第157話 亡霊を追え

「今日もいい天気ですね」


 カフェテラスでカフェオレを飲んでいたアインは、カップを置いて呟いた。空は青く白い雲が綺麗なコントラストを作っている。

 傍らに置かれたユウも、同じく空を見上げて呟く。


「順調って感じだよな。大きな問題もないし、平穏そのものだ」


 オーランに来て数週間経つが、講師の仕事も問題なく行えているし、街で大きなトラブルにも巻き込まれていない。今まで街に来るなり事件があったことを考えると、極めて平和と言える。


「ですね……」


 アインは眠たそうな声で言って、欠伸をする。講義も慣れてきたとはいえ、毎日していれば気疲れもする。完全なオフ日ということもあって、彼女はかなり気が抜けていた。

 テーブルに突っ伏して空になったカップを弄んでいると、足元に温もりと共に鳴き声が聞こえた。


「猫か、おっと、俺を倒さないでくれ」


 アインの足元にやってきた黒猫は、椅子に立て掛けられたユウにじゃれつき柄の宝石をぺしぺしと叩いていたが、彼の言葉に答えるように鳴くとアインに膝へと飛び移る。


「わっ、ずいぶん人懐っこい猫ですね」


 喉元を撫でても逃げるどころか甘えるように体を伸ばす黒猫。首輪はしていないが、撫でると気持ちの良い毛並みは整っている。この辺りで可愛がられている野良猫なのかもしれない。

 喉を鳴らす黒猫にアインも頬を緩めて撫で回していく。


「……こう、猫を撫でている時間っていいですね」

「そうだな。穏やか過ぎて欠伸が出るくらいだ」

「こんな時間がずっと続けば良いのに……」

「その台詞は――」

「アイン!」


 フラグだぞ、と言う前にそれは訪れる。背後から怒鳴るように掛けられた声にアインは飛び上がり、それに驚いた猫も膝から逃げて走り去っていく。

 動揺に胸を抑えるアインは、振り返る声の主を見やる。そこに立っていたのは、ラピスだった。彼女は、息を切らしながら続ける。


「ここにいたのね……ふぅ、悪いけど休暇はおしまいよ」

「何があったんですか?」

「鉱山の中に怪しい道が見つかったのよ。明らかに人為的に岩で塞いであった道がね」

「隠し通路……ってことですか」

「そういうこと。その目的が何にせよ、調べる必要があるわ。エターナとリーベが待っているから早くしなさい」

「わ、わかりました」


 急かすラピスにアインは残ったカフェオレを一気に飲み干し、お代をテーブルに置く。ユウを腰に提げたことを確認すると、ラピスと共に走り出す。


 まったく、少しは休めると思った途端にコレとは。神様というのはずいぶんと意地悪らしい。

 内心むくれるアインに、ユウはぼそっと呟く。


「日頃の行いってやつじゃないか?」


 アインの返答は、数回のノックだった。





 普段であれば、鉱夫たちが忙しくなく駆け回り、大声が飛び交う鉱山近く。しかし、今は歩き回る鉱夫は極少数で、聞こえてくる声も威勢よりも戸惑いじみた声が大半だった。

 現場までたどり着いたアインは、人垣が出来ているのを見つける。その中には、


「アインさん、こっちです」


 大勢の鉱夫の対応をするリーベと、その隣に立つエターナがいた。彼女は近づいてくるアインに気が付き手を振る。

 喧騒から離れたところで、アインはエターナに何があったのかを問うと、彼女は鉱山を指さして答える。


「あの鉱山の反対側には森があるんですが、そこから鉱山中央にまで続く道が見つかったんです。それも、出入り口は大岩で隠すようにされた道です。勿論、鉱夫さんが掘った穴じゃありません。誰ともわからない者が秘密裏に掘ったものです」

「リーベは何をしているのですか?」

「お姉……こほん、リーベは作業を一時中断せざるを得ないと彼らに説明しています。隠し通路ということは、後ろ暗いものが潜んでいる可能性もあるので、作業を続けるのはリスクが有るということ。その間も給金は支払われるので安心して欲しい……ってところです」

「なるほど……では、私達がすべきは」

「一刻も早く真相を解明することってわけね」


 アインの言葉を引き継いだラピスにエターナは頷く。

 

 秘密裏に作られた隠し通路。それを必要とするものを考えれば、やはりエターナが言ったように後ろ暗いものになるだろう。単純に野盗か、レプリのような魔術師か。何にせよ、余り良いものではないだろう。


「ともかく、まずは現場の調査からですね。案内を頼めますか?」

「はい、任せてください。ちょうど向こうも終わったみたいですし、四人で行きましょう」


 エターナの言葉にリーベを見やると、引き上げ始めた鉱夫とは逆にこちらに駆け寄ってくる。現場へ向かうことになったとエターナが説明すると、リーベは頷く。


「助かりますわ。鉱夫達も不安がりますし、水晶に要らぬ風評が立ちかねません。早々に解決致しましょう」

「そのつもりよ。じゃあ、案内よろしくね」

「ええ、こちらへ」


 先導するリーベに続いて三人は鉱山へと入っていく。女性なら頭をぶつける心配はないが、腕を伸ばせば伸び切る前に手がつく。その程度の高さしか無い坑道を四人は進む。


「足元に気をつけてくださいね」


 忠告するエターナの声は緊張しているのかやや硬い。壁に掛けられたランタンで光量はそこそこあるが、それが作り出す影

は坑道の陰影も相まって不気味に見えるせいだろう。ユウも、声に出しはしないが経験のない道程に息が詰まる思いだった。


 そんな道を進んでいると、不意に視界が広がった。狭い坑道から見回すほどの空間へとたどり着いたのだ。


「午前の光よ、我が手に現れよ。そして、世界を照らせ」


 アインが特大の明かりを天井に放ると、空間の全景が見えてくる。簡易ベッドにテーブル、ツルハシが転がるここは、鉱夫たちの鉱山内での休憩所らしい。空間を囲む壁には、幾つか坑道が続いているようだ。

 その坑道の一つ――人の背ほどあるいびつな形の岩で半分隠されたものをリーベが指差す。


「あれがそうですわ。鉱夫の一人が岩に寄りかかって休んでいると、僅かに風を感じたようです。そこで岩を動かしてみると」

「森側に抜ける通路があったというわけです。そちらは風雨で山肌が削れたのか、僅かですが岩との間に隙間が出来ていました」

「ふむ……確かにこの岩も不自然ですね。余りに都合の良い形をしています」


 アインは、塞いでいた岩を撫でながら呟く。その意味をユウが訊ねると、


『良い具合に入り口を塞ぐ大きさで、しかも岩と岩をくっつけたように構成されているんです。こんなことは、自然ではありえません』

『ってことは、魔術師の仕業?』

『そうなりますね。後は、何のためにということですが……』


 ぐるりと周囲を見渡すと、坑道だけでなくごつごつした岩肌で出来た壁も存在している。アインは、北の壁に向かっていくと、両腕を広げて壁に張り付くように密着する。


「ア、アインさん……? 一体何を……」

「静かに。たぶん、すぐにわかるわ」


 戸惑うエターナだが、ラピスに言われた通り黙ってアインの言葉を待つ。その間彼女は、じっと目を閉じ何かを探り当てるように意識を集中していた。


「ここじゃない……」


 呟いたアインは壁に張り付いたまま横にズレていく。その様はさながらイモリのようだったが、ユウは口に出さない。叩かれたくないというだけでなく、邪魔をしたくなかったからだ。


 じりじりと動き続けていたアインだが、その動きが止まった。触れていた体を離し、右手だけを壁に触れさせたまま唱える。


「地を抉れ、土竜」


 同時に触れていた岩肌が円形に抉れ、消え去る。その先にあったのは、暗闇が続く隠し通路だった。


「これは……」

「おそらく、これが森側の隠し通路の目的でしょう。この先に何かがあるはずです」

「けど、どうしてわかったんですか? 岩肌も不自然には見えませんでした」

「確かに、こちらはかなり巧妙に塞がれていました。しかし、魔力を薄く広げて型を取れば、この通路の分だけ空白が生まれます」

「そんな事も出来るんですか……流石ですっ」


 尊敬の念と共に称える言葉を口にするエターナ。普段のアインであれば、照れながらも受け止めたそれだったが、


「いえ……それだけが要因ではありません。この岩だけが異様に冷たかったんです。それに、ここから漏れる空気も尋常ではありません」


 鋭い目を暗闇に向ける彼女は、強い警戒と緊張を目に湛えていた。彼女の言葉に、ラピスも頷く。


「確かにこの空気は普通じゃない……あのキマイラがいた遺跡と似たような感じがするわ」


 そして、あの遺跡にいたのはキマイラだけではない。キマイラの犠牲になった死者の念が渦巻き、剣であるユウですら凍えるような冷たさが吹き抜けていた。

 それが意味することは――。


「……鉱山内で亡霊が出るという噂をツバキが耳にしたと言っていました。それが、この先にいる可能性が高いです」

「ならば、すぐに祓うべきでしょう。御安心を、私の水は不浄を清める聖水。亡霊にこそ効果を発揮します」

「わ、私も行きます。戦うことは出来ませんが、怪我をしてもすぐに治します」


 リーベは毅然とした態度で、エターナはやや怯えながらもはっきりと宣言する。


「私も行くべきだと思う。退治までは出来なくとも、正体を見定める必要はあるわ」


 ラピスも二人に賛成の立場をとる。もちろんアインも賛成だ。


「なら、行きましょう。くれぐれも気をつけてください。危険と判断したなら、すぐに退きましょう」


 全員が頷いたのを確認し、アインは暗闇に向かって明かりを放った。

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