第162話 決戦前日、その決意

 決行日前日、アインは酒場へと向かっていた。少しでも情報を集めておこうと考えた彼女が思い出したのは、オーランに訪れた初日に出会った酒場の主人――グレイだった。

 出来れば怨霊の一件は静かに解決したいというリーベ達の意向もあり、おおっぴらに聞きまわるのは憚られる。しかし、彼女らと親しいグレイであれば、その点もわかってくれるはず。加えて酒場を営んでいれば何かしらの噂も聞いているだろう。


 そう考え、酒場にやってきたアインだったが、


「いや……悪いが思いつかないな。怨霊になりそうな死者なんて」


 カウンター越しに返ってきた答えは、彼女の期待に沿うものではなかった。

 納得いかないアインは、尚も続けるが、


「どんな些細なことでもいいんです。鉱山で死人が出ていないわけではないでしょう?」

「それはそうだが、それも数えるほどしかいない。それに全員の遺体は回収しているし、葬儀も執り行われている。これで恨まれるなら、俺達にはどうしようもないね」


 グレイは渋い顔をするばかりだった。ツバキも鉱夫が亡霊となった可能性は低いと指摘していたが、この様子ではそれが正しそうだ。

 では、行方不明者はいないかとアインは訊ねる。その中に隠し部屋を作る理由があるものを絞り込むという考えだったが、


「行方不明者は出ていないな……他の街に移住していったものはいるし、全員の消息までは流石にわからないが、それでも行方知れずって噂も聞いたことはない」


 こちらも空振りに終わる。それ以外に手掛かりとなりうるのは、魔術が使えた者ということだが、これでは期待できないだろう。魔術師がいなくなったのなら、グレイの耳にも入っているはずだからだ。

 そうなると、アインが聞き出せる情報はもう無い。他の者にも一応訊ねてみるつもりだったが、成果が出るかは怪しいところだ。


「そうですか……ありがとうございます」

「力になれなくて悪いな。せっかくだ、何か飲んでいきな。それくらいはさせてくれ」

「では、レモネードを」

「あいよ」


 コップの準備を始めるグレイを横目に見つつ頬杖をつくアイン。あてが外れたという顔の彼女に、ユウは喋りかける。


『思うようにいかないもんだな』

『ですね……そうなると、流れ者の魔術師が水晶目当てにこっそり住み着いたってところでしょうかね』

『けど、住み着く必要はあるのか? 水晶が目当てなら買えばいいだろう?』

『その金も無かった……というのは苦しいですね。あの部屋の様子だと数十年前から暮らしていたようですし、その頃ならこの街での水晶の地位は高くなかったはずです』


 考えれば考えるほどわからない。情報の少なさに頭を悩ませるアイン。

 そこでふとユウは浮かんだ疑問を口にする。


『そもそも、どうしてあの水晶に執着しているんだろうな』

『どうして……?』

『水晶なら、あの空間以外にも幾らでもあるだろう? けど、今日まではっきりとした目撃情報は無く、与太話程度に思われていた。つまり、あの水晶じゃないと駄目な理由があるってことだ』

『あの水晶じゃないと駄目な理由……なるほど、そこから何か掴めるかもしれませんね』


 僅かではあるが、取っ掛かりが生まれた。そこを足場に考察を進めようとアインが口を開こうとした時、


「おう、お前さんがロッソからやってきた魔術師かのう?」


 不意に掛けられた声に振り返る。そこには、立派な髭をたくわえた老人が立っていた。腕には年季の入った木箱を抱えている。


「……? そうですが、貴方は?」

「わしは、しがない彫刻家じゃよ。協会に届けようと思ったんじゃが、ちょうど御主を見かけたのでな。こいつを持っていってくれんかのう」

「こいつって……その箱ですか?」

「そうじゃ、今見せてやろう」


 老人は、カウンターに木箱を置くと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、中身をゆっくりと持ち上げていく。取り出されたそれを見たアインは、目を見開いて息を呑む。


「これは……水晶の龍?」

「ははは、驚いたようじゃな。中々の出来じゃろ?」


 自慢げな老人が示す水晶の龍は、力強い四肢と大きく広げられた翼、今にも天に炎を吐き出さんと吠える頭部が見事な造形で作られていた。芸術には詳しくないユウでも目を引かれる逸品であり、アインは彼以上に興味を惹かれたようで上下左右から眺めていた。


「魔術を使わずこれだけのものを……塊から掘り出したのですか?」

「ほう、わかるか。そうとも、わし自らの手で掘り出した水晶を磨き、削り、整えたのがこれじゃよ」

「すごい……ですが、何故これを協会に?」

「なに、わしの生い先も短くなったことじゃ。そうなってくると、作品の処遇も決めておかねばならぬじゃろう。聞くところによると、まだまだ展示するものも少ないようじゃしな」

「まぁ、そうですが」」

「だからじゃ、これを託したいのじゃよ」


 老人は、しんみりとした表情で龍の背を撫でる。埃一つ無いそれを見る目は、我が子を見るように優しく、そしていつか来る別れを悲しんでいるようであった。


「わしが死ねば、わしを覚えるものも減っていく。そうして記憶からわしが完全に消えた時が、本当の死になるんじゃろうな」

「それは……」


 老人の言葉に、アインはオストゥの村長を思い出していた。

 歳を重ねるごとに世界から忘れさられていく恐怖。亡くなってしまえば、自分のことを記憶から消してしまう。それを恐れた彼は、優男の口車に乗ってしまった。


 自分は一人が好きだ。けれど、独りでは絶対に生きられない。死後の世界があるのかなんてわからないが、忘れられてしまったら死後は独りになってしまうのだろうか。それは、とても恐ろしい。


「だからこそ、わしは作品を残す。そうすれば、作品を見る度に思い出してくれるかもしれんからな。それに、作品を見せられぬままでは死んでも死にきれん」


 目を伏せて俯くアインに老人は語りかけるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。小さく彼女が頷いたところで、


「というわけでじゃな、こいつは協会の一番目立つところに飾っておいてくれ! 展示料も欲しいところじゃが、特別にサービスしてやろう!」

「え、ええ?」


 一転して軽い口調で言ってアインの肩をバシバシと叩くと、大声で笑い始める。その変わりように目を白黒させるアインに向けて、グレイは言う。


「あまり真に受けるなよ。そうは言ってるが後二十年は平気で生きるさ」

「何を言うか。生い先短い老人の頼みだというのに、なんと嘆かわしい……」

「はいはい。それより店まで来たんだ、何か頼んでくれよ」

「おう、それじゃあビールとソーセージとポテトを頼む。塩はたっぷり効かせてくれ」


 ぴんと背筋を伸ばし、張りのある声で注文をする老人。グレイは肩をすくめて準備を始める。

 話についていけないアインは、どうしたものかと老人の方を見やると彼と目が合う。老人は、バツが悪そうに頭をかいて言う。


「別に騙そうというつもりは無いんじゃよ。そうやって誤魔化さないと嫌な方に考えてしまうものでな」

「それはいいんですが……ああ、一つ訊ねても構いませんか?」

「構わんぞ。何が聞きたいのじゃ?」

「実は……」


 グレイ以上に歳を重ねたこの老人であれば、何か知っているかもしれない。そう期待を込めてアインは、鉱山の怨霊について知っていることが無いか訊ねる。

 老人は、腕を組んで唸っていたが、やがて力なくそれを解くとアインに告げる。


「ビールがあれば思い出す……といつもなら言うんじゃが、今回は駄目じゃな。心当たりが無い」

「そうですか……ありがとうございます」

「なに、気にするな。しかし、鉱山に怨霊のう。どんな奴かは知らぬが、早々に祓ってやるのが良いじゃろう。あんなところで一人きりなど哀れじゃからな」


 老人の言葉に、ユウは隠し部屋の様相を思い出す。明かりが無ければ完全な闇に飲み込まれ、異様な冷気が漂う密室。あの怨霊は、どれだけの時をあそこで過ごしたのだろう。

 そして、それは自分にも起こりえた可能性だ。アインが偶々拾ってくれなければ、あの遺跡の暗闇の中で一生を終えたかもしれないのだ。彼女が居たからこそ、自分もここにいる。


「どんな人嫌いの芸術家だろうと、誰かが認めなければ価値を見いだせない、意味は生まれない。そのどちらも独りで手に入れられるのは、余程の強者か或いは気狂いか。御主が祓ったのなら、これまで生きた意味も生まれるじゃろうよ」

「……貴方にも、そういう経験が?」


 独白するかのようなそれに、ユウは思わず訊ねていた。老人は大げさに笑って答える。

 

「そんな大それた話ではない。ただ趣味にしろ生きるにしろ、誰にも認められないのは胸が苦しくなるというだけじゃよ。じゃから、御主もな」

「は、はい?」


 突然指を差されたことに困惑するアイン。老人は、おどけた口調で――しかし、真摯さを込めて言う。


「『すごい』と思ったなら素直に口にして、敬意を伝える。それだけで随分と事は運ぶものじゃ。覚えておくと良い」

「……」


 アインは、黙ってその言葉を噛みしめる。かつての自分にはまったく出来ないことであり、そのせいでラピスを傷つけてしまった。たった一言『貴方に憧れていた』と言えれば、きっとそんなことにはならなかった。

 怨霊の説得が、意思をぶつける対話だと言うなら、そのくらいは出来なければならないだろう。果たして今の自分にそんなことが――。


『あまり思い悩むな。俺もいるんだから、今回は二人でやればいい』

『ユウさん……』

『まあ、なんだ。お前だってちゃんと成長してるよ。それこそ、お前自身が思っている以上にさ』

『……ありがとうございます』


 認めてくれる人がいる――たったそれだけのことが暖かく、体を動かす力となる。

 それは逆も言えるのだろう。認めてくれる人がいないというだけで心は冷めていき、体はヒビ割れていく。


 だから、それを終わらせなければならない。せめて最後に安らかな温もりを思い出せたなら、怨霊として生きてしまったことも無意味では無いはずだから。


「……必ず成功させます。名も知らぬ怨霊のためにも、私達のためにも」


 アインは組んだ両手に力を込め、真っ直ぐな眼差しでそう呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る