第159話 鏡映しの二人
目の前の視界が歪む。嫌にゆっくりと流れる景色から目を逸らすことは出来ず、リーベの目に映るのは振り抜かれた刃と倒れ込むエターナだけだった。
声を上げたかはわからない。声にならない声を上げたかもしれないし、絶句していたかもしれない。ただわかるのは、体は糸が切れたように動かず、何も聞こえないということだけ。
「――――!」
背後の誰かが叫んだような気がした。
それを何処か他人事のように感じていたリーベの体を、
その痛みで切れていた糸を繋ぎ合わせ、リーベは体を起こしていく。震える手足は、体を支えることだけで精一杯で立ち上がることは出来ず、這うように動きながらも必死でエターナの姿を探していた。
「……追っては来ないみたいね」
「そのようです……とにかく、今はここを離れましょう。エターナさん、立てますか?」
ラピスとアインの傍には、倒れたままのエターナがいた。抱き起こされる彼女の姿に、リーベは煩い胸を押さえ込み、ふらつきながらも駆け寄る。
「エターナ! 返事をして、ねえ!」
「お姉ちゃん……? 大丈夫……ちょっと怖くて……立てないだけだから……」
青い顔で力無く答えるエターナ。その様子に血相を変えたリーベは、両肩を掴んで叫ぶ。
「エターナ! いや、嫌……! 貴方まで居なくなったら……! 私は、私は……!」
「リーベさん落ち着いてください! 彼女に怪我はありません!」
「どうして、どうして……! 貴方は幸せになるべきなのに! 私が……!」
アインが必死に呼びかけるが、取り乱したリーベには声が届かない。頭を振り乱し、許しを請うように声を上げ続ける。
それに対してラピスは、大きく溜息をつくと彼女の胸ぐらを掴み上げる。そして、引き寄せた額に自身の額をぶつけ合わせた。
「おい、何して!?」
思わず声を上げてしまったユウに構わず、ラピスは額を抑えるリーベに向かって冷めた声で言う。
「目は覚めたかしら? 取り乱すのもそこまでにしておきなさい」
「っ……妹が危ないというのに……何を……」
「だからこそよ。それと、彼女に怪我は無いと何度も言っているでしょう」
「……えっ?」
そんなはずはない。間違いなく見たのだ、エターナの背に向かって振り抜かれる刃を。あの距離なら、間違いなく達していたであろう刃を。
「大丈夫だよお姉ちゃん……本当に怖くて腰が抜けただけだから……」
しかし、当の本人は気まずそうに言って苦笑している。背中を見ても、血が滲んだりはしていないし、服が切り裂かれてすらいない。異常の痕跡は何一つとして見つからなかった。
その理由は全くわからない。わからないが、
「良かった……エターナ……無事で……」
何よりも無事であったことで胸がいっぱいで、それ以上の思考が混じる余地はなかった。
何度も同じ言葉を繰り返し、無事を喜ぶ彼女の肩をラピスは叩いて強引に立ち上がらせる。
「悪いけど、今はそれどころじゃないわ。それはわかるでしょう?」
「……ええ、勿論。アインさん、エターナを……頼みます」
「は、はい」
アインはエターナに肩を貸し、立ち上がらせる。お礼を言って彼女は、心配そうにふらつくリーベを見やった。
その視線を受けたリーベは、唇を噛んで目を逸らす。自分に対する罰というように固く握りしめられた手からは、一筋の血が流れていた。
「会長への報告は済ませてきたぞ。災難であったな」
ツバキはそう言ってタイを緩めると、展示準備室内の椅子に体を預ける面々を見渡した。ペンを執っていたラピスは、その手を止める。
「ありがとう、ツバキ。報告書はこっちで書いておくから、休んでいいわよ」
「それはいいが、何があったのか詳しく知りたいのう。取り急ぎ鉱山内に怨霊が出たとは伝えたが、それ以上は聞いておらぬ」
「……そうだったわね、今から説明するわ。ついでに良いアイディアがあれば教えて欲しい」
ラピスは、鉱山内で起きたことについて説明していく。隠し通路の先の空間。中央に安置された水晶。それを守るように取り巻く怨霊の群れ。
それを聞いたツバキは、ふむと呟き考え込むように顎に手をやる。
「水晶と怨霊か……なるほどのう」
「何かわかったんですか?」
「その水晶が怨霊の核――執着しているモノというのは間違いなかろう。そこから離れて御主らを追わなかったのはそのためじゃ」
「では、その水晶は一体何なのですか? あんな嫌な感じのする水晶なんて見たことがありません」
「そっちは直接見たわけではないから推測になるが……水晶は、良いも悪いも取り込んでしまう。怨霊の妄執に当てられ、邪なものへと変わってしまったのじゃろう」
「……ということは、あの怨霊の群れは水晶に執着し、その妄執を水晶がより高めてしまった?」
「おそらくな。群れと言ったが、本当にそうかもわからぬ。影のようなものを無数に生み出していたのかもしれぬな」
「だったら、対策は見えてくるわね。水晶を破壊してしまえば、怨霊も拠り所を無くして消える可能性は高い……うん、そっちはどうにかなりそうね」
そうじゃな、とラピスの言葉に頷くツバキ。その目は、『こっち』はどうする? と問いていた。
それに対してアインは、困ったようにラピスを見やる。そんな目をする彼女の背後には、
「……」
「……」
距離をとって床に座り込むエターナとリーベの姿があった。力無く項垂れる二人は、ここに戻ってから一言も発していない。ただ己の不甲斐なさに打ちひしがれていた。
その理由は、それぞれ違うのだろうけど。ラピスは独りごちると、
「アイン、エターナを連れて何処かに行ってて。私は、リーベと話があるから」
「リーベと話……」
不安そうな顔をするアインに、ラピスは苦笑して言う。
「別に喧嘩するわけじゃないわよ。ほら、早く行った行った」
「は、はい。ええと、エターナさん……そういうことなので……」
アインは、エターナを半ば引きずるようにして部屋から出ていく。それにツバキも続き、ドアのところで彼女は振り返ると、
「あまり無茶をするでないぞ」
気遣うような一言を残してドアを閉じる。残ったのは、未だ座り込んだままのリーベ。そして、
「いつまでそうしている気?」
それを正面から見下ろすラピスだった。挑発するような彼女の物言いに、リーベは気怠げに顔を上げる。だが、その目に力は見られない。『ただ声がしたから見た』というだけのようだった。
その姿に苛立ちを覚えながら、尚もラピスは続ける。
「そうしたい気持ちはね、正直よくわかるわ。自分のミスで大事な人を傷つけたんだから」
「……」
「だからこそ、言ってやるわ。そんなことをしていても、何も変わらない。そうして蹲っている限り何も解決しない」
「……貴方に何がわかるというのですか」
リーベがこぼした声は弱々しく、普段の気丈さはまったく感じられない。拗ねた子どものように声を荒げた彼女は叫ぶ。
「私にはあの子の姉である資格も無いのに……! なのに、あの子は私なんかを庇って! 私なんかよりもずっとずっと眩しくて……暖かい彼女が……どうして……」
「……わかるわよ」
「何を――」
ラピスの口から紡がれたのは、短い同意。それを拒絶することは、リーベには出来なかった。
「私とあんたは……似た者同士だから。あまり認めたくはなかったけどね」
自嘲するように苦笑したラピスは、しゃがみこんでリーベと目を合わせる。その顔を見ただけで、嘘を言っていないことがわかってしまった。
リーベは、目を逸らさずその目を見つめ返す。
「初めて会ったときから、きっと本能でわかったのよ。『こいつは私と同類で、だからこそ認められない』って」
「……」
「あんたもそうだったんでしょう? まあ、当然よね。自分の駄目だってわかってるところを見せ続けて、しかも自律する鏡なんて嫌に決まっている」
「貴方は……」
「だから、どうすればいいのかもわかっている。ああいや、わかった気がするだけで……私もまだなんだけど……」
言い訳するように呟いたラピスは、意を決したようにリーベの両肩を掴み、真正面から見つめ合う。そして、決意とともに言い放つ。
「貴方は、エターナのことが好きなのね?」
少し硬い声で放たれたその言葉は、リーベに対して真っ直ぐに突き刺さり、
「……は、はああああああ!? ななななにを急にそんなことを!? ひ、人が弱っている時にからかうなんて悪質! 畜生の所業でしてよ!?」
火を吹きそうなほどに顔を紅潮させることとなる。
ラピスは、暴れてその場から逃げ出そうとする彼女を必死に押し留めながら言う
「からかうつもりはない! これは、真面目な話よ! 貴方にとっても、私にとっても!」
「貴方にとっても……?」
「……そうよ。言ったでしょう、私と貴方は似た者同士で……どうすればいいのかはわかっているって」
「それって……」
リーベは、振りほどこうとした手を下げてじっとラピスを見やる。しばらく固く口を閉ざしていた彼女は、小さく息を吐いて、己の本心を告白する。
「……うん、私は……アインのことが好き。掛け替えの無い親友だと思っている」
彼女がおとなしくなった以上、これは伝える必要のないことではある。けれど、それでも言葉にしなければならないと思った。そうしなければ、公平ではないから。
「だけど、それを伝えられたことは無い。私は素直じゃなくて……彼女は眩しいものだったから。いつも心の何処かで嫉妬していて、負けたくないとずっと思っていた」
「……」
「貴方は、違う?」
その言葉は同意を求めるものではなく、ただリーベの真意を問うものだった。訊ねられた彼女は、しばし無言で俯いていたが、
「……そうです。私は、あの日からエターナを愛し――そして憎むようになったのです」
力無く紡がれたのは、絞り出すような本音だった。
そう、と呟いたラピスはリーベの隣にしゃがみ込んで言う。
「良ければ、聞かせて欲しい。力になれるかもしれないわ」
「……どうして、そこまでするのですか」
「どうしてって言われてもね……まあ、ね。貴方のことはムカついたりもしたけど、それはそれとして……結構気に入っているのよ。それは理由にならない?」
照れくさそうに答えるラピスに、リーベは目を丸くする。そして、自嘲気味に呟いた。
「私には全然似てませんわ……貴方ほど私は優しくありませんもの」
「そうでもないと思うけど。まっ、かなりわかりづらいかもね」
「そこは、お互い様ということに致しましょう」
二人は顔を見合わせて笑い合う。リーベは、ふっと遠い過去を視るように天井を仰いだ。
「……面白い話では無いですが、聞いて頂けるかしら」
「ええ、聞かせてちょうだい」
この場に飲み交わす酒が無いのが残念だ。そう言いたげなほど気軽にラピスは答える。リーベは、誰にも聞き取れない一言を呟いてから、ゆっくりと口を動かし始めた。
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