第166話 もう一つの決着

 宿まで戻ったアインが最初にしたのは、泥のように眠ることだった。ゴーレムに水晶を協会まで運ばせ、会長に坑道内の出来事を説明し、押し寄せた学生や野次馬達に適当に受け答る。それが全て終わった時、アインに体力は残されていなかった。

 ベッドに横になるなり寝息を立て、次に目覚めたときには日は既に沈みかけていた。


「……おなかすきました」


 空腹から目を覚ました彼女は、薄暗い部屋の天井を見上げて呟く。思えば昼食を摂っていない。食堂でなにか食べようと、大きな欠伸をするとふらつきながらベッドから起き上がる。

 ふと夕暮れの差し込む窓から外を覗くと、協会へと続く街路が騒がしかった。老若男女様々な人が街路を埋め尽くすように歩いている。


「なんでしょう……」


 疑問には思ったが、それよりも空腹だ。とりあえず食べてから考えようと、もう一度欠伸をしてユウに喋りかける。


「ユウさん、パンとパスタどっちがいいでしょうか」


 特に意味のない質問に答える声はなかった。普段なら短くとも何か反応を返してくれるのに。

 

「ユウさん?」


 もう一度呼びかけるが、やはり返事はない。いや、それどころかベッドサイドにも何処にもいない。寝る直前に外して置いたはずなのに。

 まさか、攫われたのではないか? レプリのように悪意あるものが好機を狙っていたのでは?


 こうしてはいられない、早く彼を見つけなければ。

 アインは、椅子に掛けていた外套を引っ掴み、ドアへと走り寄る。そして勢いよくドアを開き、


「っだ!?」


 衝撃とともに聞き覚えのある悲鳴が聞こえ、思わず足が止まる。この場にいるのはマズイと意思が、逃げるのはもっとマズイと本能が訴えている。

 アインが、理性と本能の板挟みになって動けないでいると、下から伸びてきた震えた腕がドアを掴んだ。ぎぎぃとドアを軋ませながらゆっくりと顔を出したのは、額を赤く腫らしたラピスだった。


「……そんなに急いでどこに行くの?」


 そう訊ねる彼女は笑顔だった。目は全く笑っていないし、まぶたははっきりわかるほどヒクついていたが。


「ご、ごめんなさいラピス! 急いでいたのはその、ユウさんがいなくて! 誰かに攫われたかも」

「ユウならツバキが連れて行ったわよ。あんたが寝てる間にね」

「えっ、あっ、そ、そうですか……」


 それにホッとしたのも束の間、この場から逃げ出す体の良い言い訳が無くなったことに冷や汗を流すアイン。眼の前にいるラピスは、顔をしかめて不機嫌そうにこちらを睨んでいる。

 この場で自分に出来ることと言えば、


「わざとじゃないんです! 慌てて飛び出したらラピスが偶々居て……本当にごめんなさい!」


 誠意を持って平謝りするしかない。悪気がないとわかれば、彼女もきっとわかってくれるはずだ。

 平身低頭のアインに、ラピスは溜息をついて言う。


「……はあ。いいわよ、別に怒ってないし。ただ、ちょっと予定が崩れたっていうか」 

「予定、ですか? ってラピス、何を」


 戸惑うアインの声は、ラピスが強く閉めたドアにかき消される。錠を落とした音が、静まった部屋に妙に響いた。ラピスは、険しい表情のままベッドに近づくと、どっかりと腰を下ろす。


「んっ」


 バシバシと自身の隣を叩くラピス。それが"座れ"という意味だと気がついたアインは、慌てて腰を下ろす。

 そして、そこからは――無言だった。ラピスは時折呻いては髪をかき乱すということを繰り返し、やはり怒っているのではと怯えるアインは肩を縮めて俯いていた。


 ジリジリと時間が過ぎていく中、意を決したアインは強張った口を開く。


「あ、あの……ツバキとユウさんは何処に……」

「……記念パーティに先に向かったわ」

「記念パーティ……?」

「魔術協会が初めて発掘成果を上げた記念よ。あんたが運んだあの水晶を見せびらかすのと、リーベ達の労いを兼ねてね」

「へ、へえそうなんですか。じゃあ、私達も行かないと」


 空気を明るくしようと若干裏返った声でアインは言って、立ち上がろうとする。


「アイン」


 だが、そうする前に呼び止められると同時に強く手首を掴まれる。痛みを覚えるほどの力に、やはり怒ってるじゃないですかと言いかけるが、


「言いたいことが、あるから。少し、待って」


 俯きながら真っ赤な顔で言われては、そんなことを言う気にはなれなかった。しかし、何を言えば良いのかもわからない。

 アインが迷っていると、不意に腕が引かれる。体勢を崩した彼女は、数歩たたらを踏んで、ラピスが広げた腕の中に収まった。回された腕の細さ、密着した体から伝わる鼓動、鼻孔をくすぐる安らぐ匂いに硬直する。


「……あんたは、変わったわね」


 回された腕が少し緩み、密着していた体が離れる。距離の余裕は生まれたが、お互いに至近距離から見つめ合うことになり、心の余裕は尚も目減りし続けていた。

 ラピスは、荒い呼吸を整えて噛みしめるように言葉を紡いでいく。


「昔だったらずっと黙りこくってるだけだったのに、今は違う。だったら、私も昔のままじゃいられない。リーベを習って……素直になるべきよね」


 ラピスの手がアインの頬を撫でるが、それが本当なのかもアインにはわからない。真っ赤に焼けた頬と同じ熱を持った手が触れても、現実味がなかった。にもかかわらず、体温はさらに上昇していく。


「私は、ずっとあんたに憧れていた。あんたをライバル視して、羨んで、嫉妬して……けど、それも全部一つのことだった。もっと単純で、一言で言えてしまえることだった」


 ラピスは、俯き大きく息を吸って――。


「私は、あんたが好き、大好き。初めて出会った日から、きっと」


 夕焼けの中で太陽のように眩しい笑顔を浮かべて、己が本心を告げた。強がることも飾ることも無く、ただ心を共有したかったというように。


「こんなことを言ってどうだこうだってわけじゃないけど……ただ、言うべきだと思ったの。言わないと伝わらないし、すれ違うのも……もう嫌だから」


 微笑むラピスに、アインは何も言うことが出来ずにいた。言いたいことは一夜掛けても言い尽くせないほどあるというのに、多すぎる言葉は却って形にすることが出来なかった。

 それでも伝えたい――伝えなければならない、気持ちだけが先走って震える唇を動かしていく。


「私は……ずっと貴方に憧れて……貴方みたいになりたくて、認められたくて……」

「……うん」

「私には……恋も愛もよくわかりません……だけど! この胸の苦しさも暖かさも……貴方が好きだからです。それだけは、絶対に間違いじゃありません!」

「…………うん」

「胸を張って言っても良いんですよね……? 貴方が、好きだって! 貴方に好かれているんだって!」

「…………うん!」


 言葉に出来るのは、お互いにそこまでだった。溢れ出す思いに突き動かされた体は、お互いの存在を確かめ合うように強く抱きしめる。

 

「ラピス……暖かい人……陽の光のように眩しくて……それでも目を逸らせなかった……」


 自分と同じように熱くて、けれど異なる熱を持ったものが吐息が触れるほど近くに在る。考えたことも無かったそれが、こんなにも幸せなのだと初めて知った。胸の鼓動は収まること無く高まり続け、しかし穏やかさに包まれるという矛盾が心地よいなんて知らなかった。


 それも全て、ラピス――貴方が教えてくれた。ああ、だけど。それを伝えるには私は口下手で、言葉にするには時間が足りない。


「……アイン? なにを」


 だから、言葉で示せないのなら、せめて行動で示そう。


「ッ! ま、待って!」


 ラピスは、夕焼けに染まった両頬に手を添えられ、正面から見つめるアインから離れることが出来ず、ただ目を瞑るのが精一杯だった。

 差し込んだ夕日が、隣合った二人の影を壁に映し出す。その影が、溶け合うように一つになっていく。


「――――」


 声も息遣いも消える静寂が訪れ、そして溶け合っていた影が離れていく。

 重ね合ったのは、おそらく数秒。けれど、熱の残滓は消えること無く記憶に焼き付いた。


「……」

「……」


 アインとラピスは、しばらくぼうっとお互いを見つめ合っていた。自分たちが何をしたのか、改めて考えたところで互いの湿り気を帯びた唇が目に入り、それを隠すように顔を背ける。耳も頬も、夕焼けでは誤魔化しきれないほどに朱に染まっていた。鼓動は内側から殴られているみたいに痛く、激しかった。


 またも沈黙が訪れようとしたところで、アインはおずおずと口を開く。


「ラ、ラピス……」

「な、なにかしらっ」 


 それにラピスは裏返った声で答える。だって仕方ないでしょう初めてだったし、と誰に言い訳するでもないのに、そのような思考で頭がいっぱいだった。

 そんな彼女の手にアインは指を絡め、離すまいとしながら言い放つ。


「よく……わかりませんでした……だから、もう一度……」

「うぇ!? ばっ、ああああんたは遠慮ってものが無い……無いわよね……」

「だめ、ですか?」


 潤んだ目をしながら子犬のように体を擦り付け、溶けた声で耳元で囁かれては、ラピスが取れる選択肢など無かった。

 彼女は小さく唸り声を上げると、せめてもの抵抗にアインの銀髪をぐしゃぐしゃにかき乱し、アインにだけ聞こえるような声で囁く。


「駄目なわけ……ない、じゃない……けど」


 唇が言葉を紡ぐためのものだったのは、それまでだった。そこから先は――言葉にするには野暮なやり取りを重ねるためのものとなった。

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