第160話 向き合ったその先へ
13歳の時、私はクライン家の娘からダズル家の養子となりました。両親の元を離れなければならない不安と、期待に答えなければという使命感に板挟みになっていて、その時のことはよく覚えていません。
けれど、義父の背中から顔を覗かせるエターナのことはよく覚えています。何も知らないとぼけた顔をです。
義父は、私を部屋に案内すると、次に小さな離れを改修した工房を見せてくれました。それもよく覚えていませんが、両親がどこか安心し、どこか悔しげだったことは覚えています。きっと、自分たちではどうやっても用意できない施設だったからでしょう。
だから、そんな両親を安心させようと、私はペンダントのアクアマリンを外して二人に言ったのです。
『大丈夫です、私は誇り高きクライン家の娘。養子になろうと、それは変わりませんわ』
アクアマリンを差し出したのは、少しでも生活の足しになればという思い。そして、何か繋がりを残しておきたかったのです。
両親は、何も言わず受け取ると、去り際に一言だけ言い残しました。
『お前も幸せになって、誰かを幸せにしなさい』
――その背中が、最後に見た両親です。
……驚かなくても良いでしょう? けど、言ってませんでしたわね。ええ、私の両親は、養子に出した帰り道に馬車ごと崖から滑落しました。ただの事故で、本当にあっけなく亡くなってしまったのです。
それを、悲しい顔をした義父から知らされた時は頭が真っ白になって……私は自らの世界に籠もったのです。自分は一人ぼっちだから、誰の力も借りずに生きなければならないと。義父母の声も、何も知らずに笑っているエターナも無視して自分だけの世界に逃げ込んだ。
ああ、そうですわね。当時の私は、エターナを憎んでいたのでしょう。何もわかっていないのに、私を『お姉ちゃん』と呼ぶうっとうしいモノとすら思っていました……本当に救いようがない愚者だったのです、当時の私は。
そんなことが数ヶ月続いた日のことです。どうしても野草が必要になった私は、家の者の目から逃れるよう夜になってから工房を出て、採取に向かったのです。
それを終えて戻ったとき、ポケットに仕舞っていたペンダントが無いことに気が付きました。その日に限って首に掛けておらず、何処かで落としてしまった。それに気がついた私は、半狂乱になりながら探し回りました。形見らしい形見は、それしかなかったのですから。
工房の周囲の草をかき分け、土と汗と涙で顔が汚れ、手が小さな傷まみれになっていることにも気が付かないほどに必死でした。その最中、呑気な声が掛けられたのです。
『お姉ちゃん、さがしもの? てつだおうか?』
そう言って笑う彼女に、私は……。
『うるさい、あんたには関係ない! 私に構うな!』
……とても酷い言葉を口にしました。思い出すだけで嫌になりますし、時々夢にすら視るほどです。
完全な八つ当たりに、エターナは目を潤ませて走り去りました。それに胸を痛めることも無いほどに、私はどうしようもない奴だったのです。
そうして探し続けて――結局私は見つけることが出来ませんでした。深夜の月明かりだけでは手元すら見えず、今日は一旦諦めようと自身に言い聞かせて工房に戻り、情けなく枕を濡らし続けました。
もう絶対に見つからない。家も名前もペンダントも失い、魔術だけが唯一残された繋がりだと、絶望に沈みきっていた。
『お姉ちゃん、お姉ちゃん! ペンダント、みつけたよ!』
そこから救い出してくれたのが、エターナだったのです。土と草葉に塗れてボロボロなのに、自分のことのように笑って、差し出された手には無くしたペンダントが乗せられていました。
疲労と眠気に見た幻だと震える手を伸ばし、それに触れられたとき、涙が溢れてきました。そして、気がついたのです。安心したように笑うエターナの背後には、同じように笑う義父母や使用人の姿があることに。
全員が私のために動いてくれたことは、理解できました。けれど、何故そうしてくれたのはまったくわからなかったのです。そうされるだけの理由が、私には無いはずでしたから。
ですが、エターナは、
『お姉ちゃん、いつもつらそうだったから笑ってほしかったの』
赤く腫れた目で私を不安げに覗き込んで言って、義父は、
『私は、君をご両親から任された。そして、今は私が君の父親だ。だったら、泣いている娘を放って置くわけにはいかないだろう』
そう言ってくれたのです。
その時、思い知ったのです。私は、どうしようもなく子どもであり、とても恵まれていることに。そして、それに気が付かないほどに愚かだったということも。
そこからは……ただひたすらに『ごめんなさい』と『ありがとう』を繰り返していたと思います。無下にし続けた好意に対して、そう言わずには居られなかったのです……今にして思えば、ですが。
……はい、クラインの名を残しても良いと言われたのもその時です。名前は大切なもので、大切なものは幾つあっても良いのだと、そうおっしゃってくれたのです。
このペンダントも、その日からはクライン家だけのものではなく、私とダズル家を――エターナを繋ぐものとなったのです。ここに嵌められている水晶は、彼女がプレゼントしてくれたものなのです。価値は無いものだけど……私にとっては、とても意味がある大切なものです。
ええと、それで……そう、私が立ち直る事が出来たのは家族のお陰という所まで話しましたわね。そこからは……まあ、人に恥じることのない生活を送ったと思っています。エターナのように素直ではありませんでしたが……。
……まだ続きがあるのね、ですか? ええ、その通りですわ。私がエターナの姉で居られなくなったのは、それから2年後の15歳の時でしたわ。
ある日の実験中、指を深く切ってしまった私はかなりの血を流しました。命に問題があるような傷ではありませんでしたが、居合わせたエターナは死んでしまうと大騒ぎで、泣きながら縋り付いてきたことをよく覚えています。
止血すればすぐ治まるとしがみつく彼女を振りほどき、傷を見ると――流した血も無く傷も消えていたのです。まさか、と思いました。私にはどうやっても不可能で、出来るとすればエターナしかいない。けど、魔術師ではない彼女にそんなことが出来るはずが――出来て欲しくないと、否定して見なかったことにしました。
けれど、それを嘲笑うように彼女は何度もその現象を引き起こしました。そうなれば、認めるしかなかった。彼女は、
姉となってから、彼女を見下したことは一度もありませんでした。それどころか、社交的で明るい彼女に劣等感すら抱いていた私が唯一上回るもの――それが魔術だった。なのに、それすら私には無くなってしまった。
その時から、私はもう姉ではなかった。優れた才能を持つ少女を優秀な魔術師にすることで、自らを慰める魔術師と成り果てたのです。それしか私には……無かったから。
話はこれでおしまいです。つまらない話を長々と聞いて頂きありがとうございました。
「……そっか」
過去から今日に至るまでを聞き終えたラピスは、納得したように頷く。その表情は寂しげだったが、同時に決心が見て取れた。
俯くリーベに声を掛ける。
「貴方と同じ、なんて言えないけど……だけど、それでもわかる」
「……」
「貴方は、エターナを憎んでいると言った。けど、それが全てじゃない。それ以上に彼女を大切に想っているはずよ」
「……それは、過去ですわ。エターナを愛したリーベ=クライン=ダズルはもういない。ここにいるのは、彼女を羨むだけの魔術師」
「なら、あんたはとんだお人好しってことね」
「お人好し……?」
だってそうでしょう、と顔を上げたリーベをじっと見つめ返してラピスは言う。
「憎んでいる相手が死にそうになったのに、あれだけ取り乱すんだもの。そうじゃなかったら何かしら?」
その指摘にリーベは体を震わせる。
「それ……は……」
「……もう認めましょう? 貴方はエターナを憎んでいる、羨んでいる。だとしても、それは愛していることと矛盾しない。羨んで妬んで――それでも愛し大切に想える。それが人というものよ」
「だけど……私は……」
「『姉に相応しくない』なんて言わないでよ。貴方が言ったのよ? 自分の力を否定することは、他人も否定することになる、と。エターナを否定したくはないでしょう?」
無言のまま膝を抱えるリーベの体は震えており、動揺と定まらない思考に揺れる瞳は涙で潤んでいた。溢れかけた涙をラピスの指先がそっと拭う。
「……私は、自分に素直になれなくて一年の遠回りをしてしまった。貴方にはそんな思いをして欲しくないの。好きだった相手に怒りや憎しみを向けるなんて……悲しいから」
「ラピスさん……」
「あー、まあ、私だって偉そうなことを言える立場じゃないけどね。だから、なんというか……」
言葉尻を濁らせて頬を掻いていたラピスは、小さく頷いて言う。
「悩んでいるのは貴方だけじゃないというか……誰かに頼ってもいいし、こうすべきって思い込まなくても良いと思うわ。私だって……力になってもいい……から……」
「……貴方」
「ああもう、私がここまで言ったのだから、貴方も素直になりなさいってこと! その方が楽しいわよ、きっと」
「か、髪を乱暴にしないでくださるっ」
照れ隠しに乱暴に髪を撫でるラピスに、リーベは抗議するが、ふっと表情を緩めると胸のペンダントを優しく握る。穏やかさを取り戻した唇が、ゆっくりと開かれようとした時、
「えっ、きゃっ!?」
「おわっ!?」
「ぬぐっ!?」
ドアが開かれると同時に三者三様の悲鳴が聞こえた。それに驚いたラピスとリーベが目を向けると、重なるように倒れ込んだエターナ、ツバキ、アインの姿があった。
一番下で押しつぶされたアインに溜息をついたラピスは、
「全部聞いてた?」
そう訊ねると、エターナは気まずそうに頷きリーベを見やる。
全部聞いていたということは、つまりそういうことだろう。望む答えが返って来ない可能性に怯えながらも、気丈にそれと向かい合おうとしているのだ。
それに対してリーベは、
「……エターナ。伝えたいことがあります」
逃げずに、真正面から受け止めた。震える手を握りしめて堪えながらも、それでも前を向いて進もうとしていた。
エターナが固唾をのんでリーベの言葉を待つ無言の時間が続いたところで、彼女は重い口を開く。
「私が、貴方を羨み嫉妬していたこと。どうして私じゃないのかと憎んだこと。それを認めましょう」
「っ……」
エターナの肩が震えるが、彼女は歯を食いしばって俯くまいとしていた。そうしなければ、涙が溢れるからというように。
「ですが」
リーベは言葉を切り、そんな彼女を毅然とした表情で見つめる。そして、神に誓うように堂々と宣言した。
「貴方を嫌ったことなど、一度もありません。それは、私が貴方の姉となるその前からも」
「……!」
「これが……私の偽り無い気持ちです。だらしのない姉ですが……それでも、私はっ!?」
胸に飛び込んできたエターナの勢いに、リーベは背中を壁に打ち付ける。その痛みに思わず顔をしかめるが、離すまいと腰に腕を回してしがみついたエターナを見ると、文句を言う気にもならなかった。
「……ごめんなさい、エターナ。そして、ありがとう。私を愛してくれて……ありがとう」
リーベが言葉にするのはそこが限界で、それ以上は上ずったすすり声にしかならず、代わりに強く抱きしめ返す。
それだけの言葉を伝えるだけで、どれだけの遠回りをしてしまったのだろう。だけど、それでも手遅れではなかった。
こんなにも泣きたくて、こんなにも胸が苦しくて――こんなにも幸せなのだから。
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