外伝4 裏返った世界で

 夢を見ていた。


「ユウさん。ほら、行きますよ」


 俺がぼんやりと考えている間にも、アインは俺の手を引いて歩いている。ああ、成る程これは夢だと確信を更に強める。残念ながら、この身は未だ剣のままで、彼女に引かれる手は無いのだ。


「ユウ、しゃんとしないさって」


 隣を見れば、ラピスが俺の頭を撫で回していた。少し見上げる形になっているが、彼女はそこまで背が高かっただろうか? まあ、しょせん夢だし整合性を求めるものでもあるまい。


「よっと。ふふっ、しかし似合ってるではないか」


 いきなり背中に衝撃を感じ、思わずたたらを踏む。振り返ると、首に腕を回してしがみつくツバキと目があった。からかうな、と反射的に言いかけるが、その目にあるのは単純な親愛だけで、逆に戸惑ってしまう。

 尚もツバキにしがみつかれていると、ラピスは指を立てて苦言を呈する。


「女3人に囲まれてるからって、はしゃぎすぎないようにね。節度を守るように」

「わかっておるわ。のう、ユウよ」

「あ、ああ」


 これは夢、なのだろう。歩く石畳も流れる風景も何処かで見たことがあるようで、それでいて曖昧だ。通行人の顔もぼやけたようにはっきりと見えない。

 

「恥ずかしがってないで行きましょうよ。ケーキは待ってくれないんですよ?」

「まったく、仕方ないの。我がエスコートしてやろう」


 困ったやつだとツバキは、俺の手に指を絡めて歩き出す。それに戸惑っていると同じ目線に立つ彼女は、はにかんだ微笑みを向けた。


 ――何かがおかしい。この違和感の理由は何だ?


 アインとラピスからの距離が近いとか、ツバキが素直だとかそういうことじゃない。もっと根本的に何かが違う。一体何が――。


「…………」


 顔を上げた先にあったのは、大きなショーウィンドウのガラス。そこには、4人の女性が並んでいた。

 真っ黒な外套を着た銀髪。炎のように流れる赤髪。ピンと立った狐耳。そしてもうひとりは、長い黒髪を後ろで纏めた見知らぬ少女。

 不思議なことに、俺が体を動かすと連動して鏡像も動いている。いやぁ、不思議なこともあるものだな。


「あ、あっちです。急ぎましょう席がなくなってしまいます」

「慌てなくても大丈夫だっての……まったく」

「むう、ユウよ。ぼんやりし過ぎではなかろうか」


 ショーウィンドウから駆け出したアインが消え、追いかけるラピスも消えていく。最期に俺の手を引っ張るツバキと黒髪の少女も消えていった。


 ――まあ、わかってた。しかし、夢は願望が混じるものとは言うが、内心そういう願望があったのだろうか。


「ユウ、いい加減にせぬか。いくら何でもぼんやりしすぎというものぞ」

「わかってるよ。悪い」

「可愛い女子と言っても、許されることには限度があるのだぞ」


 そりゃあどうも、と俺は答えて彼女と同等に細い手で握り返した。






 夢が叶った、とも言える状況ではある。叶っているのが夢というのがまた皮肉だし、性別まで変わっているが。

 それはそれとしても、歩く足があり、触れる手があり、笑う顔がある。かつて当たり前にあったもので、今は無くしてしまったものがある。


 それが嬉しくないといえば嘘になる。なるのだが、


「このケーキ美味しいですね。幾らでもいけます」

「本当に味わって食べてるのか……?」

「ザルで水を掬うくらいに味気なく見えるがの」


 やることといえば、いつもと何も変わらない。ただ食事をして益対もない話で盛り上がって、ただそれだけだ。


「ユウも食べたら? アインはあんなだけど美味しいのは本当よ」

「ああ、頂くよ」


 だけど、こうして食事をすることは出来る。それそのものよりも、その感想を言い合えるというのが嬉しかった。

 "の"の字に巻かれたフルーツロールケーキを切り分け、口まで運ぶ。うん、甘い。甘い……甘いな。考えてみれば、夢なんだからそれくらいしかわからないのも当然か。


「甘いのは苦手ですか私が貰いますよ」


 俺の表情に何を勘違いしたのか、身を乗り出してケーキを要求しだすアイン。その前に口についたクリームを拭け。


「むっ、どうもありがとうございます」


 ナプキンで口を拭ってやると、彼女は軽く微笑んで礼を言う。そういう顔をしていると、やっぱり美少女なのだと思う。

 もし、人の体で彼女と仲良くなっていたら、こういうこともあったのだろうか。


「……」


 いや、無いな。ラピスのむっとした視線に耐えられるほど自分は図太くない。アインも結局は彼女を選ぶだろうし、せいぜい頼りになる隣のお兄さんが関の山だ。

 そう考えると、同じ立場でこうしてあーだこーだと言い合えるのも夢ならではか。異性には見せない顔があり、同性にしか見せない顔があり、逆もしかりだ。


 ……しかし、先程のラピスの口ぶりから考えると、俺が男だったという設定は残っているようだが。ううん?


「ほれ、ユウ。あーん」

「んっ」


 そんなことを考えていると、ツバキがフォークに刺したケーキを差し出して来る。それを頂くと、彼女は満足気に頷く。

 こう素直になっているツバキは同性だから見せる顔なのか。それとも夢だから都合が良いのか。まあ、どちらでも良いだろう。確かめる術はないし、


「とわっ!? こ、これ! 耳を触るならちゃんと言え!」

「ははは。丁度よいところに耳があったもんだからな」


 どうせ夢なら楽しんだほうがお得というものだ。大学生が17歳に手を出すのはポリスメン案件であるが、今の俺は同年代の少女。頭を撫でるくらい軽いコミュニケーションである、たぶん。


「二人共仲が良いわね……」

「良いことじゃないですか」


 ほら、二人もこう言っている。つまり何の問題もないということであろう。

 いやぁ、夢って良いものだ。真っ赤な顔で唇噛んで耐えるツバキなんて絶対見られないものが目の前にある。


 しばらくツバキの耳を触ったり撫でたりしていたが、不意に彼女は顔を上げて上ずった声で言う。


「お、御主わかっておるのか。フクスの耳を触るということは、一生を共に生きると誓うということになるのだぞ」

「えっ、何それ初耳だけど」


 耳だけに、なんてことを言っている場合ではない。潤んだ目でこちらを見やるツバキは乙女のように頬を染めているし、アインとラピスはそうだったわねーなんて気軽に言い合っている。

 どうやらこの場に限っては冗談ではないらしい。いやしかし、夢とはいえ唐突すぎるのでは。


「生涯共に過ごすと誓いますか?」

「はっ、えっ、いやここは何処……」


 気がつけばアインは牧師のような服に変わっているし、周囲を見渡せば長椅子が並ぶ協会っぽい場所へと景色が変わっている。ラピスは、参列者たちと一緒に涙をハンカチで拭っていた。


「ああ、私――ツバキは共に生きることをここに宣誓する」


 びしっとタキシードで決めたツバキは、俺の手を握って先を促す。というか、


「ええ……俺がドレスなのか……」

「ユウさん、さっさと済ませてください。あの大きなケーキを早く食べたいんです」


 げんなりした気分の俺に、アインは何処までも食欲優先の耳打ちをしてくる。どうでもいいけど、でかいウェディングケーキは大抵が見せかけで食べられるところは少ないぞ。


「馬鹿なっ……!?」


 ショックを受けるアインを放っておいて、俺はツバキと向かい合う。彼女は、可愛らしく頬を染めて宣誓を待っていた。その、生涯を共にするという言葉を。


 夢だから、と言えば簡単だ。目が覚めれば消えてしまう程度のもの。ここで何を言おうと関係ない。


「私は……幸せです……」


 けれども、それでも目の前にいるのはツバキであって、気安くそんなことは言いたくない――。


「こんなと共に生きてくれる人が出来るなんて……」


 …………今、俺が知っているツバキと決定的に違うものが聞こえたような。


「おと、こ……?」

「今更何を言うんですか。ほら、前にも見たじゃないですか」


 何処かで俺の名前を呼ぶ声がする。頭に直接響く声に混ざって、目の前のツバキが何を言っているのか、どうしてベルトを外しているのかわからない。

 

 目を強くつむって開く。そうすれば夢から覚めるはずと何度も試すが、映るのはズボンに手を掛けたツバキだけで、


「はい、これで忘れませんか?」


 そのズボンが、ゆっくりと重力に従って落下し――。








「うぉああああああああああ性別が裏返ったぁああああああああ!?」

「おわっ!? 急にでかい声を出すでないわ!」

「あっ、あっ、ああっ……?」


 ぐらつく意識をなんとか水平に戻し、周囲を見渡す。そこそこの広さの部屋にはテーブルと椅子、ベッド。そして、覗き込むツバキ。


「声を掛けても返事をせんと思うたら……夢でも見ておったのか?」

「夢……? 夢……ああ、そうだ……夢だった……」

「悪い夢だったのか?」

「悪い……夢……いや、良い夢……だった……なわけがない! なぁ、ツバキって女だよな!?」

「喧嘩なら買うぞ?」


 青筋を立てて柄を握りしめるツバキに、俺は酷く安心する。肉体があったら、冷や汗で背中がびっしょりだっただろう。

 ふん、と鼻を鳴らしたツバキはベッドに俺を放ると、自身も隣に腰を下ろす。


「どうせ碌でもない夢を見ておったんじゃろ。ったく、しょうもない」

「そうだな……本当にしょうもない……なんて意味のわからん夢だ……フクスの耳を触ったら結婚だのなんだのと……」

「…………ああ、夢なんぞ意味のわからんものよ。早々に忘れるが良い」

「そうする……はぁ、朝から疲れた……」

「では、食事じゃな。アインではないが、食べねば何も始まらん」


 ツバキはそう言って、俺を手に取って立ち上がる。そのままドアに向かう――かと思ったが、何故かその場で立ち止まっていた。


「ツバキ?」

「夢の内容は覚えておるか?」

「……いや、もう忘れちまった」


 最期の出来事だけは今日一日は覚えてそうだが、それ以外のことは既に曖昧になりつつあった。何かあったことは覚えているが、その何かは思い出せない。

 そう答えると、彼女はほっとしたように、


「そうか」


 そう言って、の柄で耳をこするように撫でる。


「なんだ、痒かったのか。俺は孫の手じゃないんだが」

「まあ、そんなところじゃな。さて、行こうかの」


 何処か上機嫌そうな彼女を不思議に思いつつ、俺とツバキは部屋を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る