい甘さで口の中を支配してくる。

 今日一日、なにも食べていなかったせいだろうか?それとも、疲労感がとてつもなかったせいだろうか?そのあんぱんは、『かぶきや』のあんぱんに匹敵ひってきするほどに美味しく感じた。  

 趣味でパンを作っていると言っていたから、特別な材料は使っていないのだろう。しかし、その美味しさは今日一日の頑張り、いや、2か月間の頑張りの報酬としては十分だった。


(もぐもぐもぐもぐ・・・・)


 そして、まともな感想も言えないまま、数分も経たない間に、僕はそのあんぱんを完食してしまったのだった。


「口に合ったようで良かったです。おやおや・・・そんな、感動されるほど美味しかったですか?」


 老人は驚き、戸惑った表情でこちらを見ていた。ん?感動するほど?



 ほおが、温かい。



 気が付くと、僕は涙を流していた。



 なぜなのか、僕には分からなかったけれど。



「またお会いできることを願っていますよ。やなさん」


 そう言いながら、なんだかよく分からないうちに、その老人は去っていった。あんぱんのお礼どころか、自己紹介すらできなかった。どうして僕の名前が分かったのだろう?と思ったけれど、帰る道すがら、スーツの胸ポケットに「やなゆう」と書かれた、社員用の名札がついたままになっていることに気づいた。会社を出るときは急いでいて気づかなかったのだろう。危ない危ない、と思いながら名札をしまう。


(不思議なおじいさんだったな)


 小雨が降ってきたのを肌で感じ、少し早足になりながら、先ほどの老人との出会いを思い出していた。怪しい老人という風でもなかったし、たっかんしたおきなという風でもなく、まっすぐにとらえるのなら、普通に好感が持てるおじいさんだったが・・・・・。


(なんだかなぁ・・・)


 最初から最後までにこにこしていたことといい、あんぱんの異常な美味しさといい・・・・残念ながら、こちらからは、またお会いできることをお願いできなさそうだった。

 スマートフォンを取り出し、同僚のことなしたくみに先程の一連の事をかいつまんでメールを送ってみた。どうやら向こうもスマートフォンを構っていたらしく、すぐに返信が来る。


『柳瀬・・・お前、疲れてんのな(笑)』


 『うるせぇ』とこちらもすぐさま返事を返す。残念ながら、事こと無なしの共感もアドバイスも期待はできなさそうだった。

 マンションに着いた頃には、雷の鳴り響くしゃりになっていた。今朝は傘を持って行かなかったので、小雨のうちにマンションにたどり着くのは諦めた。スーツがびしょびしょになってしまったが、明日は休みだし、なんとか乾くだろう。


(あの老人は大雨になる前に帰れただろうか?)


 そんなことを考えながら、エレベーターのボタンを押す。僕の部屋はこのマンションの五階だ。あの老人も傘を持ってはいなかったから、小雨のうちに帰れなければ、この大雨に会い、風邪をひいてしまっているかもしれない。


(考えても仕方がないか)


 下手をしたら、僕の方が風邪をひいてしまう。今日は熱いシャワーを浴びて、さっさと寝てしまおう。そんな風に思考停止におちいりながら、僕は到着したエレベーターに乗ったのだった。


 さっさとは、眠れなかった。


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