第165話 せめて安らかな最期を

「わ、私が? で、でも私にできることなんて……」


 自身を指して戸惑いがちに言うエターナ。だが、確信を持って名を告げたアインだけでなく、


「……まあ、そうね。さっきのがそうなら、可能性はある」

「そうじゃな。とは言え、我らでは理解できぬ領分故に断言はできぬが」


 半信半疑ながらもラピスとツバキも肯定する。リーベは、何も言わなかったが否定もしない。ただ腕を組んでじっとエターナを見つめていた。

 その反応にさらに戸惑ったエターナは、助けを求めるような声でアインに言う。


「アインさん……わからないですよ、私が出来るのは怪我を治すことだけで、水晶を綺麗にするなんて……」

「いえ、それが間違いだったんです」

「間違い?」

「というより勘違い、でしょうか。エターナさん、そもそもどうして自身の魔術を『怪我を治す』ことだと思ったのですか?」


 問われたエターナは、額に指を当てて記憶を探っていく。


「ええと……確か、お姉ちゃんが怪我をして……何とかしなきゃと思いながら騒いでいたら、いつの間にか治っていて……それが何度かあった時、お姉ちゃんが『貴方には治癒魔術の才能がある』って」

「なるほど……では、人の怪我を治しても、物を直したことは無いんですね?」

「無いです。だって、人と物じゃ全然違うから私じゃ直せないですし」


 どうしてそんなことを? というふうに彼女は首をかしげる。

 肉体と物質では、治療修理方法は全く異なる。肉体は溶接では治らないし、物質は薬を塗って治るものではない。魔術であってもそれは変わらないのだ。


 未熟な自分でも知っていることをアインさんが何故?

 怪訝な顔をするエターナをよそに、アインは納得したように大きく頷いていた。


「これで完全に繋がりました。エターナさん、貴方は魔術の本質を勘違いしていた」

「勘違い……って、私の魔術は治療じゃないんですか?」


 驚きの声をあげるエターナ。それにアインが応えるより早く、


「……ええ、違いますわ。貴方の魔術は、その程度の枠に収まるものではありませんでした」


 無言だったリーベが組んだ腕をほどいて告げる。浮かべた表情は、驚きと嫉妬に加えて悔しさや呆れが織り交ざっていたが――根底にあるのは歓喜と敬意だった。


 リーベは、困惑するエターナに続ける。


「先程、怨霊がアインさんに襲いかかった時、瞬時に元の場所に戻るという現象が起きました――まるで

「時間が……?」

「それだけではありません。私を庇ってくれたあの時、貴方は背中を斬られたはずだった。ですが、実際には傷一つ負っていなかった。外れないはずの間合いが外れたのです」

「それじゃあ、私がしていたことって……」

「ええ、時間逆行――代表的な魔法の一つですわ」


 魔法――魔術はおろか科学ですら到達できない全く未知の領域。中でも時間に関わるものは存在すら疑われており、『時間旅行が出来る』などと言えば鼻で笑われるのがオチだ。

 だが、それは実在した。怪我の治療という現象は、その末端に過ぎなかったのだ。


「ほ、本当に? だってそんな……私はただの娘で……それに、だったら今まで巻き戻しなんて出来たことなんて……」


 その事実は、当の本人ですら受け入れ難く、混乱した様子であり得ないと口にし続ける。今まで出来なかったのは何故なのか、と。

 その疑問には、アインが答える。


「魔術は『出来る』と思えば出来るし、『出来ない』と思えば出来ない。息を吸うように、或いは小枝を踏み折るように当然に『出来る』と思わねばなりません。ですが、エターナさんは自分の魔術を『怪我を治すだけ』と思い込んでいた」

「無理もないけどね。治療が出来たからと言って、まさか時間を巻き戻しているとは思わない」

「だから、無意識に使っていたはずです。自分や他人の身に危機が迫った時――大事なものを落としてしまった時に」

「あっ……」


 アインは、エターナが水晶を落としてしまった時のことを思い出す。その際の音は、間違いなく破砕を知らせるものだったが、彼女が見せた水晶は全く欠けておらず、継ぎ目も残っていなかった。


 そして、本質的には治療をしているのではないという証左は既に目にしている。鼻血を流す少年を治療した時、怪我だけでなく流血まで消えていた。ただ怪我を治しただけなら、流れ出た血を元に戻すことは出来ないはずだ。


 そこにあり得ない移動を加味すれば、時間の巻き戻しを行っていたという結論に達する。


「そうだったんだ……私が魔法を……」

「そこで本題です。直しているのではなく、戻しているのなら、この水晶が穢れる前にまで戻すことも可能なはずです」


 淡い光が揺蕩う水晶を指して言うアイン。ツバキは頷く。


「なるほどのう。我らは宝を持ち帰り、そこの男は未練を遺さず消えることが出来る。全て丸く収まるというわけじゃ」

「え、ええ!? いきなりそんなこと言われても!? 自分でもよくわかってなかったのに、やれと言われても出来ないよ!」


 エターナの反応は、至極当然のものであり、こうなることを予想していたためにアインは今まで黙っていた。無意識でやっていたことを意識させれば、力が入ってぎこちなくなってしまうからだ。

 だが、無意識であっても『出来ていた』なら必ず出来るはずなのだ。その才能があるのなら、後は使い方を学ぶだけ。一歩進むためには、それを知らなければならない。


 そして、その背中を押すのはアインではなく、


「エターナ」

「お姉ちゃん……」

「多くの言葉は不要でしょう。何を言おうと全て同じ意味なのですから。だから、私が言うのはこれだけです」


 リーベは、不安そうなエターナに歩み寄ると、そっと回した腕で抱き寄せる。驚き戸惑う彼女の耳元に囁いた。


「私は、貴方を信じている」


 伝える言葉は、それだけで十分だった。迷いと戸惑いに揺れていたエターナの瞳は、今は決意に満ちている。彼女は、気恥ずかしそうに顔を背けたリーベに微笑みかけると、水晶へと駆け寄った。


 エターナは、今にも消えそうな光に呼びかける。


「やってみます! 出来るかはわからないけど……いえ、やってみせます! 絶対に!」

「……お前が奇跡を起こすと?」

「ええ、奇跡を見せてあげますよ!」


 揺らぐことのない自信に満ちた言葉と共に、彼女は水晶へ両手をかざす。考えるのは、この水晶がどのようにあったかではない。考えても、わからないのだから意味がない。

 考えるのは自分がどうしたいか、それだけだ。無意識に使ってきたというのなら、その時考えていたことは一つしか無い。


「太陽は昇り、月は沈む。光が差して、影が生まれる。時計は刻み、時は回る」


 それは、大切な人が笑っていて欲しいという願い。その我儘を通すのなら、星にだって命じてみせる。


「くるくるくる世界が回る。からからから摂理が捻れる。回る世界に摂理が巻かれてどうなるの?」


 元の形は、きっと水晶自身が憶えている。だから、自分がするのはこうして目を閉じて唄うだけ。野原で寝転がりながらそうしていたように、当たり前のことをするだけだ。


「月は昇り、太陽は沈む。影が生まれて、光が消える。時は逆しまに、針を刻む。巡り廻った時計の針は、誰が止める?」


 周囲で何かが渦巻いている。目を開けてしまえば消えてしまいそうなその中に、エターナはゆっくりと手を伸ばす。指先に感じたのは風を掴むように不確かで、しかし間違いなくそこに流れていくもの。


「――それは私」


 指先に触れた硬い感触にゆっくりと目を開く。伸ばした手が触れていたのは、光が揺蕩う水晶。

 だが、一度穢れたものではなく、内から溢れる光に荒くカットされた面が複雑に光を反射させ、表面は虹色に輝いていた。その輝きに誰もが言葉を無くし、輝きを目に焼き付けるようにじっと見つめていた。


「お、おお……おお……!」


 真っ先に歓喜の声を上げたのは、水晶内で輝く光だった。一度消えかけた光は、最後を思わせるように強く輝いていたが、そこに悲壮は一切ない。

 

「奇跡を……見てくれましたか……?」


 ふらつき倒れかけたエターナの体をリーベが受け止め、強く抱きしめる。目に浮かべた涙を拭うことはしない。それは、喜びから流れたものだから。


「私は幸福だ……最期に奇跡を見ることが出来た……死の瞬間、失いたくないと願った輝きをもう一度目にすることが出来た……」


 穏やかな声で告げる光は、さらに輝きを増していく。そして、空間全体が眩く染まるほどに一際輝き、アイン達は目を閉じる。次に開けた時、光は消え去り、その残滓である粒子が僅かに漂っていた。


「……幸せだったと彼は言いました」


 指先ほどの小さな光が、アインの手の平に触れて雪のように溶けていく。強く握りしめた手を胸に当てた彼女は、独りごちるように呟いた。


「哀しみを終わらせることが出来たのですね……」

「そうだな……安らかな最期に出来たと思う」


 ユウは答え、アインと同じく目を閉じる。

 それは、名前も知らない誰かに対する黙祷だった。

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