外伝3 狐娘は素直な剣に憧れる
「ねんがんの人の体を手に入れたぞ!」
目の前で両腕を振り上げ喜びの声を上げる青年を私は知らない。何処にでもいそうな黒髪の彼を一度でも見たことはない。
けれど、その声ですぐにわかった。毎日聞いているその声は、ユウのものに他ならない。
「おお、そうか。良かったのう」
ついに肉体を得ることが出来たのか、と喜んだところではたと疑問に思う。
つい先日にそれらしい話を聞いただけなのに、いつの間に肉体を得るところまで進んでいるのだろう? そもそもここは何処なのか。
「これも全部ツバキのお陰だ……ありがとう」
そんなことを考えていると、いきなり彼に両手を握られる。逆光で表情は窺えないが、笑っているような気がした。
「な、なんじゃいきなり。まあ、悪い気はせんがな」
「ありがとうツバキ……これで俺も愛する人と並んで歩くことが出来る」
「ほ、ほお? それは良かったではないか」
思わず跳ねた心臓と上ずる声を抑えながら、私はなんとか返す。彼は、そんな私を見て微笑んでいた。そして、告げる。
「だから、そんなツバキに紹介したい人がいるんだ。俺の最も愛おしい人だ」
「……はっ?」
私は、何か言おうと口を開こうとするが上手く動かない。喉がつかえたように言葉を出せない。
「おいで■■■。俺の友人に挨拶を」
「どうも初めまして。ユウの恋人の■■■です」
おい、待て。その銀髪ロングの女は誰だ。なんだそのわざとらしく強調した谷間は。これ見よがしに見せつける太腿もどういう了見だ。
混乱する私が声にならない声を上げている間にも、二人はお互いに手を繋ぐと爽やかな笑顔で言い放つ。
「じゃあ、俺達は二人で暮らすから。ツバキも今までありがとう、たまには手紙を出すよ」
「それでは失礼しますね」
そう言って二人は背中を向けると笑い声を上げながら歩いていく。残された私は、その背中に手を伸ばし必死に詰まった声をあげようとしていた。
二人が遠ざかり見えなくなっていく。そこでようやく詰まっていた声が飛び出した。
「……本当に驚いた。寝てたかと思ったら『このバカー!』って叫びながら飛び起きるんだから。どんな夢を見ていたんだ?」
心配そうに訊ねているのは、テーブルの傍らに置かれた
私は、むすっとした声であることを自覚しながら返す。
「別に大した夢じゃない。ほんの少し――そう、ほんの少しだけムカつく夢だっただけじゃ」
「そうは見えないけど……」
「ああん? 御主に我の何がわかるっていうんじゃ」
押し黙る彼に背中を向け、私はベッドに寝転がる。まったく、阿呆らしくて泣けてくる。今朝見た夢も、心配される自分の馬鹿さ加減にもだ。
何が自分をわかるか、だ。年月重ねた食わせ者の仮面を被っておいて、本質が理解されぬと駄々をこねる者を馬鹿と言わずして何という。狐の生き方を選んでおいて、愛でられる犬にもなりたいなどと都合が良すぎる。
「……なあ、御主は人の体を得たら何がしたい」
「いきなり何を……まあ、そうだな」
「いや、良い。忘れてくれ」
そして、都合が良すぎるというなら彼との関係もだ。
当然だと思っていた。人の体を得ても彼は一緒にいてくれると。疑うことも無かった。彼にだってやりたいことも、隣にいる者を選ぶ権利があって当然だというのに。
忘れていたそれを夢に突きつけられて、こうして拗ねている。重ね重ね馬鹿らしい。いや馬鹿そのものだ。
深い溜息をつくと、背中に遠慮がちな声が掛けられる。
「……ツバキ、その、なんだ。俺はお前をよく知らないというのがそうだとしても、今のお前が良くない状態っていうのはわかる。だから、何があったかくらいは教えて欲しい」
「……」
「昔の嫌な夢でも見たのか? とにかく、話せるなら話してくれ。そうしないと文字通り話にならないってのは、アインを見ていたからわかるだろ?」
「……つまらん話じゃろ、他人が見た夢の話など」
「それでもだよ。じゃなきゃ、いつまでも不機嫌なツバキを見ていることになる。話して終わるならその方が良い」
彼の言葉は、いつだって素直に私を気遣ってくれる。それが、捻くれた私には眩しく思えるけど、嫌いではない。少しくらい甘えても良いのかと思ってしまう。
なら、それでも良い。話したところで、私が馬鹿だったというだけの話だ。
私は、背中を向けたまま夢について語っていく。
「御主が人の体を得た夢を見た」
「へえ、そりゃあ正夢になると良いな」
「御主は、我の手を握りしめて感謝を告げた」
「ああ、当然だな。感謝は大切だ」
「御主は、そのまま愛する人を紹介すると言った」
「……へえ」
わかっている、声が刺々しいというのは。その棘に刺される謂れが彼に無いということもわかっている。
「御主は、その胸がデカくて足の露出過多の女と共に歩き去った。それまで世話になった我を置いて」
「それは、ええと」
「それが死ぬほどムカついた。ただそれだけの話」
本当にそれだけ。それだけだというのに、どうして私はこんなに苛立っているのだろう――いや、その理由だってわかっている。結局、私が認められないだけなんだ。
だって、仕方ないじゃないか。里の仲間は、人を手球に取る方法を教えてくれても、恋人を作る方法など教えてくれなかった。相手から飛び込むような罠を作ることが出来ても、自分から挑む方法なんて知らない。
だったら、認められるわけがない。彼は、ただからかうと面白い男というだけ。誰のもとへ行こうと関係ない。そう思わないと――胸が苦しくなるのだから。
「すまぬ、ユウ。くだらない理由じゃが、しばらく放っておいてくれ。そうすれば元通りになる」
それで話は終わりだと、私は黙り込む。だが、部屋に漂う沈黙は長く続かなかった。
「……いや、そういうわけにはいかない。どう聞いても、放っておけば治るような声じゃない」
「何を……我の図太さは知っておるじゃろ。あまりのめり込むと深みにハマるぞ?」
からかうように笑った、つもりだった。
「今更だろ。ああ、そうだ。俺がお前の何を知っていると言っていたが、知っているさ。お前はビビリで繊細だ。他人の不幸で涙を流してしまうくらいにな」
だが、ユウは切って捨てる。少し怒った声で彼は続ける。
「あっさりと捨てた『俺』にムカついたっていうなら言ってやる。俺は、絶対にそんなことはしない。妥協や実利だけでツバキと旅することを選んだんじゃない。信頼しているから選んだんだ。それを自分から裏切るなんて絶対にしない」
「ユウ……」
「……話は、これで終わりでいいだろ。くだらない夢の話っていうなら。だから、あー……俺にあたるのはやめてくれ、そういうのには慣れてない」
最後は気まずそうに言って、ユウは黙る。
ああ、やっぱり彼は眩しい。けど、だからといって背中を向けてばかりはいられない。私は、意を決して彼と向き合う。
「……すまぬ、御主に言ったところでどうしようもないとわかっていても……甘えてしまった」
「気にしなくてもいいって。まあ、偶々そういう日だったんだろ」
「あまり甘やかしてくれるな。また甘えてしまうであろう」
「お前になら悪い気はしない。普段はからかってばかりで、いいようにされているからな」
「……ふふっ」
私は、彼に手を伸ばして柄を掴む。不思議そうな声をあげる彼を、胸元に収めるように抱き締めた。
「ツバキ?」
「……すまぬな、面倒な性格で。しかし、こればかりはすぐにはどうにもならんのじゃ」
「そりゃあ、そうだろうけど」
「だから、少しだけ待って欲しい。都合の良い我儘じゃが、もう少しだけ……」
「……言ってるようなものじゃないか。こうして、そうしているのなら」
「わかってる。それでも、待って欲しい。
「……っ。そんな顔で言うかよ、断らせる気が全く無いじゃないか」
悪態をつく彼に、私は微笑みかける。
「当然。小狡い狐だから」
「……出来るだけ早くしてくれ。今際の際じゃ返事が間に合いそうにない」
「もちろん。せいぜい楽しみにしていて」
そうしておく、と小声でユウは答える。私は、頭を撫でるように柄を撫で、そこでふと思い出す。
「そういえば、御主が体を得たらしたいことはなんだったのじゃ?」
「……忘れろと言って訊くのか」
「はて、そうじゃったかの」
「まあ、いいけどさ。その、ツバキの尻尾を触ってみたいと思って」
「尻尾を?」
私が驚いた声を上げると、彼は拗ねたように言う。
「なんだよ、悪いか。アインとかラピスは散々触ってるのに、俺だけ触れてないなんて悔しいだろ」
「……くっ、くくっ」
「……笑うなよ」
「いや、すまんすまん。つい、な。だが、全くもって悪い気はせん。うむ、良いな。御主は我の悦ばし方を心得ておるな」
「それなりの付き合いなもんでな」
彼のそっけない物言いが、それだけではないとわかっている。照れくさいのを誤魔化そうとしながらも、それでも素直に向き合おうとしている。
だから、私は彼を――。
「よし、では朝食としようぞ!」
浮かんだ感情を誤魔化すように、私は叫んで立ち上がる。これではしばらく待たせることになりそうだと自嘲するが、そこまで暗い気持ちにはならない。
「はいはい。じゃあ、行くか」
待ち続けると言ってくれた彼が、隣に居てくれるのだから。
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