第158話 生きる闇
冷たい風が足元を吹き抜ける隠し通路は、そう長くは続かなかった。十分も歩かないうちに終点であるドアの前へとたどり着く。
簡素な木製のドアは、取り付けられた木枠ごと半壊しかかっており、触れればそのまま崩れ落ちてしまいそうだった。
この先に何かがある。そんな予感にアインが伸ばした手は、ドアに触れる前に戻っていく。
彼女は、二度深呼吸すると、キッとドアを睨みつけ、
「行きます!」
宣言とともにドアを蹴り破る。脆くなったドアは、それだけで奥へと吹き飛び土埃と音を立て、そして静まる。
明かりを放ったラピスは、ドアの残骸を踏み越え辺りを見渡し呟く。
「ここは……部屋、かしら」
一人が暮らすには十分な大きさの円形の空間には、ボロボロになったシーツが掛けられたベッド、ホコリが積もったままの食器が乗ったテーブル、棚板が崩れ落ちた本棚と変色した表紙の本があった。
誰かがここで生活していたことはわかる。だが、その気配を感じるには、あまりにも長い時が経ちすぎている。数十年は誰も触れていないだろう家具を眺めていたエターナは、次に本棚へと目をやり、
「あれ……風が吹いている?」
呟いた声にアインはすぐに本棚を調べ始める。残っていた本を地面へと落とし、奥板を覗き込む。空いた穴から覗けるのは、岩肌ではなく、真っ暗な闇だった。
「ラピス」
「オッケー、任せて」
ラピスは頷き、アインと共に本棚の側面へと回り込む。そして、足に力を込めて思い切り押していく。腐食しても重い本棚だったが、僅かに動く感触があった。
二人はさらに力を込め、
「せぇ……」
「のっ!?」
勢いよく押された本棚は横に滑るように動く。その拍子につんのめったラピスは、アインに覆い被さる形で倒れ込んだ。
「だ、大丈夫アイン? 顔打たなかった?」
「へ、平気です。それよりもラピス……」
「え、あ、い、今どくわね」
少し顔を赤らめたラピスは、慌ててアインから体を退ける。しかし、浮ついていたのはそこまでだった。そんな熱を瞬時に冷ますほどの冷たさが、本棚の裏に隠された道から吹き荒れていたのだ。
「この先に……元凶がいると考えてよろしいかしら?」
既に小瓶を手にしたリーベの言葉に、立ち上がったアインは頷く。
「まず間違いなく。この部屋の住人か、別の者かは定かではありませんが、良くないモノになっていることは確かです」
「良くないモノ……亡霊ではなく、怨霊ということですか?」
「ええ……ただ彷徨っているだけの亡霊なら大した害はありませんが、ここまで冷気を感じるとなると無害とは言い難い」
「だから、害を撒き散らす前にさっさと祓ってしまいましょう。二人は大丈夫?」
「もちろん。いつでも問題ありませんわ」
「わ、私もいけますっ」
「では、行きましょう」
アインが先頭に立ち、続いてラピス、リーベ、エターナと進んでいく。
一歩一歩踏みしめる度に冷気が強まるような錯覚――いや、これは現実だ。深い水底に潜っていくように、息苦しさと体を包む悪寒は増していっている。
『アイン、平気か?』
『何とか平気です……けど、エターナさんとリーベさんが心配です。出来るだけ早く解決しましょう』
アインの言葉に、ユウは背後の二人を見やる。
リーベは、気丈な表情で歯を食いしばって悪寒に耐えているが、固く握られた手は血の巡りが悪くなっているのか白んでいる。
エターナは、背中を丸め震える体を抱きしめるようにしながら覚束ない足取りで進んでいた。時々躓きそうになる彼女を気にかける余裕は彼女自身にもリーベにも無かった。
歩数にすれば僅か数十歩。しかし、体感ではその数倍以上の時を要した歩みが止まる。道の終わりの先にある空間には、再び闇が広がっていた。同時に、首にまとわりついていた冷気が締め付けるような強さを伴い始める。
アインは、寒気をこらえながら明かりを作り、空間を照らす。大きさは先程の部屋と大差ないが、大きな違いが一つあった。
「なに……あれは……」
空間の中央には、一抱えほどある水晶塊らしきものがあった。『らしき』というのは、目に見えるほどの暗く澱んだ思念が周囲を渦巻いており、輝くのではなく光を吸い込んでしまいそうな深淵を宿していたからだ。
その水晶のイメージからかけ離れたそれを前に、アインは頭を振って冷気を振り払う。
原因がこれであることは明白だ。ならば、まずは調べなければ。
一歩、水晶に向かって踏み出す――その刹那、
「ッ!」
首筋に氷柱を突き立てられたような冷たさを感じ、逆に飛び退く。それに遅れて、先程まで立っていた場所に黒い槍が地面に突き立てられていた。
「何!? アイン!」
その槍を、どこから現れたのか定かですらないモノが手にする。その姿は、吹きすさぶ黒い嵐が人の形をとっているとしか言いようがない。止まることのない嵐で形作られた頭部、そこで紅く輝く二つの目がアインを捉える。
「私は大丈夫です! それよりも二人を!」
アインは、目の前に立つモノから目を逸らさないまま叫ぶ。
目を離してしまえばこの怪物は消える。そして、次に現れたときに狙われるのが誰かはわからない。自分もラピスもエターナもリーベも、
怪物は、地面に突き立てられた槍を引き抜き、胡乱な姿勢のままアインを睨めつける。異様に幅広い穂先を持つそれで地面を擦りながら、立ち塞がる怪物。ゆっくりと穂先が持ち上げられた瞬間、
「シュート!」
アインは、光球を放つ。一直線に怪物へ向かう光球は、胴体部分に直撃し輪郭を歪めさせる。そして、続けざまに放たれた二打、三打によって黒い体が千切れていく。
『効いてるぞ!』
「これで、消えろ!」
トドメに放たれた光球が炸裂し、眩い光で怪物を飲み込んでいく。決着は、拍子抜けするほどにあっさりとついた。ユウも、アインすらそう考えてしまった。
だが、それはまったくの間違い。
「ッ!? なんでこっちに……!」
エターナとリーベを庇うように立つラピスは、左方向から現れた怪物を炎で吹き飛ばし、
「お姉ちゃん、上!」
「どうやって……!」
リーベは、上方から襲いかかる怪物をギリギリのところで水の鞭で叩き伏せ、
『左、いや右……!? どっからも来ているぞ!』
「さっきの一体だけじゃない……!」
アインは、行進じみた怪物の群れに向かって光球を放つ。しかし、押し寄せる群れは、数体なぎ倒されたところで止まることはない。空間を埋め尽くさんばかりの『嵐』は、水晶の盾となりながら圧を強め続けていた。
「この亡者の量は一体なんなのですか!? ここで一体何があったというのです!」
「わからないけど……今は考える余裕も無さそうね」
じりじりと距離を狭めつつある群れに、アイン達は周囲を取り囲まれつつあった。最初の一撃以降、積極的に攻撃を仕掛けてくる様子はないが、いつそうなるかはわからない。
倒しても倒せるかわからない無数の怪物を前に、エターナは震える足で立っていることが精一杯だった。今にも叫んで走り出してしまいそうな体を抑えながら、かすれた声を上げる。
「に、逃げたほうが……」
「そんなことをするわけには!」
自身を鼓舞するように叫ぶリーベ。しかし、アインは静かに首を振る。
「いえ、そうすべきです」
「なっ……! アインさん、どういうつもりですの!?」
「どうもこうありません。始めに言った通りです。危険と判断したなら躊躇わず逃げる。今がその時です」
「ですが! この亡者共が外に逃げ出す可能性も……!」
「その気があるなら、今こうして喋っていられません。奴らは、私達の命を目的にしてはいない。アレを守るのが最優先のようです」
アインは、どこまでも冷徹な声で言って、中央に安置された深淵を湛える水晶を目で示す。
ラピスも、周囲の怪物を牽制しながらそれに同意する。
「アレが元凶の可能性は高い。そして、こいつらがそれによって生み出されたのなら、アレを壊そうとするものには容赦しないでしょうね。実際、アインが近づいた途端に現れたわ」
「ですから、今すべきは一旦退いて体勢を立て直し、対策を練るべきです。嵐で方向が定か無い時に闇雲に動くのは危険です」
「こんなところで死にたくないでしょう? あんたも、エターナも、もちろん私だってそう。玉砕なんてするには早すぎる」
「……わかりましたわ。ここは一時退却を致しましょう。ですが」
「わかってる。必ず倒しに戻ってくる」
ラピスは、リーベに向かって微笑むと、すぐに表情を引き締めて告げる。
「幸い入り口からは離れていない。火力を集中して突っ切れば、そのまま逃げられるわ。アインは、壁を作って。残りは私とリーベが蹴散らす。エターナ」
「……は、はい!」
「貴方はまっすぐ入り口に向かって走りなさい。それだけでいいわ」
「わ、わかりました……」
答えるエターナの震えは止まらなかったが、それでも彼女は膝をつくことはしない。恐怖を覚えながらも、屈してはいない。
ならば、大丈夫だ。ラピスは、大きく息を吸って、
「行くわよ!」
入り口を塞ぐ怪物たちに向かって炎の奔流を放つ。飲み込まれた怪物は、足だけを残し蒸発したように消えていき、入り口まで数メートルの道が出来た。
だが、たったそれだけの距離が星を掴むように遠く思えた。かき消えた怪物たちは嵐を寄せ集めて人形を作ろうとし始めている。
『アイン!』
「大地よ、我が呼びかけに応えよ!」
前に向かいながらアインは、詠唱と共に地面に手をつく。
殺到する怪物たちから逃れるため、左右に生み出される土の壁。人の手は無論のこと、魔獣であっても多少は手こずるだろうそれを、
「早すぎる……!」
暖簾を押しのけるが如く怪物は土壁を掻き分け侵入してくる。ほんの一瞬の足止めにはなるという期待も、
「ッ! リーベさん、下です!」
「このっ!」
視界を妨げるという事態を招いてしまう。リーベは、足元から這い出た怪物を水の鞭で散らすが、
「しまっ……!?」
上方から襲いかかる怪物への反応が遅れてしまう。振り抜いた鞭を切り返すにはあまりにも遅く、アインとラピスが援護するにはあまりにも遠い。
振り下ろされる異形の槍を待つしか無いと、リーベは迫る凶刃を前にそう思った。自分でも冷静過ぎるそれは、これから訪れる結果を理解した故だと、頭の何処かでぼんやりと考える。
そして、その時が訪れ――。
「お姉ちゃん!」
「えっ?」
押し出される体。必死の表情で手を伸ばすエターナ。その背中に迫る刃。時間が歪んだようにゆっくりと流れる景色。
そして、間違いなくそれを見た。
「ッ……エターナ!」
彼女の背に向かって、刃が振り抜かれる瞬間を。
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