第163話 奇跡は二度起きる
怨霊と遭遇した日から二日――決行日にアイン達は、問題の坑道前に集合していた。
「さて……今更かもしれないけど、準備はいいかしら?」
剥き出しの岩盤に囲まれた空間は、耳が痛くなるほど静寂で、その中でラピスの声は一際響いた。頷くアイン達をぐるりと見渡した彼女は、頷き返すと目で坑道を示す。
「じゃあ、行きましょう。各々やるべきことは問題ないわね?」
「私とラピスさんは、怨霊の力を削ぐ」
リーベが言って、
「私とユウさんは、それに乗じ説得を試みる」
アインが続き、
「で、我はそのバックアップと状況に応じて指揮じゃな」
ツバキがエターナに目をやり、
「わ、私は万が一の時は治療を行います。勿論、そうならないのが一番ですが」
エターナが緊張気味に答える。力が入った彼女の肩にリーベはそっと手を置いて言う。
「貴方には貴方のやること、出来ることがある。戦うのは私に任せておきなさい」
「お姉ちゃん……」
「お姉ちゃんは止めなさいと言ったでしょう」
リーベはキツい口調で言って、そっぽを向く。何か言いかけようとして、そのまま俯いてしまったエターナに対して彼女は、目を合わせないまま消え入りそうな小声で、
「……恥ずかしいから二人だけの時にしなさい」
薄明かりでもわかるほどに耳を赤くしながら呟いた。
エターナは顔を上げると、背中を向けるリーベを呆けたように眺めていたが、やがて笑顔になっていくと、
「うん!」
そう嬉しそうに言って何度も頷いていた。
その様子を微笑ましげに見ていたアインは、表情を引き締めるとエターナに言う。
「リーベさんが言う通り、エターナさんにはエターナさんにしか出来ないことがあります。そして……それが一番重要になるかもしれません」
「私が……?」
「今ははっきりと言えませんが……気には留めておいてください。貴方は、間違いなく戦力の一人です」
「……はい! 私には、私の戦いがあります!」
エターナの肩から緊張が抜け落ち、代わりに責任と使命感が彼女の体を支えていく。理屈ではわかっていても、やはり自分だけ戦う力が無いというのを気にしていたのだろう。それを、リーベとアインの言葉が解消してくれた。
『上手く言葉を使えるようになったな。出会ったときとはえらい違いだ』
『ユウさんと……皆のお陰です。まだまだ未熟もいいところですが、少しは成長しましたから』
『……そうだな』
俺が居なくても平気なくらいにはな。
その一言を、ユウは言葉に出来なかった。そうなる時が近いとわかっていても、今は相棒として共に挑むのだから言うべきではないと、何処か言い訳するように。
寒気がする坑道を抜け、アイン達は再び隠し部屋と舞い戻った。前に見た時と変わらず荒れた部屋で、唯一変わっているのは本棚と土壁で二重に塞がれた入り口だけだ。
アインは、その前に立つと地面に手をつく。それに答えるように土壁は地面へと沈んでいき、現れた本棚をアインは乱暴に引き倒す。どんな結果であろうと、ここに戻ることは無いという決意を示すように本棚を踏みつけ、闇を睨みつける。
一歩踏み込む前に振り返る。いつでも良いと頷く一同にアインは頷き返し、怨霊が待つ空間へと進み始めた。
足をよぎる冷気も首にまとわりつくおぞましさに変わりはない。だが、それをものともせずアイン達は進んでいく。変わったとすれば、彼女たちの心の在り方だ。
するべきことがわかっているのなら、ただそれに向かっていくだけ。何が待っていようと関係はない。一度敗走したからこそ、何が足りなかったのかもわかっている。その思いが、足を動かしていく。
そして、ゆっくりと歩を進めていた足が止まる。一歩先には、手に浮かべた光球では照らしきれないほどの闇が広がっていた。その中には、あの黒い思念が渦巻く水晶もあるだろう。
アインは、大きく息を吸ってゆっくりと吐く。何度か調子を確かめるように手を広げては閉じ、体勢を自然体に整えていく。
そのまま目を閉じ、そして、
「――いきます!」
目を開くと同時に吠え、空間の天井めがけて幾つもの明かりを放つ。影など出来ないと錯覚するほど眩い光の中で、しかし蠢く人の形をした闇は無数に存在した。
光に縫い付けられたように動きを止めるそれらが、
「浄化の炎よ、闇を燃やせ、世界を照らせ! グリッター・ブラスト!」
「聖なる水よ、闇を
ラピスの放った炎に撒かれ、リーベの生み出した水流によって飲み込まれていく。
「よしっ! 人だろうと怨霊だろうと眩めば怯むものよ! 今のうちに気を削ぐんじゃ!」
「言われ無くとも!」
ツバキの声に答えながらも炎を放つラピス。太陽の色をした炎を浴びた怪物は、形を崩し何もなかったように消えていく。彼女を敵と認め動き出した怪物は、リーベが生み出した水の大蛇に喰われ千切れ飛ぶ。
不意を打たれた前回と違い、今回は上方から攻撃される心配のない通路出入り口という地の利もあり、戦況は優勢だった。だが、誰の目にも油断はない。
「あの水晶……やはり、アレを何とかしなければキリがないな」
その理由は、暗く沈んだ闇を湛えた水晶にあった。怪物は確かに数を減らしていっている。だが、その度に水晶に渦巻く闇が新たな怪物を生み出しているのだ。今はまだ減るペースのほうが速いが、それが何時逆転するかはわからない。
この状況で説得を試みても、周囲の怪物に嬲られるのが落ちだ。まずは、周囲の怪物を何とかせねばならない。
ならば、どうする。
ユウがじっと考え込むツバキに訊ねると、彼女は一瞬逡巡し、決心したように水晶を見据えて叫ぶ。
「ラピス、リーベ! 水晶を攻撃しろ! それなりに本気でじゃ!」
「え、ええ!? まだアインさんとユウさんが説得してませんよ!?」
「わかっとる! だからそのために攻撃するんじゃよ! どちらにせよこのままじゃジリ貧じゃ!」
動揺するエターナに構わず声を上げ続けるツバキ。ラピスとリーベは目を交わし頷きあった刹那、ラピスは詠唱しつつ後ろへ下がり、リーベは立ち塞がるように水の鞭を振るって盾となる。
アインは、今は歯がゆそうに見守ることしか出来ない。攻撃し敵と認められれば、説得が難しくなる。それがわかっていても、これ以上手出し出来ないのは歯がゆいとしか言えなかった。
「まだですの!?」
攻撃役が半減し、守るための戦いに切り替えたことで怪物が消滅するペースを復活が上回り始める。リーベは、歪な槍を持って襲いかかる怪物を鞭の一撃で両断するが、崩れた体を吹き飛ばすようにもう一体の怪物が飛びかかる。それを左手から放つ水流で吹き飛ばすが、多勢に無勢。包囲は狭まりつつあった。
「ラピスさん!」
エターナが悲痛な声を上げたその時、
「しゃがみなさい、リーベ!」
ラピスが吠え、リーベがその声に地に伏せる。次の瞬間、
「我が手に生まれし朱の魔槍よ! 我が敵を抉り、弾けろ! レッドブランチ・スプレッド!」
放たれた朱色の魔槍は、一直線に水晶へと突き進む。対象に突き刺されば、内部で放射状に変形して抉る一撃。人体はもちろん、物体も例外ではない。
怪物達の隙を突いた必殺の一撃――その認識を、ユウは一瞬で改めざるを得なかった。
「なっ……!?」
魔槍が到達するよりも早く、水晶に渦巻く闇は怪物を巻き込みながら勢いを増し、台風のように水晶を包み込んだ。魔槍は、その闇に阻まれ僅かに風穴を開けるに留まった。
それを前にしながら、ラピスは落胆することも怯むこともなく、冷静な口調で呟く。
「……察しはついていたけど、こうも簡単に防がれるのはいい気がしないわね」
「ど、どういうことですか?」
話が見えないエターナに、ツバキが答える。
「怨霊の本体はあの水晶に潜んでいる。そして、そこから生み出された影――或いは手足がさっきの怪物達ということじゃよ。無数に生み出す手足を切り飛ばしてもキリがない」
「だったら、本体が相手をせざるを得ないという状況にするしかない。水晶を壊すにしろ説得するにしろ、避けては通れないしね。リーベ、大丈夫?」
ラピスが後を継いで、息を整えるリーベに調子を訊ねる。彼女は、汗ばむ頬を袖で拭う。
おそらく実戦は初めてか、数は少ないのだろう。敵の
「平気ですわ。まだまだこれからでしてよ」
リーベは、気丈な眼差しで見つめ返し、力強く大地を踏みしめていた。そんな相手に対して休んでいろ、なんて言葉は似合わない。こういう時は、
「そう、だったらアテにさせてもらうわよ」
こう言ってやるものだ。
リーベは、一瞬面食らったような顔をしていたが、すぐに不敵な顔でニヤリと笑った。
「ええ、良くってよ」
「アインとユウも準備を……来るわ」
頷いたアインは、
「敵が一体ならここで戦うのは逆に不利。私達が撹乱しつつ削るから、隙を見つけたら一気に水晶まで突っ込んで」
「了解です……ッ! 来ます!」
際限なく加速していた闇が、徐々に内側へと収束していく。同時に冷気は足元から引いていくが、逆に体を走る寒気は収まるどころか、危機を訴えるようにさらに熱を奪っていく。
来る――。確信にラピスとリーベがまず飛び出し、続いてアインが前へと出る。その刹那、渦巻いていた闇がほんの僅かに停止した。
瞬間、水晶から弾丸のような速度で人型の嵐がラピスへと迫る。形こそこれまでの怪物と大差ないが、肌に突き刺さる寒気は比較することすらおこがましい。
「ッ! これが大本ってわけね!」
ラピスは、怨霊が振るう歪な槍を飛び退いて躱す。たった一振りでバターのように切り裂かれた岩肌に怯む暇も無い。体勢を整えると同時に炎を放つ。
「――――!」
怨霊は耳をつんざく叫びを上げ、全身を炎に包まれる。だが、それで動きを止めることはなく、敵と見なしたラピスへさらに攻撃を加えるべく、槍を振り上げる。
「させませんわ!」
その体を、リーベが撃ち出した高速の水球が吹き飛ばす。命中する度に破裂音を鳴らしながら怨霊の闇を削っていき、その衝撃で壁際へと追い込んでいく。
「炎よ、戒めの杭と成りて邪悪を封じよ! グリッター・パイル!」
駄目押しに放たれた炎の杭が怨霊の四肢と胴体を貫き、壁へと戒める。動きを封じられた怨霊がもがき逃れようとする隙を、アインが見逃すはずはなかった。
「ユウさん!」
「おう!」
アインは声を上げ、一気に水晶へと迫る。水晶の中心には、暗く深い黒が
それを阻もうと、水晶から突き出た腕がアインへと殺到していく。絡め取られるのは危険と判断した彼女は、腕を大きく振るって魔力の波で薙ぎ払う。押し寄せる波が目の眩む光に一瞬押し止められるが、それだけで抑えきることは出来ない。瞬く間に押し寄せた波が、黒い外套を飲み込んでいくが、
「こっちですよ!」
波が飲み込んだのは、外套を纏っただけの土人形。波から逃れたアインは、既にがら空きの水晶を見据えていた。突き立てようと構えられる
「■■■■■■■■■!」
驚異を感じ取ったのか、壁に磔にされた怨霊は、もはや声とすら認識出来ない叫びを上げる。その咆哮に空間が震え、さらに心までが震える。死者の声を聞いてはならない――それを実感したときには、アインの体は竦んでしまっていた。狙っていた水晶から視線が逸れ、知らず怨霊へと目が向いてしまう。
僅かな、しかし致命的な隙が生まれた。
「ッ……そんな!?」
「四肢を引きちぎって!?」
そして、危機に陥った獣は、障害を排除すべく四肢を引きちぎり、飛びかかりながら腕を再形成し歪な槍を最上段に振りかぶる。
凶刃は、一秒もあれば肩から腰部にかけて袈裟斬りにするだろう。飛び退くには余りに遅く、受け止めるには余りに脆い。つまり、私にはどうしようもない。
ただ冷静にアインは、判断を下した。自分には手段が無いと認めていた。だが、そうでありながらもその目は生きることを諦めてはいなかった。
自分にはどうしようもなくとも、打破できる者がここに居るのなら――最後まで諦めることはしない。その輝きの火種となった少女は、手を伸ばし叫ぶ。
「アインさん!」
自分に何が出来ると心の何処かで思いながらも、エターナはアインに向かって手を伸ばしていた。無意味だとわかっていながら、そうしなければいけないという思いが引き金となり、心の叫びを弾けさせる。モノクロになった視界が歪んでいく。
「■■■■■■■■■■!」
だが、無情にも刃は振り下ろされ――そして、
「…………えっ?」
何もない地面を切り裂いていた。
その光景にエターナは、腕を伸ばしたまま言葉を無くしていた。
アインが動いたわけではない。彼女は、その場から一歩も動いていない。ラピスも、リーベも、ツバキも、そして自分さえも動いていない。
「――――!?」
動いたのは、怨霊だけだった。アインに向かって飛びかかったはずのそれが、今は壁際の地面に刃を食い込ませている。憤怒の叫びを上げていた怨霊すら困惑に動きを止める最中、一人叫ぶ者がいた。
「ツバキ! 援護を!」
「ッ! お、おうとも!」
その声にラピスとリーベも状況への理解を投げ捨て、今すべきことだけを思い出す。即ち、怨霊の動きを止めるということを。
「このっ! じっとしてろ!」
即興で生み出された炎の鎖が、怨霊と地面を縫い止めていく。その隙間を埋めるように、降り注いだ水の剣がさらに強く縫い止める。
「太陽の光を浴びよ、鈍色の剣! 月光の輝きを纏て、邪悪を祓う一撃をここに!」
ツバキの詠唱に、ユウの柄に掛けられた水晶が共鳴し、生まれた淡い光が刀身を包み込んでいく。暖かさを感じるその光に、怨霊がたじろいだような気がした。
アインは、
右足に力を込め、地面を抉るように蹴る。そして、引き絞った両腕を解き放つ。
「
アインとユウの声が重なる。それに遅れてひび割れた乾いた音が、静まり返った空間に響き渡った。
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