第164話 自分かもしれなかった誰かへ

 光に包まれた刀身は、豆腐に刃を入れるが如く容易く水晶を貫く。否、真に貫いたのは外殻ではなく、中心に揺蕩う闇。祓うのは怨霊そのものではなく、そう至らしめた怨念だ。

 それに触れた今なら直接意思を伝達し、怨念を晴らすことが出来る。言葉にするならそれだけのこと。


『ぐっ……ぎっ!』


 だが、積み重ねてきた怨念をその程度で言い表すことなど出来ない。氾濫し押し寄せる洪水のような意思は、暴力的な勢いと衝撃をもってユウの精神を揺さぶってくる。


 何故――私は――こんな目――どうして――どんな――わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない!

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い! 自分が他人が過去が明日が世界が理不尽が不運が無能が悪徳が憎い!


「ユウ、さん……!」


 流れ込む呪詛は、ユウだけでなくアインの精神まで蝕んでいく。彼女は、全身を苛む悪寒を、歯を食いしばって耐え強く柄を握りしめる。

 立っているのか、しゃがみこんでいるのかわからない。精神こころを揺さぶられた体は、渦に呑まれたように感覚が定かではなく、叩きつけられる怨念という岩塊が気力を潰していく。


「これ、くらいで……!」


 ユウは、おぞましいモノから逃避しようと意思を手放そうとする本能を堪える。ツバキの助けがなければ、とっくにそうしていたかもしれない。

 死者の声を聞いてはならない。だが、それすら受け入れなければならない。亡霊を説得するためには、相反する二つを実行しなければならない。


 だが、ユウもアインもそんな技術は持ち合わせていない。出来るのは、


「このっ……! 一人で叫んでるんじゃねえ! 俺の言葉にも……っ、耳を貸せ!」


 叫びに負けない声で叫び返すことだった。


「何がわからないんだ! この場所か、何時何分何秒か!?」


 ――ここは、暗い。何処だ。何時だ。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない!


 応じた声は、変わらず支離滅裂かつ一方的に押し寄せてくる。だが、その勢いは僅かに弱まっていた。

 直接接触による説得は、間違いなく効果はある。軋んで折れそうな心をその事実が支えてくれる。泥中を泳ぐような不快感に耐え、さらに声を上げていく。


「オーランの鉱山でお前は何をしたかった! ただ引きこもりたかったわけじゃないだろう!」


 ――何を。決まっている規定されている運命づけられている。星を掴むこと。


「星……!? こんな、土の中でか!」


 ――否。地上でこそ輝く星。我が手はそれを創り上げるために。


「土……星……! どういう……!」

「ッ! あの水晶ですか!」


 ユウに代わってアインが叫ぶ。その叫びに応えるように、止まっていた心臓が動き出したような鼓動音が聞こえた。それは、幻聴だったかもしれない。だが、流れ込む意思に血が通った暖かさを感じたのは、気のせいではない。


「あの水晶と貴方に何があったんですか! 星を創り上げるとは!?」


 ――星。百あれば百の輝きを放つ。一際輝く綺羅星を私は欲した。私自身綺羅星と成るために。そして出会った。


「水晶が星……!?」


 ――だが……だが……だが! 私は過った!


「また! この癇癪持ちめ……!」


 再び押し寄せる怒涛に毒づくユウ。

 効果は間違いなくあるが、それは怨霊にとって触れられたくない、目を背けたいものであるためだろう。突き方を誤れば、藪蛇に成りかねない。


 だが、それでも避けて通る訳にはいかない。曖昧な決着は存在しない。あるとすれば、説き伏せるか飲み込まれるかの二つに一つ。そして後者はあり得ない。そんな結末など絶対に認めない。


 だったら、考えろ。それだけが自分が出来ること。それこそが自分がすべきこと。これまでもこれからも、それが武器だろう――!


「■■■■■■■■■!」


 炎の鎖と水の剣に拘束された怨霊が、咆哮を上げる。先程まではただの叫びとしか思えなかったそれが、今ならはっきりとわかる。

 それは、憎悪の叫びだった。向ける先すら定かではなく、衝動のままに噴き出す憎しみ。


 しかし、それだけではないとユウは考える。

 無軌道な憎悪だけでここまで至ることはないはずだ。芯となるものが必ずある。それが歪んだからこそ、これほどの悪意を撒き散らしているはずだ。


 これまでの推測と得た情報から答えを組み立てろ。ピースが足りなくても、断片までなら見えるはずだ。

 まず、魔術を使って出入り口を隠蔽していたことから、おそらく魔術師。そして、ここに鎮座する水晶に執着している。それに執着する理由を、綺羅星を手にし綺羅星と成るためと怨霊は語った。

 綺羅星というのは、そのものではあるまい。輝くモノという比喩なら――。


『私は、夢を見るより星を視るほうが好き。だって、手を伸ばし続ければ何時かは届くかもしれないのだから』


 そう言って微笑んだ少女がいた。彼女にとっての星は、誰もが手を取り合える世界だった。

 ならば、支離滅裂と思えた言葉の意味は――。


「お前の夢は……お前はこの水晶で何をしたかった!」


 見えた一筋の光明に向かってユウは、思い切り叫んだ。それは、賭けだった。

 何も起こらないかもしれない、悪戯に刺激するだけかもしれない、正しい選択だったかもしれない。脳裏をよぎるこれから起きうることへの想像に、意識は悲鳴を上げそうだった。


「――――」


 だが、怨霊は動きを完全に止めた。憎しみを叫ぶことも、拘束を振りほどこうと暴れることも止め、虚ろな顔を水晶へと向ける。中心に闇が揺蕩うそれをじっと見つめていたが、何かを察したかのように頭を項垂れさせた。


 同時に流れ込んでいた意思の奔流が静まっていく。それは、淀んだ泥水が蒸発していくかのように根本から消えていくようだった。


 アインは、握りしめていた柄からゆっくりと力を抜いていく。

 突きつけるなら今しかあるまい。それが残酷だとしても、誰かが終わらせてやらねばならないのだから。


「……貴方は、既に亡くなっている。哀しいですが、それが事実です」


 俯いたまま感情を込めずに告げられた宣告に、怨霊は身じろぎも声を上げもせず黙ったまま俯いていた。渦巻いていた冷気も怨念も消え、静謐を取り戻した空間に沈黙が流れ続ける。


「――そうか」


 不意に誰かが呟いた。どうしようもないことを認める納得と哀しさが織り交ざったそれに続き、カランと乾いた音が響く。


「――そうだったな」


 嵐に包まれていた怨霊の体が凪いでいき、手足は風に溶けるように消えていく。足元には、錆付き古ぼけた一振りのシャベルが落ちていた。

 その様子を全員が黙って眺めていると、不意にエターナは声を上げて水晶を指差す。


「アインさん、水晶が……!」


 その声にアインは慌てて刀身を水晶から引き抜いて距離を取る。中心に揺蕩っていた闇は消え、代わりに蛍火のように儚い光がそこにあった。


「とうの昔にこの身が朽ちていたことを、今になって思い出した。にも関わらず、無念は焼き付いて消えなかったのだな」


 淀みの無い暖かな光は、静かな声で語りかける。成功を実感したアインは、このまま座り込んでしまいたかったが、まだやることはあると足に力を込め直し、問う。


「貴方は何者で、ここで何をしようとしていたんですか?」

「記憶は摩耗し、それも思い出せぬ。だが、何をしようとしたかだけは忘れられない。私は、そのためだけに生きていた」

「それは……」

「私は――作品を創り、遺したかった。命が潰えても、記憶には残り続ける輝きを創ることだけを考えていた。そして、ある日耳にした。オーランの鉱山には、高品質の水晶が山のようにあるのだと」

「水晶を……何故、わざわざ隠し部屋まで作って?」


 問に、光は自嘲するように嗤う。


「買うだけの金がなかったという子どもじみた理由だ。こそこそと土竜もぐらのように地を這いずり、その挙げ句に落盤に潰され未練を遺したという……全く馬鹿らしい」

「じゃあ、この水晶は作品の素体になるものだったと?」

「然り。完成させたのか、完成を前にして死んだのか……それも忘れてしまったが、結果はこのザマだ。水晶は妄執に侵され、生者にまで迷惑を被らせるというどうしようもない男の末路だ」

「……そうだな」


 ユウは、男の自嘲を否定しなかった。彼の行いは不法行為であり、その行いの報いが返ってきた。言ってしまえばそれだけのこと。

 けれども、とユウは続ける。、


「あんたの名前がわからなくても……あんたが生きていたことくらいは覚えておくさ」


 闇の中で独り、誰にも気が付かれずに精神を摩耗し続ける。それは、偶然が無ければ自分にもあり得たことだった。

 行いの代償が死というのは余りに重すぎる。名前を忘れるほどの時間を独りで死に続け、夢を果たせない無念を闇の中で抱え続けた。夢を思い出す一言すら掛けられなかった彼を――自業自得と切り捨てることは出来なかった。


 ならばせめて、彼の願いの断片くらいは叶えたい。名前も作品も残らなくとも、彼がここに生きていたということくらいは、叶えてやりたい。それが、自分かもしれなかった誰かに対する祈りだから。


 ユウの言葉を、男は黙って聞いていた。表情も機微もわからない光体だが、見えない空を仰いだように思えた。


「十分な報酬だ。青年よ、君の名前を聞かせてくれ」

「ユウ……九條ユウ」

「クジョウか……覚えておこう」


 そう呟いた男の光が薄らいでいく。未練は残れど憎悪が消えた今、消滅は時間の問題だ。

 その最後を見届けようという時だった。アインは、首を横に振り、水晶に手を触れさせて言う。


「もう少し待ってください。保証は出来ませんが、奇跡が見られるかもしれません」

「奇跡……?」


 疑問の声を上げる男にアインは頷くと、


「貴方の出番です、エターナさん」


 確信を持ってそう告げた。

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