外伝1 料理人、銀色の死神について語る
ああ、いらっしゃい。どうぞ、好きな席についてくれ。いま水を運ばせる。
けど、随分若く見えるが一人旅か? ……連れはここにいる? 俺には見えないが、まあいいか。ほら、メニューだ。
嗅いだことのない匂いが店の前からしていた、か。おうとも、ウチの自慢料理のカレーの匂いさ。鰈じゃないぜ?
色々なスパイスを混ぜて作った特製のルーに、パン粉を付けた豚肉を揚げたトンカツって料理にかけて、そんでライスと一緒に食べるんだ。こんな料理聞いたこともないだろ……ってある? ふぅん、『漂流者』から聞いた料理なんだが実は有名なのか?
ん、その『漂流者』か? 俺の求めるカレーはまだ遠いって言って、スパイス探しにあちこち駆け回ってるらしいぜ。でもまあ、現時点でもウチの料理は十分美味い。食ってみればすぐに分かるさ。
それで注文はカツカレーが一つ。すぐに出来るから待っててくれ。何しろカツとライスの上にかけるだけだからな、作る側にも食べる側にもありがたい料理って奴だ。
ほい、カツカレー一丁お待ち。あまり辛くはしてないが、一応気をつけて食べてくれ。香辛料も多いから刺激はそれなりにあるからな。
……そうか、美味いか。旅人からもそう言ってくれると嬉しいぜ。ここらでは食べてくれる人も増えたが、まだまだ色物料理だからな。自信につながるってもんだ。
前にも旅人が食べに来てくれてなぁ。ほら、あそこに飾ってある絵がそうだって……おいおい、急にむせてどうしたよ。そんなに慌てて食べなくてもいいだろ。
あの絵はどうしたんだってか? ありゃあ、居合わせた客がある種の神々しさを感じて思わず筆を執ったもんだな。
想像してみろよ、山のように盛られたライス。溶岩のように流れるカレー。小島のように浮いたカツ。それを崩していくのは、まだ少女の振るう銀の匙だ。まるで自身の銀髪から作り上げたかのようじゃないか。
……大袈裟と思うか? 当然だ、俺だってその場に居なかったらそう思うに決まっている。
その時の話を聞きたい? いいぜ、ちょうど客が少ない時間で暇だったんだ。
さて、まずはその客が来たときのことだ。そいつは、静かに戸を開けて店に入ってきた。それだけなら普通なんだが、格好には少し驚いた。真っ黒い外套でフードまで被ってたもんだから、始めは死神でも来たのかと思ったくらいだ。
だが、なんであろうと店に入れば客は客。声を掛けて席に――ちょうどあんたの座ってる後ろのテーブルだ――案内したら、そこでまた驚いた。フードを取ったそいつは、銀髪碧眼のお嬢様だったんだからな。
ここよりも洒落たカフェのほうがよっぽど似合ってるだろう彼女は、真剣な表情でメニューを眺め始めた。人生を賭けた受験前最後の時間……そう言っても大げさでないくらい真剣にだ。
俺も客もつい黙っていると、彼女はメニューの一つを指さして訊ねてきた。
『ここに書かれていることは本当ですか?』
その内容ってのがこれだ。メニューにバツつけられてるのだ。
……ああ、そうだ。総重量10キロの特製カツカレー。30分以内に食べ切れたらタダに加えて賞金1万リル、食べきれなかったら罰金1万リル。頼んだやつは片手で足りるし、成功したやつは片手も要らない。そんなジョークの類だ。
俺は珍しいことが書かれているから訊いただけだと思ったんだ。だから、彼女にこう答えた。
『ああ、そうだ。お嬢さんも挑戦してみますか』
そして、彼女はこう返した。
『そうですね、お願いします』
……もちろん冗談に冗談で返しただけだと思ったさ。けど、彼女は呆ける俺を不思議そうな顔で見ていたんだ。なぜ準備に取り掛からないのかと言いたげに。
だけど、そこで『わかりましたすぐに取り掛かります』なんて言えるか? どう考えても不釣り合いな体格の少女が馬鹿げた量のカレーを注文しようとしてるんだ。世間知らずのお嬢様を止めるべきだと、俺は思ったんだ。
ところが、周りの客は無責任に煽るわ馬鹿にするわで……そうしたら彼女もムッとした顔で、
『どうして貴方達が無理だと決めつけるのですか。この店はそんなマズイものを出すんですか』
と言い返しちまった。
そうなると、周りの客だって黙っていない。『もし成功したら俺の有り金全部やるよ。失敗したら言うことを聞いてもらう』と下心丸出しの笑顔で言いだした。そこまで盛り上がったら俺が水差す真似は出来ないと、形だけの再確認を取ったんだ。
『本当に良いのか?』
『はい』
たったそれだけで済ませて良いのかとも思ったが、彼女が世間を知らないのが悪いんだ。そう自己弁護して、俺は完成したカレーを彼女のもとまで運んだ。
4人掛けテーブルの大半を一枚で占領するようなデカイ皿を前にした彼女は、どんな顔をするのだろう。若干後ろめたさを覚えつつも、気になった俺はこっそりと顔を窺ったんだ。けど、
『美味しそうですね』
彼女は、量の多さには一言も触れず味だけを気にして目を輝かせていた。今まで頼んだやつは、余裕ぶっていても想像以上の量に顔をひきつらせていたっていうのにだ。
煽っていた客もその態度には黙り込むか、不安を誤魔化すみたいに口数が増えていた。俺は……何かヤバイ予感を感じていた。開店5分前に、仕込みを全くしていなかった時よりもヤバイ予感だ。
『では、頂きます』
丁寧に手を合わせた彼女がそう言って、俺は慌てて計測用の砂時計をひっくり返した。彼女は、がっついて食べるでもなく、普通に食事をするのと変わらないゆっくりとした動作で食べ始めた。
最初はルーだけ、次にカツだけを、次にはカレーとライスを。そして最期は3つを一遍に……早食いや大食いをする気もない、味わって食べる食事風景に俺たちは呆気にとられていた。そんなペースじゃ1時間あっても食べきれないだろうってな。
だから……俺たちは安心しまったんだ。彼女は、ただの見栄で注文しただけで最初から完食する気は無いんだとな。結果が見えた勝負に客も興味をなくして、視線を外した。俺も注文に答えないといけなかったから厨房に戻って追加のライスを炊いていた。
……客から悲鳴が聞こえたのはその数分後だ。彼女の皿を見てみると、半分が既に無くなっていた……ライスの山が綺麗に分割されていたんだ……。
言葉を失っていると誰かが不正だ、と声を上げた。目を離した隙にライスを捨てるか隠したのだとな。周囲がそれに同調しようとしたが、すぐに口を閉じちまった。何故なら、皿からカレーライスが消えていく現実を目の当たりにしたからだ。
砂浜をスコップで掘るような当たり前さで掬ったカレーを、上機嫌に口へ運んでいく。そこに不正が介入する余地は一切なかった。嘘だと震えた声をあげるもの、その場にへたり込むもの、何故か感動したと涙を流すもの。それらに構わず彼女はマイペースにスプーンを動かし続けた。
……悪い、その時のことを思い出すと動悸がしてな。いや、気にしないでくれ。こんな話でも客が楽しんでくれるなら俺も本望だ。だが、これは与太話なんかじゃない。間違いなく現実にあったことなんだ。
話を続けよう。そうこうしているうちに、彼女の皿にあるライスは小山ほどとなった。それでも十分な量だが、彼女にすればなんてことのない量だったのだろう。実際、あっさりとライスを平らげた。
客たちは悲鳴をあげるように沸き立った。まあ、その中には青い顔をした俺と賭けをした客がいたわけなんだが。
だが、前人未到の境地に達したと興奮する中、一人だけ冷静な客は皿を指さして言ったんだ。
『待て、彼女の皿にはカツがまだ残っている。これでは完食したと言えない』
そいつが言った通り、彼女の皿には3切れほどカツが残っていた。しかも彼女は、それを前にして困ったような顔で食べる手を止めていたんだ。
勢いで食べていたが、最後に残った油っぽいカツがキツくなって手が止まった。
その思考に達したときの俺の気持ちは……正直に言えば万歳をしたいところだったな。最初は同情していたってのに、本当に都合のいい男だよ俺は。
だから、あれは当然の報いだったのかもしれない……今でもあの時のことは夢に見るんだ。はは、寒いせいか体が震えるな……。
そう……俺は彼女に訊ねた。『どうだ、もう食べきれないんだろう』っていう気持ちを隠さずに『どうしましたか?』と。
それに対して……彼女は……。
『すいません、少しカレーとライスを頂けませんか? カツだけ余ってしまったので』
…………また明日も来ますね、と言った彼女を見送った俺が真っ先にしたのは、メニューを書き換えることだった。
「カレーとやら、中々美味かったぞ。御主は毎日あんなものを食べていたとは羨ましいのう」
「毎日は食べないって。というか、アインの奴は何してんだ」
「ラピスが付いているから安心じゃと思っとったが、相変わらずのようじゃな。まあ、元気なら良いじゃろ」
「店主には同情するけどな……ああ、こうやって悪名が生まれていくんだな……」
「自力で食費が稼げる世界で良かったのう。もしアインが御主の世界に行っておったら、考えるだけで恐ろしいわ」
「……そうだな。心の底からそうだなって言える」
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