第167話 優しい相棒

「酒は良いな、心が洗われるようじゃ」


 人に溢れた大通り。その喧騒から一歩離れたテーブルでビールジョッキを煽っていたツバキは、一息で中身をカラにすると上機嫌に呟いた。その傍らに置かれたユウは、そうだなと気のない返事を返す。


「金が全てではないが、あるに越したことはないし豊かなのはいいことじゃ。とくにこうやって景気よく使われる金は心地が良い」

「リーベとエターナにはお礼言わないとな。ここまで大掛かりにやってくれたんだから」


 協会前の通りと店を貸し切っての祝賀パーティにどれだけの手間と費用がかかったのかは、庶民のユウには想像が難しい。そのくらい違う世界の出来事を起こした一因になったと思うと、なんだかこそばゆかった。


 その主役であるアインは宿で休んでいるのだが、呼びに行ったラピスもまだ戻ってきていない。一時間くらいは経っているはずだが。

 それについてツバキに話を振ってみると、


「まあ、そのうち来るじゃろ。あやつらにも色々あるでな」


 曖昧な答えが返ってくる。だが、曖昧であることに意味があるのだろうと、それ以上ユウは訊かなかった。そうだな、と再び気のない返事をするに留める。

 その反応にツバキは、ソーセージを運ぶフォークを置くと、ユウの柄頭を撫でるように叩いて言う。


「なんじゃ、腑抜けた返事を何度もしおって。アインが居ないのがそんなに寂しいか?」

「そういうわけじゃ」

「では、自分が必要無くなったのが哀しいか?」

「……」


 その問いには、すぐに答えることは出来なかった。言葉に出来ずざわついていたものを言い当てられてしまったから。

 無言のユウに、ツバキは小さく溜息をついて続ける。


「お人好しが過ぎるのか……いや、違うな。役に立たねば意味がないと思っておるのか? 自分では何も出来ないから、と」

「……そこまで自虐的じゃないさ。誰かの助けになりたいっていうのは、真っ当で当然の思いだろ」

「じゃが、自分のしたいようにするというのも真っ当で当然の思いじゃな」


 ツバキは言って、見せつけるようにジョッキを傾け、ソーセージに齧りつく。空になったジョッキにピッチャーが空になるまで注ぐと、また一気に飲み干した。


「一人で歩けるようになりたいというなら、我でもアインにでも言えば良い。元の世界に踏ん切りをつけたと言っても、生きることを諦めたわけではないのじゃろ?」

「それは……」

「だったら、幸せに生きよ。その権利は誰もが持っているものじゃ。それを行使できぬものがおるのは哀しいことじゃが、御主は違う。それだけの手段があるなら、使ってみせよ」


 そこまで言ったところで、ツバキは息を吐いてテーブルに突っ伏すと、そのまま独り言のように続けた。


「御主がどうしてこの世界に来たのか、そのことに意味はあるのか、そもそも本当にそうなのか。それは、神様くらいしか知らないことじゃろうよ。だから、生きているうちから意味を追い求めるのは、ほどほどにしておけ。生まれた意味も生きる意味もわからなくとも、それでも人は生きていけるし、前に進めるのじゃからな」

「……ツバキも、生まれた意味を考えたことがあるのか?」

「たまにな。何しろ我らは人であり、人ではない。誕生の由来も真実はわからぬ」


 どこか自嘲するようにツバキは言う。知恵ある狐が人に転じたのが、フクスという種族であると語られてはいるが、真実は当人らにすらわからないのだ。

 フードに隠された下には、人ではない証の狐耳がある。それを除けばほぼ人である彼女らが、人との違いについて悩むのは当然かもしれない。


 けれども、


「じゃがな。よく考えてみれば、その点は人も変わらぬではないか。神が創った特別な存在だの、猿から転じただのと言われてはいても、結局正解はわかっておらん。にもかかわらず、皆は気にもせずに生きている。だったら、我らだけが悩んでいては馬鹿らしいではないか」


 一気に体を起こしたツバキは、おかしくて堪らないというように大声で笑った。


「わからぬことを考えるのは他人に任せておけ。我らは存分に生を楽しもうぞ」

「……単純だな」

「だが、皆が望む生き方であろう? なに、酒が旨ければ今日は楽しい、御主がいれば明日も楽しい。その程度の話じゃ」

「そりゃどうも」

「そっけない物言いは嫌いではないが……まあ、いいじゃろ。可愛げがある」


 好き勝手に言う酔っ払いめ。

 ユウは、忌々しげに睨んでみるが彼女は何処吹く風でピッチャーのおかわりを要求していた。

 

「さて、そろそろアイン達も……っと、言った傍から来おったな」


 ツバキが呟いた先には、肩を並べてこちらに向かってくるアインとラピスの姿があった。アインは、最近はあまり見なくなったフードを被った姿で、ラピスは目を逸らすように夜空に目を向けている。


「ど、どうもツバキにユウさん。遅れました」

「ちょっと身支度に時間がかかってね」


 手を振るツバキに気がついた二人はテーブルに近づくと、どこかぎこちない動作で席に着く。何故か席を一つ空けて座る二人を、ツバキは訝しげに眺めていたが、


「ほう? のう、ラピスぅ?」

「なっ、ちょっと! 絡むんじゃないわよ酔っ払い!」


 ニヤニヤしながらラピスの肩を抱き寄せると、唇を寄せて耳打ちするように囁く。

 

「髪が湿っておるようじゃが……何処までした?」

「ッ……!」

「汗を流すようなことをしたのかえ? んっ?」


 酒を飲んでもいないのに真っ赤な顔で体を震わせるラピス。声を抑えているため、アインとユウの耳には届かなかったが、まあ碌でもないことを聞いているんだろうなと思うユウだった。

 一方のアインはと言うと、落ち着かない気持ちを食事で追い出そうと素早くフォークを動かし続けていた。箒で掃いたホコリのように消えていく食事に、通りすがった客が二度見していた。


「で、どうなんじゃ? 恥ずかしがらずに言ってみ?」

「ひっつくなっての! ああもう、アイン! ユウと何処か行ってなさい! ほら!」

「おい、投げないでくれ!」


 ユウの抗議に構わず、ラピスはアインに彼を強引に押し付ける。受け取った彼女は、口の中のものを慌てて飲み込むと、ユウを抱きかかえて逃げるように背中を向けて走り去った。


 ツバキの声が騒がしいテーブルから離れ、協会へと向かう人々に逆走し、一本の大きな木が植えられた広場にたどり着くと、アインはほっと息を吐く。普段は賑やかなここも、今ばかりは僅かに通り過ぎる人がいる程度だった。


 アインは、木の根元に腰を下ろすと、静かに息を吸う。冷たい夜風が肺を満たす感覚が心地よく、火照った体が冷めていくような気がした。そのままぼうっと夜空を見上げる。

 

 ほんの一時間前のことが夢のような気がする。思い出そうとすると、顔と頭が熱くなって上手くいかないけれど、その熱こそが現実だと証明していた。本当に私は彼女と――。


 そこまで考えたところで、アインは抱えた膝に顔を埋める。ついにやけてしまうだらしない顔は、他人には見せられない。そう思っての行動だったが、


「……随分嬉しそうだな」

「ふへっ!? なななんのことやらわかりませぇんね!」

「そんな裏返った声で言われてもな……空気っていうかオーラ? がダダ漏れだぞ」


 呆れ気味に言うユウからすれば、見ただけでわかる程度には浮かれきっていた。その理由を指摘するのは――野暮というものなので黙っているが。


 ともあれ、彼女にとって大きな一歩を踏み出せたことは間違いない。誰の手も借りず、彼女自身で歩みだしたのだ。


「アイン、少しいいか」

「……? はい、なんですか」


 なら、もう杖となる必要はない。彼女は、もう一人で歩いていける。だから、自分も――。


「前に、どうしてこう剣になったかを知ることに拘りはしない。そう言ったよな」

「はい、もちろん覚えています」

「同時にこうも言った。生きることを楽しもうと」

「……」

「今日まで楽しくなかったわけじゃない。たぶん、それまでのどんな時よりも充実していたと思う。だけど、だからこそ――自分の足で歩いて、自分の手で触れてみたいと思ったんだ」


 心の何処かで諦めていた。自分は剣で、だったら剣なりの生き方をしようと。それは、間違いではないのだろう。配られたカードで勝負するしか無いというのは、この世の理だ。

 だけど、もう少しだけ諦めたくない。まだチャンスがあるのなら――そうしたいと自分が望んでいるうちは諦めたくない。まだ明かされていないカードが有ると信じたい。


「その方法を探すために、必要ならアインと別れることになるかもしれない。それが一週間かもしれないし、一ヶ月か、一年かもしれない。それでも、お前は」

「――大丈夫です、ユウさん」


 ユウの言葉を遮ったアインの声は、明日の天気を訊ねるような気楽さだった。それこそ、話の意図がわかっていないのではと疑ってしまうほどに。

 だが、そうでないことは目を見ればわかった。まっすぐこちらを見据える青い瞳は、揺らぐことの無い意思を湛えている。初めて出会ったあの日よりも、美しい輝きを見せていた。


「私だって、いつまでも頼ってばかりじゃありませんから。ここまで私を連れてきてもらった分、今度は私がユウさんを連れていきます。ああ、ですけど」

「なんだ?」

「相棒ではいてほしいです。せっかく今日までやってきたんですから、もっと頼っても良いんですよ?」

「……良いのか? お前には、俺はもう必要ないっていうのに」


 そう言うと、アインは頬を膨らませるとむっとした声で答える。


「だから、前にも言ったじゃないですか。ユウさんをモノ扱いはしないって。必要なくなったから手放すなんて……しませんよ、そんなこと。ユウさんは人なんですから」


 言われてしまえば返す言葉もない正論に、ユウは呆けてしまう。そして、そうなってしまった自分がおかしくて吹き出した。


「そうだったな……うん、そうだ。お前は思ったよりも優しいやつだった」

「なんですか、私を一体何だと思ってたんですか」


 アインは、不機嫌そうに口を尖らせて言う。その言葉に対する答えは、一つしかあるまい。


「相棒だと思っているよ。これまでも、これからも」

「――――」


 アインは、小さく息を呑み、


「はいっ。これからも頼りにしてください、ユウさん」


 満面の笑顔に、ユウも笑顔で答える。

 見えなくとも、伝わるものがあると信じて。何時の日かに、本当に笑いあえると信じて。















「で、実際どこまでしたんじゃ?」

「……――までは、した」

「んーよく聞こえんかったがいいじゃろ。そこからはどうじゃ?」

「……アインがお腹を鳴らして、それに私が笑っちゃって……そしたら、自分たちが何してるのか改めて考えちゃって……」

「あー」

「あとは……よく覚えてない。何か言って部屋を出て……色んな物を流したくてシャワーに入って……」

「そうか……」

「笑えばいいでしょ、もう……そんな優しい目で見ないでよ……」

「まっ、時間はこれからも続くんじゃし、アインも気にしとらんじゃろ。焦らず考えていくが良い」

「ありがと……はあ、年下に慰められて何やってんだろ私……」

「恋じゃろ。いや、実ったのなら愛か?」

「ああもう! 恥ずかしいからやめてったら!」

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